2002年6月12日 覚悟があってやってるのか?

  本荘市の国立療養所存続を求める住民投票実施のための条例案が本荘市議会に提出され、僅差で否決された。国立療養所は言うまでも無く国立で厚生労働省が経営しており、これも言うまでも無いことであろうが赤字経営が続いている。これを地域住民にとって必要だから存続してくれという主張である。市民運動家が署名運動を行い、必要な条例の制定を求める直接請求に関して有権者の44%の署名を集めた。それを受けて市長が、存続はかなり難しいだろうという意見をつけた上で議会に提出、13vs11で否決された。
  この存続運動に対して私は以前から疑問を表明しているが、今回の結果を見てその意を強くした。負担をかぶる覚悟があってやっているのだろうか?この国立療養所は赤字である。赤字を補填するのは誰なんだ?本荘市には3万人強の市民がいて、そのうち何人が納税義務者か分らないが、その3万人は赤字補填についてどう考えているのか。自分たちのために存続して欲しいと言うなら、その赤字補填について自分たちが背負い込む覚悟があって言っているのか、甚だ疑問だ。
  私がこの国の市民運動に違和感を覚えるのは、未だに政府を「お上」=支配階級=「他者」と考えているフシが見えることだ。自分たちは「被支配階級」であり、政府の財布と自分たちの財布は違うと思っているように見える。本荘市民3万人が要求する存続を通せば、彼らも国民なのだから負担をかぶることにはなる。しかし、それは1億2,000万分の3万だ。残りの1億1,997万人に対して、自分たちの為に赤字補填の負担を被りつづけてくれ、と言っているのと同じことだ。いや、より正確に言えば、国の財政はムーディーズの言うように実質破綻しているのだから、負担は国債と言う形で子供たちや、まだ生まれていない子供たちが被ることになる。つまり、現在有権者でなく意思決定に参画できない人々に負担を押し付けることだ。

  本荘市民よ、本当にそれでいいのか?

  この国立療養所の存続を望むならば、自分たちがその分負担を被る方法を選択する方が理に適っているのではないか。その負担をすべて負うことが不可能だと言うことは分るし、それも結局は複雑な手続きを経て国に付回しになるのだとは思うが、少なくとも自分たちの意志として負担を被ってでも存続させるという覚悟が必要でないのか。療養所は国道7号線、つまり沿岸部に近いところにある。一方、本荘市の中心街はもう少し内陸に入ったところにあり、より内陸側の大内町との境界に近い辺りにまだ新しい総合病院がある。2つあるということをもっと深く考えてみる必要がある。この2つの施設をどう使っていて、今後どう活用していくべきかなどだ。そういう話がぜんぜん聞こえてこない(もっとも、メディアの偏向報道なのかもしれないが)。ただ無くなっては困るから存続させろ、ではないと思うのだが。