2001年10月8日 入院(6)
朝になった。病院の起床時間は6時で、カーテンが開かれた。昨夜は意識を回復したときには既にカーテンが引かれていて気がつかなかったが、この回復室(繰り返すが、ただの個室)は6人部屋と廊下を挟んで反対側にあり、したがって窓から見える風景も一変する。回復室からは太平山が間近に見えるのである。いい天気だ。尿管も違和感を感じるだけで痛みはない。最初から入れっぱなしにしておけばよかった。
朝食は付き添っていた母に食べさせてもらった。朝食のメニューは昨日までと同じで、唯一違うのが丼飯がおにぎりになったことだ。利き腕が使えないことに対する配慮だった。ベッドは電動で動くもので、上半分が起き上がって背もたれになる。入院以来初めてその機能を使ったが、以後も使うことなく退院した。
回診は9時ということだったが、いつもひどく遅れるので11時ぐらいまでは待つ覚悟をしていた。が、手術直後の患者が優先らしく30分遅れぐらいだった。例によってぞろぞろとやってきて、主治医で科長のI助教授が
「これ、ヴェルポ固定って言うんだ。」
などと説明しながら、ぐるぐる巻きをはずして普通の三角巾に代えた。
「手術では予定通り骨を少し削り、腱のめくれていたところも取りました。それから、遊離物や溜まっていた水なんかを洗い流してあります。この後1週間はなるべく動かさないようにしてください。ま、動かすと痛いしね。
飲み薬が出るので食後に飲んでください。錠剤は鎮痛剤、顆粒は胃の薬です。今日の夕方から1週間化膿止めの点滴をします。化膿をあらかじめ防止するための措置です。
テニスボールを後であげますから、それを握るリハビリをしてください。握力の回復です。それから肘を曲げる運動をしてください。肩さえ動かなければ大丈夫です。」
そして医師団は去った。後には担当看護婦のHさんが残った。そして、つまりあれを引っこ抜く。「あああっつ!」
もはや遠慮も羞恥もない。あとは水をじゃんじゃん飲んで小便をじゃんじゃん流すだけだ。幸いなことに排尿痛はさほどひどくなく、翌日の昼ぐらいには消えていた。
もと居た6人部屋に戻ってみると、窓側の隣にいた同病相憐れむTさんが廊下側に移り、窓側には別の人が来ていた。先週救急車で搬入された人で、私が回復室に入るのでそこから追い出されたKさんだった。Kさんは交通事故で頚椎を損傷、最初に運ばれた病院では手の施しようがなく、ここに運ばれたのだそうだ。自力で動かすことができるのは肩から上だけで、体温調節さえできなくなっている。常に体温を計って毛布をかけたり取ったり、氷枕を使ったりしていた。床ずれを防ぐために3時間ごとに右向き、あお向け、左向きと変えられるのだが、姿勢によっては痰が絡んで呼吸が苦しくなる。見ていて気の毒で仕方ないが、どうすることもできない。
整形外科病棟というのは案外軽症な人が多く、ナースコールが鳴ることも少なく、医療機器の警報機が鳴ったりすることはまずあり得ない。私や同病のTさんなど三角巾が無ければ健常者となんら変わりがないのである。Kさんはここに入院して初めて見る重症患者であった。聞けば、お兄さんの運転する車の助手席にいて、シートベルトをした上で背もたれを倒して眠っていたのだそうだ。事故は単独で立ち木が何かに衝突したらしいが、そういう状態で居たもんだから前に投げ出されてシートベルトに首が引っかかった。そこへ後の席にいた奥さんがぶつかってきたそうだ。病院のベッドにいる今でも、感覚的には助手席に座っているままなのだそうで、足はまったく動かせないしベッドの上で真っ直ぐに伸びているのだが、椅子に座っているように曲がっているように感じていると言う。
交通事故は恐ろしい。あらためて実感した。