2001年4月23日  リトマス試験紙

  政変だ!
  でも、何が変わるんだろう?3ヵ月で何ができるだろう?おそらく具体的なことは何もできまい。何もできないことが分っている状態で、何を変えるのかが試金石になる。
  そもそも、政治家に具体性がどこまで必要なのだろう?政治家の言う政策に具体性が無いなどという批判は、官僚の陰謀によって広まった考えではないだろうか?政治家がことの末々まで考えてそれを国民に提示するものならば、官僚などいらないではないか。あとは民間の業者に委託してしまえばそれでいいのである。いや、それ以前に、そういうことができる政治家がいるとしたらそれはもはや人間ではない。神である。要するに不可能なのだ。不可能を可能にするためには政治家はどうしなければならないか?官僚の言いなりになるしかないのである。まず予算があって、その予算に基づいて政策をでっち上げるしかないのである。
  3ヵ月でできること、それはそうした誤った考え方、幻想、情報操作を打破することであろう。政治家は理想を語るべきであり、未来を語るべきであり、現状の改善を語るべきである。それは、予算が何十兆円だとか、IT特別予算枠が5,000億円だとか、公共工事が前期比で何%だとか言うことではない。それは官僚の領分なのだ。政治家が公約し、国民が支持した理想の実現のために官僚がいるからである。そして、政治家は(つまり議員は)官僚の行動が国民の支持した理想から離れるものでないか監視しなければならない。
  この政変によって誕生する内閣が主張しているとおり改革をすすめることができるかどうかは、そういう理念的なこと、哲学的なことを最初に国民に示しその支持を得られるかにかかっている。それができるかどうかは、閣僚人事である程度分るだろう。既に、憂慮すべき発言が聞かれている。田中真紀子氏を入閣させるという話だ。馬鹿げている。
  田中真紀子氏には理想が無い。自分の理想があって、その理想と違う主張を批判するに当たり口が悪いというのなら良いのだが、田中真紀子氏の場合は誹謗中傷でしかない。理想が無い、少なくとも、国民に分るように提示しないからだ。選挙で(しかも身内の選挙で)いくら支持をもらったからといって、そのような政治家を入閣させることを国民は容認すまい。この国の国民はそこまで馬鹿でない。国民にとって田中真紀子氏は一種のトリック・スターなのだ。つっこみ芸人なのである。大臣にするべき人ではない。だいたい、総裁選で協力してもらったからポストで報いるなんて、それこそ自民党員にさえ忌避された自民党的なるものの極みであろう。
  今度の内閣がどの程度か、閣僚名簿の中に田中真紀子氏の名があるかどうかでだいたい分るというものだ。