2000年11月3日 学連の人々(7)
会場について荷物を開けて青くなった。全身から血の気が引いて行く。
+‘@&$%#*¥〜!!!!!ポ、ポ、ポ、ポージングトランクスが、な、な、な、無い・・・
ボーゼンと立ち尽くしたまま、ゆっくりと自分の身体を見下ろして行き、視線はぴたりと股間で止まる。白のはず・・・うううううううううう、し、し、しまった。ク、ク、ク、クソッ、だからって取りに帰れないし。ええい、白のまま出てやれ。
という悪夢にうなされる日々が続き、不安に駆られて当時出始めだったビキニタイプの男性用ブリーフを購入した。色はクソ緑(ほとんど黒に近い緑)で社会の窓がなく、万一ポージングトランクスを忘れて行っても、最悪そのまま出られるようにという用心である。以後、このクソ緑のブリーフは大会用の地位を長く保つことになる。
この年の新人戦は東海大学が会場だった。私は出場選手筆頭で、しかも高校時代からのキャリアがあるため大学に入学してから始めた選手よりは明らかに優れていた。そのため、先輩たちから優勝の期待がかけられていた。特に法政大学のスエ君を見たことの無いOBたちはなおさらである。私も期待の尻馬に乗って自分にマインド・コントロールをかけていったので、優勝したらステージ上から投げキッスする、などと約束していた。この投げキッスは、その春の関東学生選手権で準優勝した東大の長谷場さんがやったのの真似である。
「果てなき渇望」にもあるとおり、ボディビルはパンプアップ・ルームでパンプを終えて服を脱いだ時点で、ほぼ勝敗(細かい順位は別にして、誰と誰が優勝を争うかなど)が分ってしまう。当時、学連の大会は身長順にゼッケンがつけられていたので、私は常に一桁台だった。そして、すぐ近くに必ず須江君がいた。(ちなみに、このとき初めて「須江」君だということが分った)須江君の身体を一目見た私は、彼の存在自体頭から追い出してしまった。ステージに出れば、身を隠すものはポージングトランクスのみである。心に動揺があれば隠しようも無い。これはダメだと思った瞬間にそれは身体に表れ、ラウンドを重ねるごとにかぶさってくる疲労が挫けた気持ちを強調していくことになる。だから、あえて考えないことに、いや、いないことにしたのだ。
ステージ上は相変わらずまばゆい光と闇のコントラストの世界である。よく、比較審査で自分の順位が分るという人がいるが、私はまったく分らない。そもそも、ポージングをしていれば隣の選手なんか見ていられないのだ(それができるのはポーズダウンのときだけ)。もちろん、どんなメンバーと比較されるかで大体何位というのは分るが、それでも前後5人ぐらいのうちどこかという程度だ。その上私はド近眼、ド乱視であるから、審査員や観客の顔などまったく見えない。だから、本来ライバルとしてマークしていた内藤君の調子や、古畑君が良い(後になって分った)だとかということはぜんぜん分らなかった。よって細部の記憶も残ってない。あるのは光と闇のコントラストだけだ。
予選を終えて一度客席に戻るとOBの岡村さんが来て、
「いや〜、お前負けたよ、ちょっとムリだ。」
とおっしゃった。誰のことを言っているのかはすぐに分ったが、私の頭の中では彼はいないことになっている。私は生返事を返しただけだった。