2000年12月10日 おしゃもじ市民運動
大王製紙の工場進出が撤回された。もう何年も延期を重ねた上の最終判断らしい。
大王製紙側の戦略については私の推測の域を出ないが、東日本市場をカバーする工場という位置付けのほかに対岸、すなわち中国市場への輸出を考えていたのかもしれない。紙は運送費がかかるので基本的には販売する市場の近くで製造するのが理想である。大王製紙はそもそも四国に基盤を持つ企業で、東日本には拠点が少なかった。そこへ秋田県および秋田市が誘致攻勢をかけたのである。
最初の躓きは工業用水だった。秋田県で新しく工業用水を引いて販売するのだが、値段が高い。これは別に秋田県だから高いのでなく、いまどき新しく工業用水を引いたらどこでもそのぐらいの値段になるのだが、現在ある工場の用水は進出当時の契約の値段のままが多いため、けた違いに安いのである。それなら現在ある工場の隣に作る方が用水のコストに限って言えば合理的である。そこで秋田県は値引き分に相当する補助金を大王製紙に交付することにした。
それを聞いた市民団体が訴訟を起こした。一企業に対して補助金を交付することは公営企業の中立性を侵し、違法であるというのである。このため大王製紙側は裁判の推移を見守るとして進出計画を延期した。一審判決は県側の敗訴である。
そこへ今度はダイオキシン問題が起きた。製紙工場からはダイオキシンが排出される恐れがあるのだ。もともと反対派は公害を問題にしていた。製紙工場はどうしても悪臭がでるし、排水もある。反対派の矛先は進出予定地の造成工事にも向かった。津波がきたら耐えられない、そうなったら工場が破壊され処理前の汚染物質が流出する恐れがあるという主張である。これも県側と単なる言い合いに終始して解決のめどが立たなくなっていた。
とどめは県の環境アセスメント条例制定である。これはつい先頃制定されたのであるが、この条例によると今すぐアセスに取り掛かっても結論が出るのに3年かかるという。
おそらく大王製紙側はずいぶん前から進出の意志を喪失し、撤回するタイミングを計っていたのだろう。当たり前の話だ。私が経営者でもそうする。民間企業にとって時間はコストなのである。行政や市民運動の時間感覚に付き合っていたのでは倒産してしまう。ともあれ、反対派の勝利が決定した。そして、反対派は県に次の要求を突きつけた。大王製紙進出撤回にまつわる経緯を県民に明らかにし、誘致できないにもかかわらず巨額の県費を投入して工業用水を建設した県の責任を明らかにせよ。
こういう物言いには胸がむかつく。進出撤回となった原因の大きな部分は反対派が起こした訴訟にあるのだ。自分たちが一生懸命妨害しておきながら、誘致に失敗したのは県の責任だというのは、人を殺しておいて「勝手に死によったんや」と言うのに等しい。
もちろん反対派の存在がすべてではない。市況、経済状況、大王製紙の固有の事情などいろいろな要因があるには違いない。補助金交付は違法であるという判決が出ている以上、県の法解釈が間違っていたということでもある。だが、妨害した当人が失敗したのは県が悪いなどというのはお門違いだ。
これは歪んだ「お上」意識の発露である。県は「お上」なのだから神のごとく正しくなければならない。県は「お上」なのだから民衆の敵に相違ない。県は「お上」なのだからやり方が気に入らなければ「一揆」を起こすしかない。その一方で、県民は主権者であり、県は県民に奉仕するのだから県民は県をいくら痛めつけても構わないし、県民の主張はどれほど矛盾していても県は無条件に従わなければならない。そのくせ、自分が県知事や県会議員選挙に立候補することは無い。自分の行動に責任をとるなんて真っ平御免だし、その必要は無い。なぜなら自分は県民だ、主人なんだ、わがままにしていいんだ。
こんな意識でいるからこの国の市民運動は長続きしないんだと思う。お祭り騒ぎのように盛り上がってすぐに消えてしまう。ぐずぐずしていて批判が起きたときに責任を問われるのが厭だからだ。まさにおしゃもじおばさんの論理である。素直に自分たちの勝利に祝杯を上げることもできずに、誰が見てもおかしい屁理屈をもってひたすら県を非難することを続けている。なぜなら、相手が県(や市町村、国)であればどれほど非難しても自分たちは安全だからだ。そんな真似して何を変えることができるというのか。
県は勇気をもって誘致失敗は反対運動のせいだとはっきり言うべきだ。事実を言うことが情報公開の第一歩である。