2000年5月8日 怪我
ボディビルを始めるまで、関節の怪我にはあまり縁が無かった。突き指と足首の捻挫ぐらいである。慢性的に関節に痛みが来るなどという事は考えもしなかった。
最初にやったのは両手首である。アホらしいことに原因はアーム・レスリングを挑まれたことだった。これはビルダーは誰しも経験があることだろうと思うが、あまりうれしいことではない。アーム・レスリングには専門の訓練が必要であり、見た目に筋肉が大きければ強いということではないし、第一その手の挑戦をしてくる手合いには頭からビルダーを小馬鹿にしているのが多い。しかも、ルールもへったくれも無くて、とにかく勝ったと自分が宣言できる状況を得ることだけを目的にかかってくるので、怪我をする可能性が大きい。私はそもそも身体が弱かったので全体に骨細で、手首などは女性より細いくらいなのだ。以後、手首は癖になったような感じで、ほんの少しのことで痛みを発するようになった。今も根本的には治らない。
次が右肩である。これはクロス・ベンチ・ダンベル・プル・オーバーをしていてはずしてしまった。35kgのダンベルが顔の上にある(現実にはそうではないのだが、そう見えた)状態で右腕が痺れて感覚が消失した。大変慌てた。幸い、左手の方が右手の上になっていたので左手一本で無理矢理元に戻したらぼ き っ !
という音、激痛とともに右腕の感覚が蘇った。そのときは大したことだとも思わず、顔をしかめながら右腕をぐるぐる回したりしていたのだが(もちろん、その時点でトレーニングは中止した)、その後2週間くらいは歩いただけで響いて痛かった。結局、医者にかからずに放置したのだが、まともに上半身のトレーニングができるようになるまで2ヵ月かかった。その後もベンチ・プレスはやるたびに痛みがあるという状態が続いている。そして、今から3年前の正月、朝起きると突然激しい痛みがあり、日常生活にも難渋する状態になった。病院で写真をとったら、右肩に楔状の遊離物体が写っている。医師によるとおそらくはずしたときにできたもので、それがずれて神経に障ったらしい。手術して取り除かないと直らない。仕事の関係でそのときは手術に踏み切れず、ブロックで痛みを軽減して他日を期すことにした。半年して手術してくれと言ったら、医師は今も痛むかと訊く。今は痛くないと答えると、じゃあ切らなくても良い、切れば痛いからねと言われ、現在もそのままになっている。
大学3年の3月、デッド・リフトで腰をやった。ただし、大学に入学する直前にも一度軽くやっている。3年の大会の後、迷いながらトレーニングしていたのが良くなかった。私は大学に進学する前、父から4年間仕送りを続けるのは無理かもしれないと言われていた。そのときまで仕送りは途絶えることはなかったのだが(結局4年間途絶えることは無かったし、奨学金も卒業と同時に父が全額一括返済した)、留年などできる状況ではなかった。就職活動をし、卒論を書き、そして大会でライバルを圧倒する活躍ができるのか?では大会をあきらめるのか?それとも・・・。そんな精神状態の中、考えられないような状況でそれは発生した。僅か140kgである。当時の私でも平気で10レップス以上できる重量だった。だが、ずっとモチベーションの上がらない状態だったので、その日はそれが最高重量のセットだった。10レップスで気持ちが切れてセットを終了、バーベルから手を離し直立した瞬間腰に電気が走った。
結局、私は4年のとき大会には出なかった。私は闘わずして負けた。
長い長いブランクの後、トレーニングに復帰して悩まされるようになったのは右肘と右膝である。もちろん、手首、右肩、腰も何かにつけて痛みを訴える。右肘は原因が分からない。肘は上半身はもちろん、レッグ・プレスなど脚の種目でも身体を支えるために強圧がかかるため、本当に腹筋ぐらいしかできないような状態になってしまう。右膝は大学3年の夏合宿でマラソンをしたとき、トレーニング用の底の薄いシューズで走ったことが原因である。途中で痛みがきたのだが、止めるわけにも行かず最後まで走った。秋の大会前のことなので休んで治療というわけにもいかなかったのだが、その大会では脚のカットが満足いくまでは出せなかった。以後、何かにつけて右膝も痛みが出るようになった。
その上最近では、これは一種の職業病なのだが、病的な肩凝りに悩まされている。まったく全身ボロボロだ。そこで3月から健体のスーパー・ジョイントを試したみたが、効果があるようだ。まったく痛みが消えたなどという劇的な効果はないが、そういえばトレーニング中に痛いということがなくなった、という感じの効果がある。痛み、ないしは痛みへの恐怖が障壁となっていた使用重量のアップに再び挑めるようになってきた。