2000年10月29日 蛙の子は蛙って言う気かよ
来春、知事選がある。
知事選挙はこの国の選挙制度のなかでは、ちょっと独特な選挙である。都道府県は日々の生活にはあまり関係のない組織である。民生は市区町村が担っている。言ってみれば中途半端である。一方、国政に比べて議会に対して首長の力が格段に強い。その知事を都道府県民が直接選挙で選ぶのである。内閣総理大臣が国会議員の談合で決まるのと比べてえらい違いだ。
知事選と都道府県議会議員選を比べると、その独特な位置付けがよくわかる。このところの東京都や大阪府、それに長野県を見ると、知事選は理念や流行(選挙用語では「風」というらしい)で選挙が行われている。これが議員選になると一転して利権選挙になる。だから理念や流行で知事になった人は孤立することになる。
投票する側も、議員の方が生活密着(ビジネスも含めて)な活動をしやすいので、知事は理念や流行で選んでも、議員は自分に利益をもたらすかもたらさないかで選んでいる。たとえその方法が不正なものであったとしても、利益をもたらす議員は「いい先生」なのである。そして、議員は議員である限りにおいて利益をもたらすことができるのだから、落選したら借金しか残らない。
秋田県の前知事は欠陥住宅公社、身内慰労会費(=「食料費」、費目の存在自体がいかがわしいと思うが)、カラ出張などの不祥事のために引責辞任した。そして、元県庁職員の後継候補を破って現在の知事(当時は新進党、途中県議選があったが一貫して少数与党県政)が誕生したのである。現知事になってからも、さば読み牧場公社だの、カラ合宿スケート連盟だの、事実上倒産大学だの次から次と膿が噴出している。前向きの仕事は新10ヵ年計画(前向きといえるのかな?旧態依然たるものだったゼ・・・)ぐらいのものである。よって、今のところ失政はないが、実績もない。
こういう状況での知事選に自民党が対立候補を立てるという。無論、政党なのだから候補を立てて戦うのは当たり前だが、候補選びの過程がひどかった。もう自民党的モノの考え方は過去のものなのだということを県民に印象付けるようなものだった。
初めに火をつけたのは、なんとJAだった。JAは自民党の支持団体である。ところが自民党に根回ししないまま現知事支持の声明を出したのだ。結局撤回されたのだが、これで自民党は大いに慌てた。次に出たのが、前大潟村村長の立候補に意欲を示す発言である。この村長は夏の選挙で引退し、後継候補を立てたものの、後継候補は破れて村長になれなかった。これは党の方でなだめすかしてやめさせたが、この人では出ても勝ち目はないのだから当然かと思う。次に出たのが現職の参議院議員である。が、これは党本部が参議院での勢力維持のため認めなかった。補欠選挙になって自民党が勝てるという保証がないからである。報道によると青木参院自民党幹事長が首を縦に振らなかったそうな。そして、最後に出たのが村岡兼幸氏である。名前を見て気がついた人もいるかもしれないが、村岡兼蔵元官房長官の長男である。
秋田県選出の国会議員にはこの村岡兼蔵氏と野呂田芳成氏という橋本派の大幹部がいる。村岡兼幸氏が自民党の推薦を受けるには野呂田氏の同意が不可欠である。現職参院議員の線が消えたことで野呂田氏がこれを容認、一気にその流れになった。
当然のことながら世襲批判が出る。「秋田県では蛙の子は蛙ということだ。トノサマガエルのおたまじゃくしは殿様になるが、アマガエルのおたまじゃくしはアマガエルにしかなれない」と言っているのと同じである。なにしろ氏を担いだのはJCの連中だ。奴らはほとんどが二代目、三代目の中小企業のオーナー経営者(あるいは取り締まられ役何も専務)だからな。
だが、それよりも問題なのは、村岡兼幸氏は引責辞任した前知事の時代と同じ一部の人間による談合政治に戻したい、と言っていることだ。曰く、「知事と議会と県民の対話」。要するに、知事と与党議員(自民党とひょっとしたら公明党も)と一部の利権団体によって議会以外のところで全てがきまる政治のことだ。
なるほどトノサマガエルのおたまじゃくしにはそのほうが環境がいいのだろうが、アマガエルにとっちゃあ、それはどうかな?