2001年1月20日 学連の人々(9)

  減量自体さして苦しいと思ったことは無いが、それでもストレスはあるもので妄想のように取り付かれる食べ物がある。大抵はジャンク・フーヅで安物であることが多い。簡単に買え、簡単に食えるものだからこそ妄想と化すのである。春の関東選手権のときは下北沢駅北口のショーウィンドウに入っていたチョコレートのソフトクリームであった。だが、これは試合が終われば食べられるので問題は無い。世の中には悪い企業があるもので期間限定で特別メニューをやる。それが減量期間にあたっていたりすると妄想が倍加する。秋の東日本のときはマックがパイナップル・チーズ・バーガーというのをやりやがった。期間は11月16日日曜日まで。つまり、東日本選手権の当日である。大学のあるところには必ずマックがある。ご丁寧にも幟が何本も立っていてその下には「期間限定11月16日まで」と書いている。黄色い幟だったと思う。
  新人戦から東日本までの2週間は総カロリー2,700kcal、トレーニングは相変わらず多レップスで常軌を逸した多セット、トレーニングは火曜日から再開した(月曜日だけ休み)。この間はすこぶる体調よろしく、とりあえずの目標だった新人戦も征して精神的にも楽だった。クラブとしては亀山先輩が勝てるか、団体初制覇なるかというところだった。もっとも団体戦については層の厚い東大には届きそうにないという感じであった。
  「東日本」という名称から分るように、関東学連のほかに北海道学連と東北学連が参加して開催されていた。東北学連については分らないが、北海道学連は北海道選手権を開催していた。出場選手は100人を超えており、予選通過30人、試合の進行は新人戦と同じである。また、このころ既に一般の大会ではほぼ全廃されていた部分賞審査(事実上比較審査で激しいバトルになる)がある。中心選手は東大が長谷場さん、天貝さん、笠毛さん、室田さん、法政が杉山さん、中山さん、明治が宇山さん、丹野さん、早稲田が亀山先輩と田尻先輩といったところ。私と同輩では明治の武石君(記憶が曖昧だが出場しなかったと思う)と亜細亜の内藤君、それに須江君(法政)と古畑君(明治)がいる。新人王は予選は通るよ、と言われていたので予選落ちは無いだろうと思っていたが、さすがにこのメンバーに入ったのでは「俺が勝つ」というマインドコントロールは不可能だ。それでも部分賞審査では闘志を燃やして人を押しのけてポージングしたが、ぜんぜんおよびでなかった。
  この感じでは10位台と思っていた。だから例によって30位からコールはかなりドキドキして聞いた。10位台に入ると、一人一人別の選手が呼ばれるたびに力が抜けていって虚脱していくようだったが、15位まで呼ばれないと、あれれ、という感じになった。13位、12位、あとひとり、11位呼ばれない。え、ええっ?なんで?何がなんだかよく分らないがとにかくポーズダウンだ。舞台裏にいって服を脱ぎ始めたあたりでようやく、そうだ、ポーズダウンができるんだとうれしくなった。
  アランフェス協奏曲が鳴る中、私は早々に8位でコールされた。後ろからポーズダウンを見るのは初めてだったが、あれはなかなかかっこいいものである。スポットライトを浴びた選手がシルエットになって、やや明るい会場を背景に浮かび上がって見えるのである。写真に撮るならこっちのアングルの方がいいかなと思うぐらいだ。
  優勝は長谷場さん、2位が杉山さんで亀山先輩は3位だった。4位中山さん、5位に須江君、6位宇山さん、7位室田さん、9位桜井さん(東北学院大学)、10位丹野さん。田尻先輩は意外にも10位に入れなかった。団体は東大が優勝で、早稲田は2位止まりだった。3位が法政で4位が明治、5位東北学院、6位北海学園であった。