2002年10月27日 学連の人々(14)

   コンテスト前夜はいつも眠れなかった。このときの東日本学生選手権も睡眠時間3時間ぐらいだった。
  この頃、当日に食べるべきものはご飯、レーズン、それに卵の油漬けだった。要するに塩や砂糖(ショ糖)、乳製品を忌避して、糖質と脂肪を摂る。目的は、当日を戦い抜くエネルギーの補給である。会場に持っていくべき食物としては、バナナ、ドライ・フルーツ(レーズンかプルーン)、ブラック・チョコレート、生アーモンド、それに水である。朝食と同じ理由からだが、バナナとドライ・フルーツにはポタシウムを補給して痙攣を防ぐためということも言われていた。今から考えると、塩を忌避した上にポタシウムを摂れば逆効果だと思うが、当時はそう言われていた。水はパンプ・アップ開始の2時間前から飲み始めろと言われていた。
  卵の油漬けというのは、卵のてんぷらのことである。熱した油に生卵を落すと、一瞬にして膨張して卵焼きができる。これは大量に油を吸っており、すこぶる美味である。ところが、それまで2ヵ月以上にわたって油を忌避してきた胃はたちまち痙攣を起こし、縦になっていることが不可能になって寝たきりになる。前年、新人戦の前にそういうザマ(1時間ほどで収まった)になっていたので、この年はやらなかった。
  この頃は100人からの選手が参加していたので、パンプ・アップ・ルームは大盛況である。誰がどこにいるかもよく分らない。この当時は、オイルは禁止だし、カラーは国内には出回ってなかったので、パンプの時は重ね着して体温が上がるようにしていた。汗をかくので、一番下に着るTシャツは数枚用意していく必要があった。もちろん、パンプ・アップ用の器具なんか無いし、テラ・バンドなども持ってなかったので、同じクラブの選手たちと協力し合う以外は自分の身体だけでパンプする。
  ゼッケンは身長順で、私は2cmさば呼んで165cmにしていたが、いつも8番前後だった。そのため、背の高いほうの選手がどういう状況かは決勝にならないと分らない。予選の段階で驚いたのが、須江君がオフのままだったこと。さすがにタニングはしていたが、全然絞ってない。いくらなんでもこの状態なら私が負けることは無いだろうと思った。が、同時に、この状態でも予選は問題なく通過するだろうとも思った。
  決勝進出は30人で、この30人で比較審査と部分賞審査があり、部分賞審査は非公式な比較審査にもなる。ここまでくるとある程度のことが分るようになる。上位は予想通り法政の杉山さん、中山さん、東大の外村さんの争い。私はその下の亜細亜の内藤君、明治の大崎君、武石君、東大の神近君、法政の堀之内君あたりとの戦い。どういう評価をされるのか微妙だったのが須江君と東北学院大の桜井さん。桜井さんは、これは仕方ないのだが、色が白いのと仕上がりは大分甘いが、須江君を除けば最もバルキーに見えた。須江君は、本人も会場も苦笑いという状態で、この二人がどう評価されるかが、第二グループにとっては明暗を分ける結果になるかと思った。
  フリー・ポーズにはAerosmithのSweet Emotionを使った。当時、Aerosmithはようやく活動を再開した頃だったが、私はそれ以前からのファンである。ベースマリンバのイントロが印象的な曲であるが、例によって詩が詩なので、英語圏では使えない(ただし、そういう詩が出てくるのは曲の終わり近く。もっとも、曲名自体そういう意味なので、NPCでは失格にされるかも)。前年のボレロは大反響だったが、これは不評だった。応援の合いの手を入れられるポイントが一つしかなかった。それでも、黄色い声援が飛んだので後で散々冷やかされた。これは、ジムの女性会員が応援に来ていたのだが、後で本人に聞くまで分らなかった。
  フリー・ポーズを終えて、後はゲストを見て結果を待つだけになる。客席でクラブの皆と一緒に30位からの順位発表を聞くのだが、私は比較のされ方など気にしなかったので、いつも13位ぐらいになると緊張した。そのため、11位までに呼ばれないと、そこでまず一度舞い上がってしまう。皆と握手を交わして舞台裏へ。このとき、ポーズダウンの準備をする舞台裏で、初めて内藤君、大崎君と言葉を交わした。
  ポーズダウンは審査に関係ないので、いろいろなことをやらかす。前年、東大の長谷場さんが投げキッスをして怒られたので、今年はそれはやれない。せいぜい、1位の表彰台の上に立つぐらいが関の山だ。と思っていたら、ポーズダウンが始まってすぐに気がついたのだが、ゼッケン、付け忘れていた。しまったと思ったが、もう間に合わない。えええええええい、ま、いっかぁ。というわけでそのまま続けた。
  アランフェス協奏曲の中、我が後輩(学年はタメだが、入部が遅れたので後輩)土屋君のふてぶてしいアナウンスで10位から発表である。なかなか呼ばれない。ついにステージには4人。おお、表彰台か?ひょ、ひょ、表彰台?
「第4位、ゼッケン番号8番、早稲田大学・・・」
ああ、やっぱり届かなかったか、と一瞬思い、直後にお辞儀して直りざま両手を開いて万歳した。このときの写真が残っている。「ああ、やっぱり届かなかったか」という落胆の表情と、万歳の写真。この2つの瞬間を逃さずに写してくれた同期の津島君はその後退部してしまったが、今でも気に入っている写真であり、感謝している。
  表彰式では大きな盾を貰った。1位のトロフィーより大きい盾であった。プレゼンターのGN先生が
「この盾が1番いいなあ。喜びのあまり、ゼッケンを忘れたか?」
と言ったので、私は右手で頭を掻きながら左手でポージングトランクスの左側をはじいて見せて、会場の笑いを取ることに成功した。

Result

優勝  外村修一(東大)
2位  杉山理理(法政)
3位  中山賢一(法政)
4位  岩谷知巳(早稲田)
5位  内藤格(亜細亜)
6位  大崎俊雄(明治)
7位  堀之内修治(法政)
8位  須江正尋(法政)
9位  桜井直之(東北学院)
10位  神近哲郎(東大)
(敬称略)

  団体は当然にして法政が優勝、東大が2位、3位が明治で、早稲田は4位だった。後でスコアを見たら、私を3位に付けていたのは榎本正司さんだけで、他の審査員はすべて4位以下だった。中山さんはひょっとしたら食えるかもしれないという気持ちもあったのだが、やはり差があったのだと思う。