2000年6月16日  30年目の敗北

  NHKのローカル放送で「30年目の敗北  大潟村」という番組を放送していた。都合で途中までしか見れなかったが、驚いた。はっきり「敗北」とうたって「遵守派」の人たちを取り上げた番組を放送したことにである。農業について、潮目が変わっているのを感じた。
  国のモデル農村大潟村は、大規模米農家を養成することを目的としてつくられた。ところが、入植が始まって間もなく減反政策が始まったのである。番組に登場した二人は減反に反対する運動を行ったが、結局は従わざるを得なかった。そういう時代だったのだ。
  その後、さらに農家を取り巻く状況が厳しくなり減反に従わずに作った米を販売する、いわゆる「闇米」を生産する人たちが出始めた。食管法当時それは違法行為であり、大潟村から村外に通じる道路では県警が検問をしたりしたものである。二人は減反を守る「遵守派」として「闇米」を生産する人たちを先頭に立って非難した。
  さらに時代が進み、世論やとくにアメリカからの市場開放の圧力により、米の輸入が始まり食管法による規制はなくなった。原則、農家が何をどう作るかは自由である。現在では、減反は(形式上は)農協が自主的に行っている。したがって、かつてのように「闇米」などと呼ばれることもないし、取り締まりの検問もないのだが、減反に従わない者は農協に米を売ることはできない。
  「遵守派」の人たちは結局国に裏切られたかたちになった。食管法廃止以降、米の値段は下がっている。当たり前だ、慢性的に供給過剰なのだから。そして、多額の借金が残った。
  二人の主張を聞いていて、国の農政の失敗はソ連邦崩壊の裏返しだと思った。二人は農業の復活を夢見て入植した。減反を強要されると一度は抵抗したが、一旦受け入れてからは減反にとにかく従うべきだと思うようになった。「自分のところが(大規模だから)うまくやれるからと言って、自分たちだけ生き残りを図るべきでない。農家は連帯すべきだし、そのために減反には従うべきだ」というのがその主張である。
  この主張は二つの点で誤っていると思う。まず、日本が民主国家だと言うことを見逃している。農業人口が減少し、他の産業に従事する人口が増加していくという客観的な情勢の中で、農業従事者の都合だけを主張しても受け入れられなくなる。民主国家ではもっとも尊重されるのが国民の総意であり、次に尊重されるのが国民の多数意見なのだから。現実に納税者の多くは農業に関わりがないのである。毎年毎年供給過剰な米を生産するために、国際市況と比較して数倍も高い値段を維持するべく多額の税金を投入することなどいつまでも容認されるはずがないのだ。まして、その農家を守るために諸外国に対して農産物市場を閉ざし、工業製品輸出に関して報復を受けるような選択を政府ができるわけがない。選挙の時どれほど公約していようともである。農家が連帯して農業の振興を図るのは結構だが、その原資が税金で、その方法が閉鎖市場での生産調整による価格カルテルでは賛意を得られまい。
  二つ目は、強者が弱者に合わせているとやがて力を失って全体として弱くなるということである。連帯すべきと言うのはその通りだが、そうだとしたら強者はますます力を増して余剰分を弱者に配分するべきなのであって、弱者に合わせて力を落とすべきではないのである。もちろん、米は供給過剰なのだからそんなことをすれば共倒れになってしまう。その上、このやり方ではソ連邦と同じ最期を迎えることになる。つまり、どれほど努力して多く生産しても結局弱者に配分されてしまう。ならば、努力は無駄である。弱者の立場になった方が楽なのだから、誰も努力して生産量を上げようとしなくなるのだ。かくして、根本的に何かが間違っていると気付くことになる。
  「直販もやっているが、本当は農家は良い米を作ることに専念すべきであって、販売などは手がけるべきではない」。気の毒だが、それは甘えである。作り手が考える「良いもの」と消費者が考える「良いもの」が一致するとは限らない。現在では消費者が考える「良いもの(良いサービス)」をどれだけ捕まえられるかに、企業はしのぎを削っているのである。それは製造業の下請企業でもそうなのだ。客先企業だけを見て仕事をしているようでは淘汰されてしまう。客先企業と一緒になってさらにその先の顧客(最後は消費者)の求めるものを作っていかなければならない。農業だけがそれをしないでもやっていけるわけがない。消費主導経済が正義か否かはともかくとして、現実に世の中がそうなっている時にそれに対応できなければ生き残ることはできまい。