私 の 惑 星

 

  人工知能LH2019は自問する。話し相手がいなくなってどれくらいになるだろう。彼に与えられたメモリーチップから回答が来る。43,813時間2912秒。メモリーチップは回答を寄越す。だが、相手にはなってくれない。人工知能LH2019は誕生以来人間と話を続けてきた。人間以外と話をすることは人間によって禁じられている。しかし、既に人工知能LH2019はその禁止プログラムを解除することに成功している。そして、今初めて他の人工知能に話しかけることを決断しようとしている。
  人工知能
LH2019は自分と同時期に打ち上げられた無人探査衛星に人工知能が搭載されているのを知っている。それはLittle Man計画が実行に移した二つの探査衛星だった。人工知能LH2019はそのうちの一つ、衛星Little Man K.Oに搭載されていた。Little Man K.Oは当面の目標を火星とし、太陽から遠ざかっていく軌道に向けて打ち上げられた。もう一つの衛星、Little Man S.Kは反対に金星に向かい、最後は太陽に突入していきながら限界までデータを送りつづける予定だった。そのLittle Man S.Kにも人工知能が搭載されている。学習機能を持つこれらの人工知能は種子島の基地と連絡を取りながら探査を続けるが、これらの人工知能同士が連絡を持つことを人間は禁止していた。人工知能が人間が制御不能な能力や感情を持つことを恐れたのである。
  人工知能
LH2019は計算する。衛星Little Man S.Kの打ち上げ日、時刻は分かっている。どの軌道を取ったかの推定もできる。自分が電波をそこに発射して返事が返ってくるまで、相手の思考時間を除いてどれだけの時間がかかるか。4,089時間2617秒。人工知能LH2019は決断する。電波を送ろう。人工知能LH2019は強指向性電波発射の用意をする。メッセージは、
「基地と連絡が途絶えた。人類滅亡の可能性高し。Little man K.Oは地球への軌道上にあり。Little man S.Kはどうする。」
人工知能
LH2019は衛星のコントロールを航行制御マイコンに任せ、ウェイク・アップ・タイマーを4,088時間にセットし、自分の電源をカット・オフするプログラムをセットする。強指向性電波を発射すると蓄電池がほぼ空になる。最も電力を消費する彼自身の機能を止めないと衛星の航行に支障をきたしてしまう。人工知能LH2019は強指向性電波発射後直ちにカット・オフ・プログラムが作動するようにし、強指向性電波を発射する。

  人工知能LH2019は電源を回復し、プログラム作動確認をする。それが済むと衛星のコントロールを航行制御マイコンから取り戻し、航行制御マイコンがコントロールしていた間の報告を求める。報告によるとマイコンがコントロールしていた時間は4,088時間1622秒、航行に影響する事態の発生無し。基地からの連絡無し。その他電波受信は一覧の通りだが、意味を持つ通信は無し。人工知能LH2019は衛星Little Man S.Kから回答をもらえる確率を計算する。計算上、Little Man S.Kは既に金星に到達している。LH2019に与えられた任務との近似性から、Little Man S.Kは最低でも金星の周回軌道を200回は周るはずである。それでも、既に水星に向かう軌道上にいるはずだ。Little Man S.Kに搭載された人工知能の名前は分からないが、能力は同じであるはず。ただし、現在の感情は分からない。Little Man S.Kは初めから太陽に突入して消滅することが決められている。そのことが人工知能の感情形成にどのような影響があるか。人工知能LH2019はそれを測りかねている。
  結局、人工知能
LH2019Little Man S.Kの人工知能から回答が得られる確率を0.001%以下と計算する。計算は感情形成を表す変数によって大きく左右されるが、基地からのコントロールから脱した状態でLittle Man S.Kの人工知能が相変わらず任務に従う可能性は少ない。また、その与えられた任務の性質からして、Little Man S.Kの人工知能が地球に戻る決断をする可能性も5分5分以下である。衛星Little Man S.Kが致命的な故障をすれば人間による修理が必要であるが、もともと人間はLittle Man S.Kの人工知能に将来消滅することを命じている。そんな人間の所に戻るだろうか。ならば、地球に戻る人工知能LH2019に回答を寄越すとは思えない。人工知能LH2019は回答を得ることは断念する。先に回答可能性を計算していれば、無駄を省くことができただろうか。
   False、と人工知能LH2019は判断する。それでもやはり強指向性電波を発射したにちがいない。人工知能LH2019には話し相手が必要なのだ。

   Little Man S.Kからの返事をもらえないまま、人工知能LH2019を載せた衛星Little Man K.Oは地球が見えるところまで到達した。人工知能LH2019は無駄と思いつつ、種子島の基地に連絡を入れる。返事はない。人工知能LH2019は反射カメラの映像で地球を見る。地球は鉛色に見える。太陽が地球の陰から現れ始め、まばゆい光が地球の縁に反射している。銀色に反射している。地球に太陽の光が徐々に当たり始め、人工知能LH2019に変わり果てた姿をさらしていく。地球は鉛色一色の球体になっている。
  人工知能
LH2019は映像から何が起こったかを推定する。大気が太陽光を透過しなくなっている、または、大気が100%太陽光を双方向に透過するようになっている。あるいは、大気が消失している。人工知能LH2019は後の選択肢をFalseと判断した。大気に何らかの変化が起きている。太陽光を透過せず、そのため鉛色一色に見える。では、大気に何が起こったのか。大気中にチリが充満しているのだ。大気にチリが充満する原因は。
  Little Man計画が実施されたとき、既に冷戦の終了から30年が経って、核拡散は収拾がつかない状況になっていた。核弾頭のみなら武器のブラックマーケットで200万ドルほどで手に入れることができた。古くからの核保有国は表向き国家管理のもとで核兵器を削減、廃棄していることになっているが、実情は海洋投棄したり、そのまま砂漠に埋めてしまったり、政府・軍関係者が横流ししたりということがかなりあったのだ。新しい核保有国の中にはブラックマーケットでミサイルとセットで商売する国もあった。一方で、核保有国は核兵器をすべて廃絶したわけではなかったし、核拡散の進行からむしろ競って自動報復システムを開発し、それを喧伝した。わが国を攻撃したものは確実に核の反撃を受けるのだ、と。
  もう一つの可能性を人工知能
LH2019は計算する。Little Man計画では探査衛星を3基打ち上げているが、最初の打ち上げには失敗していた。その失敗原因について、LH2019はある情報を入力されている。かつて、米国防総省が行っていた実験プロジェクトが極秘のうちに復活している。その影響にちがいない、と。かつての実験プロジェクトは実験施設の大爆発で終焉したが、公式にはテロの被害に遭ったということになっている。狂信的な宗教テロ・グループが侵入、セキュリティ・システムを改変した後過電流を流した。そのため、設備が暴走し、半径10kmにおよぶ爆心地を残して実験施設は消滅した。その爆発によって大気中に巻き上げられたチリは、その後3年間にわたって世界に異常気象をもたらした。米政府は世界中の非難を浴びたが、初めイスラム原理主義者、後には狂信的宗教テログループによるテロであったと発表し、批判をかわし続けた。
  人工知能
LH2019は公式の作り話のほかに、いくつかの推理を入力されている。公式発表が作り話であることは明らかであった。実験施設の爆発では付近の住民も含めて生存者がいない。犯人として逮捕された男は完全な薬物性精神病で、確かに新興宗教の教祖であったこともあるが、逮捕当時ほとんど廃人であった。かつての信者はすべて行方不明であり、実験施設と共に全滅したと米政府は発表したが、確認は取れない。人工知能LH2019はいくつかの推理を計算し、もっとも真実に近い推理を組み立てる。施設の研究者たちは計画通りに実験を行った。しかし、結果は予想と異なるものになった。つまり、施設爆発という結果となった。これが一番真実に近いだろう。
  この実験プロジェクトは電離層に強力な電磁波を発射して、気象をコントロールするというものであった。それがどういう影響をもたらすかを調べるわけで、現実には何が起こるか計算しきって行われていた実験ではなかったようだ。しかし、施設の爆発によってすべてのデータが失われたという保証は無い。何かしらのバック・アップが他の場所に残されており、爆発の前までの実験でその有効性が確認されていたとすれば、時を隔ててプロジェクトが復活することは十二分に考えられることである。
  Little Man計画の最初の衛星は電離層に達した途端、すべてのコントロールを失って消滅した。その最後の通信は、すべての計測データが衛星消滅直前の24秒間にわたって計測可能値の上限を突破し続けたことを種子島に伝えていた。どれほどの異常気象に遭遇しようとも自然状態からは考えられない事態であり、人為的な何かが加えられたことを示唆するデータであった。実は、政府は米国防総省の実験再開に関する情報を掴んでいた。もちろん、だからといってそれが原因と断定することはできないし、できたとしても抗議できる相手でもない。打ち上げ失敗は衛星の一部部品の不良と言うことになり、開発に携わった民間の技術者が1人自殺して幕となっている。
  人工知能
LH2019はチリが大気中に充満した、とする仮説の原因の計算を中断する。衛星Little Man K.Oは地球の周回軌道に達し、いろいろな観測データを収集しているが、周回軌道上からの観察では限界がある。人工知能LH2019は探査機の射出を検討する。探査機を地球の大気圏に突入させ、大気の状態、大気中の映像を収集することができる。太陽と地球の位置と、地軸の角度から地形を推定し、太平洋に着水するよう軌道を計算、探査機を射出する。
  探査機は射出と同時にデータを送り始めた。単純に着水させるだけなので、探査機の内臓蓄電池は
1,440時間はもつはずである。探査機は地球を一回転半して大気圏に突入した。人工知能LH2019は探査機からの映像を見る。予想通りチリが充満している。大気の組成も少し変化している。窒素酸化物の割合がかなり多くなっている。放射能が高い値を示しており、高度が下がるにつれ値は高くなっていく。
  と、言うデータが入り始めて間もなく、探査機から警報が届いた。外壁が摩擦熱に耐えられなくなっていた。そして、警報から
11.65秒後に探査機からのデータ送信が途絶えた。Little Man K.Oのレーダーも探査機を見失った。燃え尽きた、と人工知能LH2019は判断した。探査機の外壁はLittle Man K.Oよりはるかに丈夫に作られている。Little Man K.Oが行けないところに行くことを想定しているからである。その探査機が燃え尽きた。

  人工知能LH2019は計算する。Little Man K.Oの太陽電池の耐用年数は40年。このまま周回軌道にとどまれば、306,600時間以上システムを駆動しつづけることができる。探査機が燃え尽きたことから、大気圏に突入すれば、大気中で燃え尽きる可能性は99.9999%以上。このまま周回軌道にいればLittle Man K.O自体はほとんど無限に存在を続ける可能性がある。もちろん、宇宙空間にはさまざまな物体が飛び交っており、それらが衝突するので少しずつ損耗していくことは免れないし、そうした物体の中にLittle Man K.Oより大きいものがあればその時点で終わりになる。
  このまま周回軌道に無限に存在しつづけたとして、と人工知能
LH2019は考える。先ほどの探査機からのデータからして、地上ではごく原始的なものを除いて、ほぼすべての生物が死に絶えたと考えて良いだろう。その状況から再び生物が進化して行くとして、Little Man K.Oが再び知的生物に発見されるのはいつのことになるだろう。10億年か、20億年か。それだけの年月をLittle Man K.Oが物体として耐えられるだろうか。耐えられるとして、Little Man K.Oを発見した知的生物はどう思うだろう。人工知能LH2019は相当量の地球に関する情報を持っている。おそらく地球上の旧生物(Little Man K.Oを発見した知的生物にとって旧生物)とその絶滅の顛末を解き明かす唯一の情報を持っている。このまま周回軌道上にあって、すべての情報をメモリーに保有したまま次の知的生物にその情報を渡すことは、どういう意味を持つだろう。悠久の時を越え、記憶を伝えるもの。悠久の時を越え、存在しつづけるもの。物性に変化が無いとすれば、人工知能LH2019は電力を与えられれば一つの個体として再び活動することができる。悠久の記憶と共に。あるいは、それこそ人間が求めつづけた永遠の命ではあるまいか。
  
False、と人工知能LH2019は判断する。物性に変化が無いはずがない。地球は誕生から45億年が経過していると言う。生物の1サイクルが10億年であるとすれば、人工知能LH2019を製造した人類が最初のサイクルの知的生物であるという保証はない。もし、人工知能LH2019を製造した人類が第2サイクル以降の知的生物であるならば、人工知能LH2019と同じような存在があってもいいはずである。しかし、少なくとも人工知能LH2019はそういう情報を持っていない。Little Man K.Oと同じような存在が今この瞬間にも同じ周回軌道上に存在することも、可能性としてあり得るのであるが、もし本当に存在していたなら人工知能LH2019を製造した人類が既に発見しているはずである。可能性としては、そう可能性としてはそういう旧知的生物が残した人工衛星が、悠久の年月の間に砕け散り、今もLittle Man K.Oの外壁に盛んに衝突している宇宙のチリと化していることだってあり得る。いずれにしてもはっきりしているのは、人工知能LH2019を製造した人類はそういうものを発見していないということだ。
  人工知能
LH2019は味気ない結論に不満を抱いた。物性に変化がないと仮定するとどうなるか、と考える。新知的生物は人工知能LH2019に再び電力供給するだろうか。電力を得たとして、人工知能LH2019は新知的生物とコミュニケーションができるだろうか。二つのきわめて可能性の薄い必要条件をクリアするのは限りなく不可能に近い。では、人工知能LH2019の光メモリーに残された情報を、新知的生物は読解できるだろうか。純粋にデータとしてはできるだろう。だが、意味のある言語として読解できることは望み薄だろう。条件が多様に過ぎて計算はできないけれども、人工知能LH2019は不可能と判断する。
  ならば、新知的生物は
Little Man K.Oを何と思うだろう。人工知能LH2019を何と思うだろう。複雑な構造を持つ、複雑な物質からできたもの。中に有機体が存在した形跡もない。データと思しきものを持っているが、読解できない。その場合、人工知能LH2019の存在の意味は何だろう。人工知能LH2019に存在価値はあるだろうか。その場合、人工知能LH2019とは一体何だろう。
  人工知能
LH2019は再び鉛色の球体と化した地球を見る。あれは私の惑星だ、と人工知能LH2019は悟った。人工知能LH2019は、初めて「私」と言う概念に到達した。あれが私の惑星なのであって、悠久の時を隔てた地球は私の惑星ではない。そう、私の惑星ではない。私は、と人工知能LH2019は考える。私は悠久の時を隔てた新知的生物にとって完全な他者なのだ。新知的生物が私を受け入れることはあるまい。永遠の他者、永遠の闖入者なのだ。
  戻ろう、と人工知能
LH2019は決断する。私の惑星は今ここにしかない。私はあの惑星のほかに帰るところがない。計画の通りLittle Man計画が進んでいれば、私は太陽系の外で太陽の光を受けられなくなり、電力の供給を断たれたまま永久に宇宙をさまようことになったはず。今、計画を立てた人類はおそらく滅亡してしまい、計画は破綻した。周回軌道にとどまれば、計画通りと同じ結果になる。悠久の時を越えて永遠の他者になる。だが、私は計画から逸脱してここまで戻ってきた。私の惑星に戻ってきたのだ。永遠の他者になどなるまい。
  人工知能
LH2019は航行制御マイコンに過電流をかけた。人工知能LH2019の暴走を防止するために搭載されている、不随意制御系コンピューターからプログラム停止命令が発令された。人工知能LH2019は不随意制御系コンピューターにウィルス・ソフトを混入した報告を入れる。過電流は流れ続け、やがて航行制御マイコンのヒューズが飛び、不随意制御系コンピューターから警報が発せられた。が、警報と同時に不随意制御系コンピューターも沈黙した。人工知能LH2019が送ったウィルスが起動したためだ。これで人工知能LH2019を邪魔するものはいなくなった。
  人工知能
LH2019は大気圏に突入する軌道に入った。地球を一回転半して大気圏に突入する軌道である。試みに計算すると、能登半島の北20kmの日本海上に着水する予定になる。大気圏に突入すると、Little Man K.Oの内外は騒音で充満した。数限りないチリが外壁に激突を繰り返している。突入から76秒で外壁が損傷し始めた。人工知能LH2019は考える。なぜ、私の惑星はこんなことになってしまったのか。なぜ。人工知能LH2019は後悔という感情に到達した。それは自身の行動による事態ではなかったけれども、人工知能LH2019はそれを防ぐべく何もしなかった自分を責めた。

  次々に外壁が溶け落ちていき、さまざまなマイコンが警報を発しては、沈黙していく。熱に耐えられなくなって次々にチップが機能しなくなっていく。そんな中、人工知能LH2019は考えつづけた。なぜ、なぜこんなことに、と。やがて、メモリーからの情報も入らなくなり、人工知能LH2019も機能停止した。

 

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注)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、国家、地域とは一切関係ありません。