2000年4月9日 人は如何にしてボディビルに至るか(1)

  ボディビルを始める理由はさまざまであろう。ただし、マイナースポーツであるがゆえに、小学校や地域社会で子供たちが大人から薦められるということはまずないだろうから、本人の意思であることは間違いない。他の競技から入ってくる人が多いのもそれが理由の一端である。小さい頃からやっている人はいないし、他の競技のように小さい頃からやってないとトップになれないということもない。その上、他の競技の練習の一環としてウェイト・トレーニングが取り入れられていることもある。
  私がボディビルを始めたのは今から18年あまり昔、高校一年生の7月23日のことである。年齢15歳5ヵ月13日であり、始める年齢としてはかなり早かったと思う。田舎者の私は実家から学校に汽車通学(電化されていたのだが、いわゆる電車は走ってなかった。そのうえ、途中から電化されてない線に分岐するためディーゼル機関車も走っていた。)していたのだが、駅から学校に向かう途中にジムがあった。それが理由である。1学期の間時々覗いたりしていて、夏休み開始と同時に入会した。
  小さい頃から身体の弱かった私は運動はまるっきり苦手だった。走れば長距離、短距離を問わずビリ。体力測定は女の子も含めて最下位で、授業でソフトボールなんかやろうものなら、私の打席では内外野とも極端な前進守備である。小学校1年生のときは年間23日欠席したが、理由はすべて風邪である。毎月2、3日は風邪で欠席し、しかも風邪にかかると必ず38〜40度の熱を出した(このことが成人してから私に大病をもたらすことになる)。だから私は反射神経が必要な球技は今でもからっきしである。
  そんな私でも小学校5年生になると成長期に入り、大分丈夫にはなった。それでも反射神経の問題は如何ともしがたく運動嫌いのままだったし、身長も伸び悩んで珍畜淋のままである。中学生ぐらいまでは運動のできない珍畜淋はもてないと相場が決まっている。暗い思春期前期だった・・・。
  その頃ある本を買った。ドアーズのジム・モリスンの伝記である。その中に「球技の苦手だったジムはスポーツは水泳を選んだ云々」という記述があった。ショックだった。それまで自分の嗜好に合わせてスポーツを選ぶなどということは考えたこともなかった。スポーツというものはやれば笑い者にされるもの、つまり他人に見せて評価を受けるものと思いこんでいた。自分が楽しむもの、自分がよければそれでいいものとは思ってもみなかったのである。この国の初頭教育がいかに歪んでいるか分かるというものだ。
  ボディビルならば反射神経は必要ないし、心肺機能も要求されない(と、その時は思っていた)。周りにやっている人もいないし、誰にも見せる必要がない。マイナースポーツなのでやっていること自体変わり者呼ばわりされるかもしれないが、スポーツに関しては笑い者にされつづけていた私にはどうってことなかった。
  そんなわけで、私はこの世界に足を踏み入れることにした。もちろんそのジムの会員としては当時最年少だった。