2000年4月30日 社会体育のモチベーション

  ボディビルのモチベーションはいろいろである。コンテストに出場する、というのはもっとも分かりやすく、かつ、強力なモチベーションである。しかし、数の上から言えばコンテストに出場するのは少数であろう。
  コンテストに出ようと出まいとウェイトトレーニングによって筋肉を鍛えていればボディビルダーである。現実にその人が傍目にどう見えようと問題ではない。痩せたい、運動不足を解消したい、病後の身体を回復させたい(もちろん、いずれの場合でも根底に美しくなりたい、強くなりたいという欲求がある)その他いろいろなモチベーションがあろうが、中にはトレーニング依存症とでも言いたくなる人もいる。かく言う私である。
  会社に入って3年余りのブランクがあった後、私はトレーニングを再開した。転勤したことが一番大きな理由であったが、他にバブル崩壊も理由として大きな地位を占めるだろう。不景気で会社が人件費を削減しようと時間外勤務に神経を尖らせはじめたため、トレーニングの時間がとれるようになったのだ。(もっとも、法に定めるところにより公正に時間外勤務料を支給されていたわけではない。いや、むしろ9割がたは不払いである。)ところが再開して間もなく、今度は病気になった。肝臓である。よって、もう3年間ブランクになり、本格的に再開するまで都合7年近いブランクができてしまった。
  本格的に再開して3年、現在ではどうしてもトレーニングがやめれない。仕事の関係で1週間もトレーニングしないでいると激しい肩凝り、不眠、便秘とひどい状態になる。仕事の上で何かあって予定していた日にトレーニングできないと情緒不安定になってしまう。トレーニングを休むと罪悪感を覚える。
  こういう人は他にもいるのではないかと思う。不眠、便秘は誰にでもあることだし、肩凝りは私に特有の症状だが、トレーニングを休むことに罪悪感を覚えるというタイプが一定の割合で存在しているように思う。もともと個人競技だし、コンテストに出るわけでもないのだから別に休んだってどうってことないのだが、何か義務を怠ったような気がして罪悪感を覚えてしまう。強迫観念に取りつかれたようになって、オーバーワークの見切りができなくなってしまったりする。
  これに気付いたのはトレーニングを再開してからである。さすがに30歳になって無理が利かなくなり、自分の身体をより深くモニターするようになったためだと思う。トレーニングしていてエネルギー切れが分かるようになったのもこの頃からである。トレーニング中に起きる原因不明のモチベーション低下は体調を崩す前兆であることも分かった。そういうことが分かって、ようやくボディビルの何たるかが分かったような気がする。
  ボディビルの特殊性は脳でやるスポーツだと言うことだ。トレーニングしている筋肉の状態を中心に自分の身体を脳で不断にモニターしながらやる。セットに入るべくバーを握った時から、種目によっては最後のレップを追えてバーを離し、全身をリラックスさせるまでやる必要がある。セットに入る時、レップを開始する前のフォームが正しいかどうかがまず大切で、この時フォームが崩れているとすべてが台無しになる。これは鏡で見て確認することもあるが、概ね感覚で掴んでおく必要がある。続いて1レップ目から筋肉の状態をモニターする。ややもするとレップ数を達成するために、あるいは使用重量の目標を達成するために最初の数レップスが堕ちることがあるからだ。そして、デッド・リフトなどはセットを終えてバーを離す時、不用意に離すと腰を痛めることがある(経験者は語る)。
  この事に気付いてから、1セットごとに誤魔化さずにやったのかと反省するようになった。現実には1回のトレーニングで会心のセットが1セットあれば良い方だ。多かれ少なかれどっかで誤魔化しや甘えが出てしまう。他人との勝負であるコンテストに出ない状況ではこれが結構良いモチベーションになっている。