第1日  辰子ちゃん家

  記念すべきツアー第一日目、第一声、

あ〜あ、事故っちゃった・・・

  サイド・ブレーキ引き忘れて駐車場で無人のまま暴走、駐車中の他人様の車に激突。物損で済んだのが不幸中の幸い。私の100%過失です、日動火災さんごめんなさい。

  気を取り直していきましょうか。
  Akitaniaには大きな水溜りが3ヵ所ある。水溜りには必ず主が住んでいるのだが、辰子ちゃんもその一人である。辰子ちゃん家を一般には田沢湖という。仙北郡田沢湖町と西木村の境にある。もちろん観光地である。ここはさして標高が高くない上に、印象的には平地に突然湖が現れる感じである。それでも山と言うか林というかに囲まれているし、水辺なのでシーズンは夏から秋の紅葉まで。よって、今ごろはシーズン・オフで閑散としている。ボート乗り場などもまだ閉鎖されたままである。したがって、観光地でありながらこのページに登場するのである。
  今年は雪が多かったのでまだ少し雪が融け残っている。前日大雨が降ったこともあって岸辺の砂は湿っている。岩手県との県境に近く岸辺から秋田駒ケ岳が見えるが、

秋田駒ケ岳  田沢湖岸から

生憎曇り空なので頂上付近は雪と雲が一緒になってよく見えなかった。湖としては大きい方ではないので健康な人なら歩いて一周することも可能である。貸し自転車もある。ただし、道は狭い対面通行でワインディングしており、アップ・ダウンもキツイ上に路肩が無い。そこへもってきて車の通行もシーズンはかなりあるし、オフ・シーズンは地元の人がすっ飛ばして通るのでかなり危険ではある。
  湖岸にはいくつかの観光スポットがあり、駐車場と土産物屋、食堂などがあるが、中心はやはり辰子像になる。昭和43年に船越保武氏によって作られた彫刻である。すぐそばに浮木神社と言うのがあって湖に少しせり出して作られている。社の中には竜の絵が飾ってあるのだが、「浮木神社」と書かれた看板には小畑勇二郎と署名がある。この男は元秋田県知事(故人)であるのだが、実は辰子の亭主の仇敵である。

    

浮木神社と竜の絵


  田沢湖は日本一水深の深い湖で透明度も日本一だった、と小学生の頃習った覚えがある。しかし現在は死の湖である。下の写真でも分かるように湖岸の岩に苔も生さない。これは地元(生保内)に発電所が作られた時、玉川の強酸性水を引き込んだためだそうだ。水の色はコバルト色でかなり銅が含まれているのだろう。この色を美しいと思うか、神秘的と感じるか、汚染と見るかは人によるのだろうが、早春の閑散とした時期に訪れ水面を間近に見るとそこはかとなく恐怖を感じる。それは辰子夫婦の怨念なのかもしれない。

御座の石(田沢湖岸、事故ったところ・・・)の湖面(1999年4月17日撮影)

 

噂の美人、辰子ちゃん

  昔、神代という村に辰子という娘がいた。早くに父親をなくした辰子は母親と二人で暮らしていた。辰子は評判の美人であったが、本人は自分の美しさを意識してなかった。ところがある日、沼の水に映った我が貌の美しさに驚いた辰子は考えた。いずれ自分も歳を取って皺くちゃになってしまうにちがいない。何とか永遠にこの美を保つ方法はないものだろうか。辰子は村の後ろにそびえる院内岳にある大蔵観音に御百度参りをして願掛けをした。最後の夜、大蔵観音は辰子の願いを聞き入れこう告げた。
「山の奥にある清水を飲みなさい。」
  村の娘たちと院内岳に蕨取りに行った辰子は、昼餉の後皆が草原で昼寝をしている隙に山の奥へ一人分け入ってみた。すると清水がある。これこそお告げの清水にちがいない。あなうれしや、とすくって飲むとどういうわけか余計にのどが渇く。そこでまた飲む。もっと渇く。遂には腹ばいになって清水に口をけてゴクゴクゴク・・・
  昼寝から目覚めた娘たちは辰子がいないことに気付いて山の奥へ探しに行った。そして腰を抜かした。娘たちが清水のそばで見つけたのは恐ろしげな龍であった。娘たちは転がるように村に逃げ帰った。その娘たちを追うように空には黒雲がかかり、雷が鳴り始めた。娘たちが村に着いた頃には凄まじい嵐となっていた。
  娘たちは辰子の母にことの顛末を語った。
「なに、おらいの辰子が龍になったど?そんたらごどあるもんでね。(なに、うちの辰子が龍になったって?そんなばかなことがあるはずがない。)」
辰子の母はそういうと嵐の静まった月の夜、娘たちに案内させ松明を片手に院内岳に向かった。驚いたことに院内岳の地形はすっかり変わり、大きな湖ができている。辰子の母は湖のほとりでのども割けんばかりに辰子の名を呼んだ。すると、月の光を受けて鈍く光る湖面に細波が立ち、静かに龍が顔を出した。
「おめ、辰子だが?おらの辰子はそんだらおっかねやづでね。おらの辰子は三国一の美人だど。おめ、ほんとに辰子だが?なしてこんたらごどになったなだ?(おまえは辰子か?私の辰子はそんな恐ろしい姿をしていない。私の辰子は三国一の美人だ。お前は本当に辰子なのか?どうしてこんなことになったのだ?)」
しばらく悲しげに母を見詰めていた龍は静かに湖に沈んだ。そして岸に近い湖面に辰子が現れた。
「ああ、辰子、辰子、帰るべし、いっしょにえさかえるべし。(ああ、辰子、辰子、帰ろう、一緒に家へ帰ろう。)」
「かさん、許してけれ。おら、あど村さ帰らいね。観音様さ願掛けして、ずっとめんけままにしてけれったっけ、こうなってしまった。おら、あど人間でね。こごの主さなって住むおん。許してけれ、許してけれ。(お母さん、許してください。私はもう村へは帰れません。ずっと美しいままにして下さいと観音様に願掛けしたら、こうなってしまいました。私はもう人間ではありません。この湖の主になって暮らします。許してください、許してください。)」
辰子は涙を流してそう言うと、龍の姿に戻り湖に消えていった。
「あ、待で、辰子、待ってけれ!(あ、待って、辰子、待って!)」
湖面に走り出そうとする母を娘たちが必死に抑える。辰子の母はしばらく抵抗したが、やがて手にした松明を力任せに湖面に投げつけると泣き崩れた。松明は湖水に吸いこまれるように入ると、一匹の鱒に姿を変えた。
  やがて一人残された辰子の母の家の脇に清水が沸き、そこには鱒が泳ぐようになった。辰子の母は以後この鱒を売って暮らし、この鱒は「木しり鱒」と呼ばれた。
  これが田沢湖の来歴である(細部の異なる異説あり)。

   Akitaniaにある他の二つの水溜りの主は八郎太郎、南祖坊といって双方とも男である。この二人はそもそも不倶戴天の仇敵であるが、後に辰子を巡って再び争いを起こすことになる。そのお話はまた後日・・・

  最後に噂の美人、辰子ちゃんの写真を掲載しておこう。Click here!

交通    Road map
  JR田沢湖線 田沢湖駅下車
  ただしAkitania観光は車が無いと身動きが取れないので、レンタカーを借りた方がいいです。秋田市内から車(遵法速度+)で1時間半程度の距離ですので、秋田空港からだともう少し近いです。国道13号線を南下して、途中から46号線に入ります。初めは「角館」の表示を狙い、途中から「田沢湖」の表示を狙って走ります。ところが、田沢湖町の中心部に入ると標識から「田沢湖」の表示が一旦消えてしまいます。田沢湖町の中心部を狙ってくる人よりも田沢湖自体を狙ってくる人の方が多いのだから、こういう表示の仕方は問題があると思います。表示が「雫石」や「盛岡」になりますが、構わず進んでください。湖岸に近くなるとまた「田沢湖」の表示があります。

2000年4月22日