2001年9月9日 入院(4)

  左の肩が痛い。手術したのは右である。
  入院は6月5日、手術は6月12日であったのだが、トレーニングは5月15日で中止した。左の肩が痛かったからである。左の肩は連休中にふとしたことから後ろ方向に捻ったことで痛くなったのだが、その前3月くらいから少しずつ兆候があった。厭な感覚が寝る前に襲うことが度々あったのだ。
  連休の間は痛いのでトレーニングを休み、連休明けから再開したが、やれば痛いという状況が続いていた。そして、パワーラックでスクワットをやった後、少しずれてしまったパワーラックの位置を治そうとして両手でパワーラックを押したとき、激痛が走った。何かが裂けたような痛みだった。
  右の手術が決定しており、最低でも3ヵ月はトレーニングを休むことになる。それだけ休んだら左も良くなるだろうと思っていた。右の痛みとは若干異なる痛みであり、治る痛みと感じたからである。でも治らない。今となっては手術した右よりも左の方が痛くてトレーニングに復帰できそうにない有様だ。
  人生と言うものはうまくいかないものだが、これほどうまくいかない男も珍しかろう。自分で笑ってしまう。
  手術の前の晩は21時以降ものを食べるのが禁止で、0時以降は飲むのも禁止である。翌朝、精神安定剤の錠剤を飲む。隣のベッドのTさんは私とまったく同じ手術を1週間前に受けたのだが、精神安定剤でコロリと眠ってしまったそうだ。ところが、私にはまったく効かない。おいおい、大丈夫かな?私はアルコール代謝ができない体質なので、普段から酒を飲まない。ところが、以前、肝生検(肝臓に針を刺して組織を取って行う検査)を受けたとき局所麻酔がまったく効かずにエライ目に遭ったことがある(実際、あの時は死んだと思った。内臓を刺されるとどんなに痛いか良く分かった)。
  10時から手術開始の予定で、8時半に病室を出る。ストレッチャーで迎えに来て、それに乗って行くのだが、歩いていけと言われれば行ける状態である。あれは経験の無い人には分からないだろうが、恥ずかしいものである。これも以前肝臓を悪くしていたときのことだが、職場で倒れて病院に運ばれたことがある。当時私が居た職場はすぐ隣に大病院があったため、救急車ではなくて病院から担架を借りてきて同僚たちがえっちらおっちら運んでくれたのである。いや、その恥ずかしいことと言ったら。担架の上でぐるぐる回る青空を見ながら、涙に暮れたものである。
  手術室に入ると、全身防護して人相の分からない人たちに取り囲まれた。年かさの男性と、女性が2人、そして若い男性が1人いて、この若い男性はどうやら昨日麻酔の説明に来た医師のようだった。私は椅子に座らされて、縛り付けられた。
「点滴します。点滴から麻酔を入れます。入れるとき言いますから。」
と、女性の一人が言い、若い男性が点滴を刺す。その針は金属ではなくビニール・チューブである。これは、手術後24時間刺しっぱなしになるので、金属では危険だからである。だが、ビニール・チューブはやわらかい。刺し難いのである。刺さらないのである。年かさの男性と女性2人があれやこれやと指導するのだが、どうしてもうまく刺さらない。
ああ〜、もう、教えなくてもいいから、アンタらがやってくれよお・・・
と、思ったが、口には出さなかった。余計なプレッシャーをかけて失敗されたら厭だもん。
  結構痛かったが、最終的には巧く刺さった。そして、
「じゃあ、(麻酔薬)入れますから。」
と、女性の1人が言った。厭な気分だ。これから徐々に意識が薄れていくのか・・・怖いなあ。
  それが、覚えている最後である。実際には徐々に薄れていったのではなく、イチコロだった。