2001年4月15日  選挙雑感

  知事選挙が終わった。鎧袖一触の結果だった。開票が始まって数十分、開票率1%でNHKが当確を出してしまった。現職の寺田氏再選である。私が投票した候補が当選したのだから、一応結果には満足である。ただ、それは消極的選択であった。
  共産党公認の奥井候補が指摘していたように、寺田知事も村岡候補も土建屋出身で政策も考え方も大差ないのである。それではなぜ奥井候補を選ばないのか?理由の第一は安全策を取ったからである。事前の世論調査でも寺田知事優位(奥井候補はかすんで見えない)の結果が出ていたが、万が一にも村岡候補が当選することになっては困ると考えたから。理由の第二は奥井候補が農業保護というおよそ時代錯誤で超現実的な公約を、三人のうちで最も強くしていたから。農業についてはいろいろ主張したいことがあるが、要するにこの国の農業は過保護の果てに産業として成立し得ないものに成り果ててしまった。そして、いまや国庫も県金庫も底をつき、国も県も借金の証文を大量に売りさばいて子々孫々に多大なる試練を付回そうとしている。もう、農民にくれてやる金は無いのである。理由の第三は、ソ連崩壊以来、共産党は決して私のような貧乏人を救ってくれる政党ではないということがバレたからである。
  では、なぜ村岡候補では困るのか?以前、このページで「蛙の子は蛙って言う気かよ」と言ったが、選挙運動を見てその感を強くしたからである。この国ではどんな選挙でも選挙カーでテメエの名前を喚き散らすのが通例であり、どういうわけかみな同じ色のベベを揃えて鶯嬢から老年の運動員まで着せる(挙句の果てに「リサイクル品」という注意書きまでしてあったりする)。その意味ではどれもこれも一緒なのだが、最後の2日間ぐらいの村岡候補の運動員には首を傾げた。雇われの運動員かもしれないが、私より若いぐらいの野郎がお揃いの白いベベを着て二人組になってチラシを配って歩いていた。コイツラナニカンガエテルンダ?自分の行動に疑問を感じないのだろうか?チラシを配り歩くことが選挙運動なのか?しかも、彼らは「村岡です、よろしくお願いします」といって中身の無いチラシを配るだけで自分たちの主張をするでもない。さらにはアパートに投げ込んでいった二人などは出てきた私と顔を合わせていながら、挨拶も宣伝もしない。ナメテルノカ、コイツラ?
  私は選挙だからといって候補者がへりくだって、腰を低くして、頭を下げてお願いをすることに違和感を感じる。有権者に媚びることが選挙運動だなどというのは考え違いだと思う。堂々と自分の主張をすればそれで事足りるではないか。だから、私に頭を下げに来いというのではない。だが、現実に有権者が目の前にいるのに宣伝もせず、政策の主張もせず、ただアパートの郵便受けに、おそらくはゴミ箱に直行するであろうチラシを配るだけというのでは、程度を疑わざるを得ない。本気を疑わざるを得ない。そんな選挙運動ならしない方がマシであろう。
  昨日、午後7時30分ごろ、旧産業会館跡地という街のど真ん中にある空き地に村岡候補の運動員たちが大勢集まって道路に向かって旗を振っていた。雨が降り始めており、風がかなり強かった。お揃いのベベを着て、何かしら拡声器で喚き散らしていた。バカダンナタチノジコマンゾクダナ、コレハ。私のような貧乏人は選挙運動などにウツツをぬかしている余裕は無い。休みは休みで平日にできない雑事を忙しくこなさねばならぬ。誰もやってくれないからだ。私はここに集まったトノサマガエルの子たちとは生まれも育ちも違い、その上、仕事上彼らがどんな境遇にあり、どんな人間(そう、蛙ではない、彼らは人間だ)であるかある程度は知っている。本来、JCに集まっている人たちに、この不況の世の中で選挙運動などしている時間は無いはずなのだ。にも関わらずそうしているというのは、この世の中のあり方に憤懣やるかたなく、止むに止まれず立ち上がったのか。そうでなければ、そういう業界で仕方なく付き合っているか、または、もはやビジネスではまっとうに勝負できないから政治に擦り寄って税金にたかろうと考えているか、あるいは、本人に経営者としての自覚が欠落しているかどれかである。この無意味な旗振りのお祭り騒ぎを見て、おそらく一番最後の理由が多いのではないかと思った。こんな選挙運動しかできない候補に知事になられたのではたまらない。
  おそらく、自公保三党はこの敗北を、自民党に対する逆風と知名度の不足を上げて総括することだろう。一方で陰口として、本人と取り巻きの若さと力不足を言うことだろう。多くの場合がそうであるように、真実は陰口の方にある。世間をなめている、それを多くの有権者が感じてしまったのが敗因である、と私は思う。