2001年3月18日 学連の人々(10)

  月ボが部室へやって来た!
  1987年5月のことである。 当時、月刊ボディビルディング誌では学連加盟大学(多くは体育会)を特集しており、我がクラブにも取材に来たのである。どういう経緯でそうなったのかは分らないが、当日は関東学生選手権(この当時は6月開催)の部内予選をやった。雨の降る寒い日だった。
  当時の部室(練習場)は風流この上ないつくりで、まず壁が無い。鉄パイプで組んだ骨組みの上にトタン屋根が掛かっているだけだった。床はコンクリート打ちっぱなしで穴だらけ、水平な部分は皆無といってよい状況。木製のバー・ラックに 無造作に立てかけられたバーベル・バーは曲がってないのが3本ほどしかなく、前々年OBの好意で寄贈されたオリンピック・バーが1本だけ。ダンベルも正体不明な重量のものが多く、これもOBの好意で溶接してもらってようやく不安なく使えるようになったような代物。プレートは各社ごちゃ混ぜで、長年の使用により磨耗して穴が40mmに拡大し不規則な多角形になっているもの(回転式バーベル!)、欠けているもの、さらには重量不明な鋳物製のものなどがあり、鋳物プレートなどそこら中に散乱していた(錆びる心配が無いのでしまってなかった)。プレートをしまっておく金庫のような金属製の箱があったが、シャッターが閉まらなくなっていた(なんと、ここからプレートを盗んでいった奴がいて、仕方なく木製の観音開きの戸をつけた)。部室と言えば明らかに傾いた木造の小屋で、ガラス窓は割れ放題、戸はとっくに取り外してあって、内部は散らかり放題(月ボも散乱)。何の目的かわからないが布団があって、湿りきってカビだらけで臭気を放っている。
  マシンなど無いも同然である。この年ようやく田崎製作所のプレート・ローディング式ラットマシンを購入したが、その前のラットマシンと言えば骨組みの鉄パイプにゴムバンドのようなものでぐるぐる巻きにして取り付けられた鋼鉄製の滑車からワイヤーが垂れ下がっている。一方の端は床についていて短いバーが取り付けられており、バーの両側に主に鋳物製のプレートが取り付けられている。もう一方の端にはバー。いつ頭上に滑車が落ちてくるかハラハラしながら使うしかなく、したがってプル・ダウン系の種目と言えばもっぱらチンニング。チンニング用の鉄棒はちゃんと専用のがあったが、骨組みの鉄パイプを好む人もいて、その現場写真をばっちり月ボに掲載されている。
  予選の結果、選手枠の5人に入ったので出場した。ただし、まったく仕上げることなく、タニングだけして出場し、予想通り予選落ちした。私はバルク不足丸出しだったので、仕上げてなければ洟もかけられない。分っていたので、口髭を生やしたまま出場した。髭は、クラブに1人は髭が欲しいという思いから、川人主将が剃ってしまわれたので伸ばしたのだが、私が剃ってから以後は1人もいなくなってしまった。
  我がクラブが掲載された月刊ボディビルディング誌は1987年の7月号で、現在も実家に保存してある。表紙は、確か宮畑さんのプリチャー・ベンチ・カール。この当時月ボは、「電車の中でも開ける」を合言葉に、いかにもな表紙写真はやめていた。