2000年1月24日
決断者が求められる時代
資生堂の会長が日本工業新聞で、求められるリーダーは信長ではないと主張している。黙って俺について来いではなく、みんな一緒に働こうというのが理想のリーダーだという。情報化社会の現代は部下の方もすべて情報を把握しているから、信長やナポレオンのように容赦無く人々に好き勝手な命令を出して戦うことはできないからだ。
私はそうは思わない。情報化社会で皆が情報を握っている状況、人権が認められ個々人がすべて自分の幸福追及をすることを是とする社会において、「みんな一緒に働こうは」成立しないと思う。それぞれの個人のエゴが衝突し、いつまでたっても結論が出なくなる。誰かがリスクをとって断を下す必要があるのだ。それは情報化社会であろうと、民主主義社会であろうと同じである。そして、決断にはリスクと責任と報酬が付いてくる。これが本来的な市場主義の姿であると思うし、いま決定的に不足しているのはリスクをとって決断が下せる人材だろう。
信長の時代は市場主義だの、民主主義だのという時代ではないが、信長は父祖から受け継いだものの上にあぐらを掻いて、ただ恣意的な命令を下してやりたい放題にしたわけではない。何度も死線を越えて勝ち残ったのである。信長の下に集まった武将や兵士は信長の決断を信頼し、それを必要として集まったのであろう。
おそらく信長の時代には何かしたために大災厄を蒙ることと、何もしなかったために大災厄を蒙るのとでは、何もしない方が罪が深かったのだろう。今、この国ではそれが逆になっているように思う。不作為の方が罪が無いかのようだが、それは間違いだ。不作為の罪こそもっと追求されてしかるべきである。そうでなければ決断を下せる人材は育たない。