2004年3月28日 落選

  久しぶりに、ほんとーに久しぶりに、こいつを更新する。お前生きてたのかって?そう、生きてるよ。死にそうだったけど。ストレスに押しつぶされそうだったけど、ようやく一息ついたところさ。

 忙しくしている間に、女子マラソンのオリンピック代表が決まった。いまさらここに書かないけど、そりゃもう大騒ぎだったなあ。これでも現役アスリートの私にとっては、他人事ではない。
 そもそも2人(1人は去年の世界選手権で内定だったので)選ぶのにレースが3つあることがおかしい。TVの報道によると、世界には日本のような選考レースと過去の実績を併用する方法の国、1つの選考レースで一発勝負の国、選考レースを行わずに過去の実績で選ぶ国があり、強豪といわれる国は日本型の選考が多いのだそうだ。ただ、女子マラソンに出場枠いっぱい(各国3名)選手を出す国はむしろ少ないのだそうだ。世界的にはさほど盛んな競技ではないらしい。
 報道を見ていると、世間の皆々様方はオリンピックで良い成績を上げることを第一に選手を選ぶべきと考えているようだ。期待値の大きい選手を出すべきだという論調から、落選した高橋選手を選ぶべきだったという声が多いように思う。
 選手の論理は違う。選手というものは、自信があるものだ。自分を選んでもらえさえすれば、必ず良い成績を上げられるという自信がある。その自信が無ければ、最初から選考レースになど出ない。したがって、選考レースにおいて自分より劣るパフォーマンスしか出せなかった選手が自分を差し置いて選ばれることは承服できない。そもそも選考レースの日取りはずっと前から決まっており、自分でその日に向けて調整するのである。その日に、理由は何であれピーク・パフォーマンスを発揮できないのならば、それはピーキングという選手にとって重要な能力が劣っていることの証明でもある。そんな選手が選ばれるのか?
 自信があるならば、なぜ東京に出て高橋選手と勝負しなかったのか?それは、選考レースが3つあったからだ。そのことで選手を責めるのは筋違いというものだ。では、なぜ選考レースが3つあるのか。これは私の考えに過ぎないが、と断り書きを置いた上で、陸連の役員が選手に対して絶対的な支配権を維持するためである。日本の女子マラソンの選手ならば、誰でもオリンピックに出たいだろう。もし、2人の選手を選ぶのにレースが1つで上位2名、あるいはレースが2つで各レースで最上位1名という選考をしたならば、陸連の役員はまったく選考に関与することはできない。何しろ、マラソンは日本では人気のスポーツで、スタートからゴールまでTVで実況生中継される。結果は全国ネットで逐次放送されるのだ。そうなれば、選手は陸連の役員の意向など聞く必要は無い。選手の方が世間的には発言力があるからだ。選手は誰でも知っているが、陸連の役員の名前を知っている人が何人いるだろう。陸連の役員が選手に言うことを聞かせるには、選手がもっとも求めるものを抑えておく必要がある。それがオリンピック選手選考の権限であり、そのためには選ぶ選手より選考レースを多くしておく必要があるのだ。
 高橋選手は落選して失望したと同時に、ほっとしたのではないか。彼女自身選手で、選手の論理で考えれば、自分が選ばれると落選した選手がどんな気持ちになるか分かるから。それにしても、この国のスポーツの統括団体はレベルが低い。こうした団体を統括するということに関してスキルのある人間がいないのではないか。過去の選手時代の実績や、年上の役員に取り入ることで役員になった人ばかりのような気がする。
 陸連はオリンピック選手選考の方法を見直すそうだ。メジャースポーツはそういう点、うらやましいよなあ。世間の目があるから。それに引き換えマイナースポーツは、レベルの低いヤツらがやりたい放題・・・おっと、いかん、いかん。「物言えば、唇寒し、J●●F」くわばら、くわばら。