2000年12月25日  ピントはずれのハード・ワーカー

  うちの大ボスが死んだ。年寄りだし、入院してたしで特にショックは無い。喪主(息子)から葬儀の手伝いの要請が来て、通夜とあわせて延べ100人以上が出動した。今は弔電の整理をブーブー文句を言いながらやっている。
  大ボスは大ボスなのでシャソウをやる。来月である。その担当割り当てがきた。私のいるところは最後の直接の配下だったのだから、否やは無い。問題なのはその割り当て表の作成だった。サーバーに入っているファイルに書き込んでくれと言われたが、私のいるところは別法人になっているのでネットに乗っていない。そこでフロッピーをもらった。ファイルを開いたうちの女性が仰天した。ワードに罫線を引いた表が入っていたのだ。セル数でいったら数百になるかという表が。彼女は表を作りながら怒っていた。当たり前だ。何のためにビル・ゲイツん家で“エクセル”なるソフトを売ってると思うのか。
  この空欄の罫線による完璧な表は、いったい何時間かけて作ったのだろう?およそ効率の「コ」の字もない。この作成者は生真面目で有名な人だが、どうにもピントが外れている。誰か教えてやれよ。表はエクセルで作れって。(その前にグループウェアを導入しろって?そんなこと言ったって、うちの親会社にゃウェブ・マスターすらいないんだゼ。)
  実は、この人はうちの親会社が去年から復活させたQC運動の実行責任者であった。運動が復活したのは、おそらく役員の誰かが気まぐれから「昔やっていたリフレッシュ運動はどうした?あれはもうやらんのか?」と言ったからだろう。運動復活に当たって私のところに来て資料を借りていったのだが、そのときもピントが外れてるなあ、と思って見ていた。私が入社した当時、QCはリフレッシュ運動なる名称で行われていたが、既に形骸化しており3年程で消滅した。なぜ形骸化したかというと、運動のための運動になっていたからである。地区別に発表会をやり、優秀なグループが本社での発表会に出るのだが、発表会のためにやる運動になっていた。どうしてそんなことになったかというと、QCで発案された改善を日常業務の手順(それを記した恐ろしく難解で、本棚1列を占領するくらいのボリュームがある事務規程という書物がある)に取り入れるシステムが無かったからだ。したがって、QCを復活させるからにはその反省に立ってシステムから作らなければならない。これは誰だってそう思うところだろう。
  ところがである。復活したQCは最初の第一回から発表会で代表取締役が感涙に咽ぶだけ、という代物であった。社員の間での評判は散々である。発表会のために残業(おそらく超過勤務料は払われておるまい)して、発表会だからといって日常の業務を、お客様を放り投げて本店に行かねばならない。
  きっと件の生真面目氏は生真面目にQCを研究し、その方法から発表会にいたる段取りまで綿密に作ったのだろう。大変なハード・ワークであったに違いない。だが、残念ながら結果は発案した役員の自己満足と経費のムダに終わっている。生真面目氏は知らなかったのだ。うちの親会社の役員は実にしばしば誤りを犯すことを。だが、村上龍氏の言うように、いい大人にとって「知らない」ということは罪なのである。
  きっと、「それは間違っています。」と上司に向かって言えないのは、うちの親会社だけの問題ではないのだろう。今年連発した品質管理がらみの問題はそういう会社の体質が生み出したものがほとんどだと思う。だが、それでは会社は倒産する。そう、会社は必ず倒産するものなのだ。いまある会社はすべて倒産への道筋の途中にあると言っていいくらいだ。もういい加減に高度成長の夢から醒めなければならない。そうでないと一生懸命会社の為に働いて気が付いたらホームレス、あるいは上司の言うとおりに滅私奉公して結果は刑務所行き、ということになってしまう。