ファイナル・コンタクト 

第1章

 

   一はシェルターの入り口に佇んで、赤い空から降り注ぐ黄色い雨を眺めていた。このぐらいの色なら弱酸性だろう。ガイガー・ワーニングは赤色の点滅で、防護服が必要であることを示している。しかし、防護服にどれほどの意味があるというのか。一は靴の爪先に視線を落として、三日前に受けた命令のことを考えた。このシェルターにやって来る男を待って、その指示に従え。軍司令部からの命令はいつものように簡潔で、そして意味がなかった。いまさらどんな作戦行動があるというのか。一年三か月前に三度目の世界大戦が起こって、人類、いや、世界は壊滅した。ほとんどの生物が死んでしまい、宇宙に浮かぶ土くれが残った。わずかに生き残ったものはその土くれに穴を掘って暮らしているが、それもそう長いことではない。もう冬が来るし、食料がほとんど残っていないのだ。
  再び視線を上げ、一は考え続けた。食料もなく、子孫を残す望みもなく、俺は生きていると言えるのだろうか。あの日、訳も分からず遠くで炸裂した火の玉を見た。目が眩んで、上ってきたばかりの地下道の階段を転がり落ち、しばらくは立ち上がれなかった。辺りが暗くなって、こわごわ目を開けたつもりが何も見えず、痛みに耐え切れずすぐまた目を閉じた。何度かそれを繰り返しているうちにうっすらと見えるようになり、気持ちも少し落ち着いてきた。右膝から出血しているように感じた。どれくらいの時間がたったのか分からなくなっていたが、どうにか立ち上がれる気がして、一は起き上がった。ズボンが破れて出血していたようだが、触ってみると血は既に乾いて固まっていた。立ち上がってみると、立ち上がることができ、歩くこともできた。手探りで手すりを見つけ、転がり落ちた階段を再び上った。空が翳って辺りはかなり暗かったが、目はどうやら見えるようだった。そこここに人が倒れていて、歩道の隅にうずくまって目を抑えてうめいている人もいた。車があちこちでガードレールや電柱、地下道の出口などにぶつかって止まっていた。黒焦げになって、まだ火がくすぶっている車もあり、人間の形をした消し炭が中に座っていた。一はとぼとぼと容子と待ち合わせをしていた駅の七番口に向かった。別れ話をするはずだった。
  毒々しい黄色と赤の風景の彼方に、光を反射する銀色の点が見え始めた。一は双眼鏡を向けたが、反射光が強くてなんだかわからなかった。こちらに向かって来る。一は中国製
AK47突撃銃のボルトを引き、安全装置を参の位置に合わせ、腰だめに構えた。光を反射するものは見る見る近づいて来て、六輪のAPCであることが分かった。エンジン音がほとんどしないところから、
EVだろうと一は思った。APCは一のいるシェルターから五メートルほど手前で止まったが、しばらくはそのまま静まり返っていた。やがて、側面のドアがスライドして、背の低い男が降りてきた。軍のプロテクターを着けており、無線機のユニットを装着している。胸の徽章から中尉であることが分かり、一は銃口を天に向けて直立の姿勢をとった。中尉ということはもっとも頼りになる手練ということである。
「渡部一軍曹であります、中尉殿。」
「藤岡だ。ご苦労。」
藤岡中尉は一の目を真っ直ぐに見返して言った。
「ここで燃料を補給して、北へ向かう。三つのシェルターを経由、燃料補給して北上を続ける。それぞれのシェルターでこの作戦の要員が一名づつ加わる。質問は。」
「最終目的地はどこですか。」
「教えられない。他に。」
「作戦の目的は何ですか。」
「それは最終目的地に着けば分かる。それから。」
「他にはありません。」
「よろしい。君は本日付で曹長に昇進する。徽章を取り替えろ。」
中尉は曹長の徽章を二つ一に渡した。一は受け取ると襟の軍曹の徽章と取り替えた。
「では曹長、燃料を補給してくれ、水素だ。」
それから中尉は微笑んで付け加えた。
「昇進のことは黙っとけ、俺とお前の秘密だ。」
一は黙って敬礼した。
  一がシェルターの中から水素ボンベをAPCに運び込む間、中尉は立哨していたが、二人とも危険は感じなかった。一は燃料ユニットの水素ボンベを交換し、はずした二本をシェルターの充填待ちの棚に収納したが、充填されることはおそらく無いだろうと思った。
「燃料補給終わりました。」
「ご苦労、すぐ出発する。運転は?」
「できます。」
「食事は?」
「終わりました。」
「では運転を頼む。私は食事をしよう。」
  一は中尉の後から自分のプロテクターを持って
APCに乗り込み、中央の運転席に座った。四式と呼ばれる最新のモデルの一つだ。一本レバーで方角と速度をコントロール、フットブレーキと左手で操作するアシストブレーキがある。グリップの左側に親指で操作する超震地転回のスイッチがあり、ピストル・グリップ・トリッガー・レバーが付いている。
「中尉殿、この
APCの砲は何ですか。」
左隣の運転席に座り、ガイガー・カウンターを操作していた中尉は一の方に向き直って答えた。
「運転レバーのトリッガーは9ミリ機関銃だ。レバーの付け根の青いスイッチを二つオンにすると照準機が出る。砲の向きはサブレバーでコントロールする。サブレバーの右のスイッチを押すと
APCの進行方向に固定されるが、その使い方はあまり良くないな。」
「火器はそれだけですか。」
「他に
36ミリ炸裂機関砲とK2ミサイルが二基ある。操作は左右席でないとできない。」
中尉は再びガイガー・カウンターに視線を落とすとカウンターのスイッチを切り、一の肩を叩いて立ち上がった。
APC内では防護服は要らない。目的地はディスクに入れてある。AFCR-9796を呼び出してお前のIDを入れると読める。」
  中尉が後部歩兵員席へ移ると一はエンジンを始動し、右手前のリード・アウトの情報が立ち上がるのを待った。画面には
Projectと文字が浮かび、次いでGOALの文字が出た。一が画面にタッチするとウェイティングの表示が出た。視線を中央の計器版に戻し、エンジンの調子をチェック、続いてサス、ブレーキ、それ以降はID入力が必要である。IDを入力するとしばらくウェイティング表示が出て、無線アダプタが立ち上がった。本部との通信はこちらから要求すると認証に時間がかかる。一は認証を得るまでの間、9ミリ機関銃の照準機を試し、左の席に手を伸ばしてリード・アウトを立ち上げ、ID入力してK2ミサイルの操作画面を呼び出した。K2ミサイルは国産のモバイル対空ミサイルで、発射装置ともで重量七キログラム強の優れものである。戦争の二か月ほど前に自衛隊に実戦配備され、特に火薬にハイテクが駆使されており、破壊力が大きい。APC
に装備される場合は、より精度の高い発射装置を並装する。そこまでは一も訓練で教えられていたが、APCに装着された状態で実際に扱ったことはなかった。ミサイル操作画面は一見してゲーム画面のようで、地形図の真中に照準の三角が表示されている。おそらく、操作レバーを構えると照準機が出て、目視と併用で追尾装置をコントロールするのだろう。
  本部から認証を得られ、正面のリード・アウトに検索要求画面が出た。一は
AFCR-9796の検索記号と自分のIDを入力しProjectのファイルを呼び出した。ファイルはオートラン式で、行軍行程図が現れた。最初の中継地は二俣沢のシェルターである。
「中尉殿、進発します。」
「よし。」
藤岡中尉は食事を済ませたらしく、一の右側の席に来て座った。一が
APCを前進させると、リードアウトはナビゲーション・モードに入った。この辺りの建物は戦後の混乱でほとんど焼失しているが、道路はほぼ無傷で残っていた。一はスピードを上げて七号線を北上した。
「気をつけろ。すぐに道路がなくなるぞ。爆心地の縁に出るからな。」
「どの辺りからですか。」
「昭和町に入ってすぐだ。」
「乱橋(みだれはし)の辺りですか。」
「地名は知らん。この辺は詳しいのか。」
「この辺の出身です。」
「そうか。」
  中尉の言う通り、程なく大きな穴が現れた。男鹿にあった自衛隊のレーダーサイトを狙ったミサイルが、少しばかり的をはずして落ちたのだと言われていた。おかげで、一の幼馴染が大勢死んでいる。もっとも、直撃で死んだ者の方が幸せであるかもしれない。一はAPCの速度を落とし、爆心地の縁に沿って田に乗り入れた。田といっても今は草一本生えていない泥濘地である。ギア・スイッチ・レバーをエクストラ・ロー・レンジに入れて慎重に進む。一度停車したら動けなくなってしまうからだが、暴徒にとっては格好の攻撃目標になる。
「中尉殿、この辺りに敵は。」
「感じないな。」
「そうではありません。」
「人間もいないはずだ。皆死に絶えたよ。」
やがて、爆心地を迂回し終えると、再び
APCは七号線に戻り、スピードを上げた。中尉によれば、後は二俣沢のシェルターまで道は大丈夫である。APCを操縦しながら、一は軍と出会った時のことを思い出していた。
  前日の夜更けに食糧を探しに出た一は、結局夜明けまでかかってしまい完全に明るくなってから戻ってきた。あの日から十日経って、毒々しい色の雨も夕立程度になり、空は不気味に晴れ上がっていた。一はたった今殺した中年男のことを考えながら、家路を急いでいた。平和な頃、一はパソコン関係の営業マンだったし、別に武術の心得があるわけでもない。しかし、食糧を得る手段はもはや略奪以外に残っていなかった。あの日から三日間は黒い雨が降り続いて、とても外に出られる状態ではなかった。幸い、一には食糧の買い置きがあったので、その間は容子と二人で食いつなぎ、四日目にはじめて容子を残して外に出てみた。スーパーやコンビニエンスストア、飲食店などは何処も略奪にあったと見えて無残に破壊されていた。もちろん食べられるものは何も残っていなかった。三十キロメートル
ほど北上すればカントリーエレベーターがあることを一は知っていたが、乗り捨てられた車の多くは破壊されているか、ガス切れで、容子を抱えている以上遠くへ足をのばすことはできなかった。歩いたのでは片道半日以上かかるし、途中の道路がどういう状況になっているか分からなかった。しかし、現実に食糧は無く、なんとかしなければ二人とも飢え死にしてしまう。
  最初、一がやったのは押し込み強盗だった。人の気配のする建物に目星をつけ、男が外出するのを見届けた上で、鉄パイプを片手に押し込み、女、子供、年寄りを相手に脅しつけて食糧を奪う。最初の二日間は脅せば暴力を振るわずとも食糧を手に入れることができた。しかし、その後は死に物狂いの抵抗に会うようになった。皆、食糧が手に入らないということを本当に理解し始めたためである。いかに自分が生きるため、容子のためとはいえ、女、子供や年寄りに暴力を振るうことに抵抗があった一は、やり方を変えることにした。結局人間考えることは皆同じで、暗くなってから食糧の略奪に走る。そこで、一は夜半過ぎに出発し、明け方にかけて略奪に成功し戻ってきた男を狙って上前をはねることにした。この方法だと相手にするのは一仕事終えて疲れた男になるのだが、本格的な格闘になるため、勢い殺すことが多くなる。一は最初の一人の時から良心の呵責など微塵も覚えなかった。それどころか、相手を倒し、自分と容子の食糧を獲得することに爽快な達成感さえ感じていた。そんな自分が不思議だったが、むしろ、女、子供から脅し取ることのほうによほど自責の念を感じていた。一は何の躊躇も無く、最初から相手を殺すことを考えることができ、一直線に急所に致命傷を与える攻撃を仕掛けることができた。ただ、なぜそんなことができるのかは、軍に入ってから教えられるまで自分でも分からなかった。
  その日殺した中年男は、一にとって五人目の殺しだったが、この男はいままでの男たちとは違い、食糧を差し出して命乞いをした。確かに腹の突き出た中年男にとって、若い人殺しの一と闘っても勝ち目は無かっただろう。だからといって、食糧を確保できなければ結局飢え死にが待っているだけである。今までの例から、一は一度手に入れた食糧は子供といえども死に物狂いで守ろうとするのを知っていた。不審に思った一は、命乞いをする男に尋ねた。
「おまえ、その食糧、惜しくないのか。」
「い、い、命あってのもの種だ。」
「食い物がなけりゃ、死んじまうだろう。」
「ま、また、手に入れればいいからな。」
「そんな間単に手に入るのか。」
「いくらでも手に入る。」
「どこで。」
「どこでもだ。人間はまだそこら中にいるからな。」
「何だって。」
一は絶句した。男が差し出した包みを引きたくり中を開くと、何やら赤くつやつやと輝く肉の塊が入っていた。
「これは何だ。」
「肝臓だよ。肝臓。若い女のな。」
「死体から抜いたのか。」
「…」
「どうなんだ。」
男は地べた這いつくばったまま、一を見上げてニヤリと笑って言った。
「い、い、いや。生き胆だ。犯して、それから生かしたまま水に漬けて、抜いた。それが一番うまいからな。」
一は包みを男の顔に叩きつけ、鉄パイプを男の脳天に振り下ろした。一撃で男は昏倒したが、怒りにまかせて何度も何度も頭が粉々になるほど振り下ろした。
  周囲に視線を感じて、一は我に返った。辺りを見回すと、小さな女の子が、あの包みを抱えてしゃがんでいた。女の子は一と視線を会わせたまま、ゆっくりと立ち上がった。そして、腰を落とした姿勢のまま、視線をそらさず後ずさりし始めた。その目は一が何度も見た、食糧を死守しようとする獣の目だった。やがて、一との距離を十分にとった女の子はくるりと後ろを向くと、一目散に走り去った。一はしばらくその後ろ姿を見ていたが、男の死体に最後の一瞥をくれると、暗澹たる気持ちでその場を後にした。その日はもう一度改めて略奪を試みる気持ちにはなれなかった。ひどく疲れを感じて、とにかく容子のそばで休みたかった。
  そんな一の気持ちは、容子の待つマンションに近づくにしたがって不安に変わっていった。人間を食糧とみなすなら、目の見えない容子は格好の獲物である。一はいつのまにか走り出していた。一と容子が住んでいたマンションの少し手前の立体駐車場を左に曲がった途端、一はギョッとして立ち止まった。次の瞬間、今曲がった角を逆戻りするようにして飛び下がり、立体駐車場の壁の陰に隠れた。壁に背をつけたまま、荒い呼吸を押さえながら耳を澄まして辺りの様子に気を配る。そろりそろりと壁の陰からマンションの方を覗いて、一はそこに武装した三人の人間を確認した。三人とも黒っぽい軍服のようなものを着て、二人は自動小銃を、もう一人はそれより大きい軽機関銃のようなものを持っている。軽機関銃はヘルメット、あとの二人は無帽で、髪は短く刈り髪の色は黒であった。一のところから距離にして八十から百メートル、距離があるので表情までは分からないが、日本人か少なくともアジア系に見える。このときの一には軍隊の知識など無かったから、そいつらが持っている銃がなにかまで見分けはつかなかったが、いずれその武装からして本物の軍隊であろうことは分かる。訓練を受けた武装兵と戦うことはそのときの一にはできなかった。三人は何か話をしたりしながら、手持ち無沙汰そうに立っていた。時折四方に視線を向けたが、一には気付かないようだった。一の方にも話し声までは聞こえない。
  壁の陰からじっと三人を伺っていた一は、突然背筋に冷やりとしたものを感じ、激しい後悔とともに振り向きざま体を沈めて鉄パイプを横になぎ払った。鉄パイプは背後から近づいていた奴の膝の上辺りに当たって乾いた音を立てた。手に激しい衝撃が走り、一が鉄パイプを落とすのと、もう一人別の奴が一の耳の後ろに皮棍棒を叩きつけるのが同時だった。一は気を失った。

  「曹長、曹長…」
一は中尉の声で我に返った。
「はい。」
藤岡中尉は苦笑して、
「曹長と呼ばれることに慣れろ。二俣沢のシェルターからは隅田竜子伍長が合流する。」
「はっ。」
「二俣沢のシェルターで指令部からの指示を待つ。」
「はい。」
 
APCは路上に倒れているかつての信号機の残骸を踏み越えて、誰もいない交叉点を右折した。これより先は町道で道幅が狭くなる上に、かなり幅が広く深さもある側溝が両側にある。道の両側には家々が連なっており、概ね破壊されずに残っているように見える。曲がりくねった街路を進んでいくとやがてY字路に出た。一は行軍行程図のナビゲーションに従って、左の林道に進路を取った。林道は未舗装で道幅も狭く、すれ違いも難しいほどである。APCは幅が三メートル近くあり、脱輪しそうな感じがする。左に脱輪すれば谷底の沢に転落し、右に脱輪すれば斜面に乗り上げて横転する。
「監視は俺がする、運転に集中しろ。」
「はい。」
「二俣沢は道なりに真っ直ぐだ。シェルターは道が行き止まった所の祠の下にある。」
道は沢沿いから枯れ果てた林の中に入り、勾配がきつくなった。林の中をうねりながら登っていった道は、やがて林の中にぽっかりと穴が開いたように木の無い平坦な広場に出て、行き止まりになった。一は広場の中心に真っ直ぐ
APCを乗り入れて停車した。
「カメラを右にパンして見ろ。」
中尉の指示で一は監視カメラを操作し、
APCの右側をゆっくりとパンした。画面には枯れ木の林が始まる手前にある小さな鳥居が映し出され、一はそこでカメラを止めた。
「これですか。」
「そうだ。本部経由で接触してみろ。通信回線は確保してあるな?」
「はい。」
一は通信ユニットを立ち上げ本部経由で二俣沢シェルターにアクセスした。返答は無い。コール・ブザーを鳴らす指示をした。ブザーが鳴った表示が出る。しかし、返答は無い。一は三度ブザーを鳴らし、中尉に報告した。
「返答ありません。」
「しばらく様子を見よう。9ミリをスタンバイしておけ。」
一は9ミリ機関銃のスイッチを入れ照準機を出すと、照準を目視からスクリーンに切り替えた。微かにモーターの回転音が聞こえ、照準機の画面がグリーンに変わった。一は照準機越しに鳥居を見て、その奥に祠ではなくて洞窟の入り口があることに気付いた。祠は洞窟の中にあるらしい。
「よし、出てみよう。」
モーション・トラッカーを使って周囲を確認していた中尉が立ち上がった。二人は後部の歩兵員席に移り、防護服とプロテクターを着ける。防護服は九十秒、プロテクターは六十秒で装着できるように軍では訓練される。中尉は左側のスライド・ドアの左に立ち、一を見た。一はドアの正面に立ち、AK47の安全装置が参の位置になっているのを確認して構え、中尉に肯いた。中尉がドアを開ける。
  立ち枯れた針葉樹の森が黒々と立ちはだかっている。一は視線の届く限り何者もいないことを確認して中尉に肯く。中尉が左手で前進の指示を出すと、一は一気に
APCから五メートルほど駆け出してくるりと回れ右して銃を構えた。何も起こらない。中尉は銃を構えたままゆっくりとAPCから降りAPCのドアを閉めると、左手で一にゆっくり前進の指示を出す。一は回れ右して銃を構え直し、左右を警戒しながら前進する。中尉も五メートルの距離を保って前進するが、左右のほか後ろも警戒する。 
  やがて一は鳥居に達し、右の柱に右の肩をつけるようにして中尉を振り返った。中尉は鳥居の奥にある洞窟の入り口の右側を指差した。一は振り返ってしばらく左右を見まわしたのち、一気に洞窟の右側に走り入り口の岩壁に背中を叩きつけるようにしてへばりついた。中尉も走ってきて、左側に貼りつく。おかしな洞窟だった。突然林の中に五メートルもある岩が盛り上がって、その中央に穴があいている。一は用心して中を覗きこんだが、奥のほうまで光が届かないので、木製の観音開きの扉があるらしいことぐらいしか分からなかった。一が目を合わせて首を振るのを見て、藤岡中尉は信号銃から発光弾を取り出した。発火点を自動小銃の台尻に叩きつけて発火させ洞窟に投げ込む。やや黄色味がかった光が洞窟の中をまばゆく照らし出した。奥に一メートルほどの高さの木製の祠がある以外何も見当たらない。中尉が肯くのを見て一は洞窟の中に入った。ぐるりと見まわすが誰もいない。一は用心しながら祠に近づいて扉に手をかけて中尉を振り返った。中尉は洞窟の中に入ると一旦後ろを振り返り、異常が無いことを確認、再び一の方を向いて肯く。一が扉を開いた。祠の中には何も無い。床が抜けていて、階段が下っている。一は指で斜め下を指し示し、祠の下へ降りられることを中尉に伝えた。中尉が近づいてきて覗きこんだ。その時だった。
  突然、天井から何者かが二人の背後に降り立った。二人が気配に気づいて振り返ろうとすると、そいつは小さいが鋭い声で言った。
”D’ont  move! Hey  don’t  even  think  of  it.”
中尉が自動小銃を左手で持ち、右手を軽く上に上げて、
「隅田伍長だな。藤岡中尉である。」
と言ったが、相手は無言で銃を向けたままだ。一は小銃の銃口を天井に向け、トリッガーには指をかけたまま、そろそろと振り返りかけた。
「動くなと言ったはずだ。」
再び鋭い声が言った。中尉が一に首を振って言う事を聞くように指示をした。
「両手を挙げて、ゆっくり後ずさりして外へ出てもらおう。」
「銃は?」
「左手に持って高く差し上げろ。」中尉はその通りにし、一に目顔で言う通りにしろと指示した。一は激しく舌打ちしたが、同じように左に銃を持ったまま両手を差し上げた。舌の付け根の辺りから苦い液体が大量に噴出し、それを飲み下しながら一は中尉とともに後ずさりを始めた。
  洞窟から五メートルほど出たところで、
「そこで止まれ、動くな。」
と言われ、二人は両手を挙げ相手に背中を向けたまま立ち止まった。やがて、
APCの扉が開く音がした。一は素早く振り返り銃を構えて歩き出したが、中尉が肩を掴んで制止した。一は眦を裂いてAPCを睨めつけ銃を構えている。アドレナリンが身体中の血管を駆け巡る。全身に燃えるようにエネルギーが渦巻き、筋肉がしなやかに馴染んでいく。逆に心は冬の青空のように静かに研ぎ済まされていく。それでもアドレナリンの分泌が止まらない。
「やめるんだ、曹長。」
中尉が制止したが、一は銃を下ろそうとはしない。中尉は一の襟髪を掴んで引き寄せ、間近から一の目をまともに睨みつけて再び命令した。
「や・め・ろ、曹長。」
二人はそのまましばらくにらみ合ったが、一が右手を銃から離したのを見て中尉は一を乱暴に突き放した。
  二人はそのままにらみ合いを続けていたが、
APCからさっきの相手が降りてきたのに気づいて、そちらを振り向いた。APCから降りてきたのは軍のプロテクターを着けた伍長で、頭は丸刈りであったが明らかに女だった。伍長は左手で小銃の銃身を掴んだまま、右手だけで敬礼した。
「隅田伍長であります。」
「藤岡だ。指令は聞いているはずだ。」
隅田伍長は答えない。中尉は少し舌打ちして、
「まぁ、いい。ここで司令部からの指示を待つことになっている。シェルターに案内してくれ。」
それから一の肩を叩いて、
「渡部一曹長だ。」
そう言うと、洞窟の方に歩き出した。隅田伍長は一に改めて手だけの敬礼をすると、中尉を追って洞窟の方に歩き出した。すれ違いざま一と視線がぶつかったが、双方とも何も言わなかった。一は強暴な目つきで伍長の背中を見ながら右手で唇を拭うと、後に続いて洞窟に向かった。
  洞窟の中の祠には下りの階段がついており、地下のシェルターに降りられるようになっていて、床が無かった。だが、同時に天井も無く、上に登られるように梯子がついている。隅田伍長はこの梯子を登り、洞窟の天井に掘りぬかれた横穴を伝って中尉と一の背後に回ったのだろう。一は梯子を見上げて少し顔をしかめ、左手をつきながら慎重に階段を降りた。発光弾は既に消えており、階段は真っ暗だった。一は階段の数を数えながら降りていったが、二十五段ごとに少し広い段があり、七十五段降りたところで扉に突き当たった。一が着くのを待って隅田伍長が鍵穴に人差し指を入れた。すると扉から赤い光が漏れ、隅田伍長はそちらに顔を持っていき、赤外線光に右目を当てた。赤外線が消え、一瞬、二瞬、モーター音とともに扉が開いた。
  扉の向こうは長い廊下になっていた。五メートルおきに小さな青白いフットライトが左右互い違いに点いている。かなり大掛かりなシェルターである。一が中尉を迎えた防空豪程度のものとは桁が二つ三つ違っている。これならこの廊下だけで三百人は収容できる、と歩きながら一は思った。ここはシェルターと言うより、ほとんど基地の規模がありそうだ。動力も生きている。廊下の先にはエレベーターがあり、ここでも認証が必要で、隅田伍長が指紋と声紋で認証し、三人はエレベーターで降り始めた。エレベーターは十秒ほどで停止し、頑丈な扉の前で今度は声紋と暗証番号で認証を求められた。
  一はまばゆい光を受け目を細めたが、実際には光は弱めてあった。徐々に強くなっていくようにセッティングされている。隅田伍長が先に立って大きなホールを歩いていく。ここも三百人ほど収容できそうだ。天井が高く五mはあり、入り口の上の壁に大スクリーンがある。一が訓練を受けた黒又山の地下基地にそっくりの造りだった。おそらく、先祖の残した遺跡で、一万五千年以上前に作られたものだろう。ただし、規模はその十分の一ほどである。奥にコントロール・ブースがあり、三十ほどのユニットが取りつけられているが、リード・アウトから光が漏れているのは中央後ろの一つだけだった。司令官のユニットである。隅田伍長は司令官のユニットに座ると、中尉の顔を見た。
「司令部を呼び出せ、AFCR-9796、それとお前のIDだ。」
「了解。」
司令部が認証を与える間、中尉が伍長に尋ねた。
「動力は永久回転体か?」
「おそらく。」
「おそらく?」
「自分は技術兵ではありません。」
「そうか。燃料補給したことはあるか?」
「ありません。」
「では、間違いあるまい。食料は?」
「一人なら三か月程度あります。」
「他に兵員は?」
「自分一人であります。司令部が出ました。」
リード・アウトに Projecr の文字、続いて No  order と出た。
「私がやろう。」
そういうと中尉が伍長と代わった。中尉の座ったユニットを挟んで一と反対側に立った隅田伍長は、コントロール・デスクに立て掛けていた自動小銃を右手で掴みトリガーに指をかけた。銃口は天井に向けているが、いつでも使える状態を保っている。一がそうしていたからだ。中尉はコントロール・ユニットを操作しながら二人の方は見ないまま言った。
「二人ともいい加減にしろ。私闘は許さん。今後一切だ、いいな。」
一と隅田伍長は目を合わせ、同時に銃を下ろした。軍では兵がトラブルを抱えて決闘で解決することがあったが、その場合でも本来は司令部に届け出て軍法会議によって認められることが必要であり、作戦行動の最中に行われることはない。だが、それもこれも軍が力を保っていてこそのことだった。地球上の生物がほとんど死滅する状況では、もはや末端の兵士を統率することは困難になっており、前線司令官の力量次第になっている。つまり、藤岡中尉は二人を抑えるだけの力量を十分に備えている、と一も隅田伍長も認めたということだ。
  「今夜はここで夜営だ。」自分のIDで司令部と通信していた中尉が振り返って言った。
「明日の朝ここを出て七号線を北上、鹿ノ浦のシェルターに向かう。」
一と伍長は目を見合わせた。一が尋ねた。
「津軽ですか。」
「いや、その手前、岩館だ。」
「製鉄遺構ですか。」
「おそらく。」
今度は伍長が尋ねた。
「なぜ今出発しないのですか。」
「シェルターからの連絡が途絶えている。鰺ヶ沢から要員が確認に向かっていて、今日中には報告が来る。それを聞いてからだ。」
伍長の目が暗く光るのを一は見逃さなかった。間違いなく同族の女だ、と一は確信した。同族の女を見るのは初めてだった。
  その夜、三人は二俣沢シェルターの大ホールに泊まった。シェルターの中なので、特に見張りを出さず、夜営というほどのことでもない。ここは古代のアスファルト生成工場であったところであるが、今は大ホールと廊下のほか三つの倉庫と動力室しかなく、やはり基地ではなくシェルターだった。三つの倉庫のうち一つは空で、一つは食料庫、もう一つは武器やプロテクター、正体の分からない機械が納められていた。それらは遠い祖先が残したものだが、今となっては使い方も製造法も分からないものがほとんどだった。
  一が自分の祖先、阿蘇部族について知ったのは、軍の訓練教育においてである。それまでは自分の祖先などと言うことは考えたことも無かった。伝説によると、阿蘇部族は一万八千年ほど前、まだ津軽と大陸が陸続きであったころに中央アジアの北部からやって来た。彼らを率いてきたのは手長王と呼ばれる王で、優れた文明を持つ勇猛果敢な戦闘民族であったという。しかし、津軽に定着してからは文明が加速度的に退廃し、やがて四千五百年前に大陸から渡ってきた漢民族系の津保化族に圧迫されていく。その上、阿蘇部山の大噴火により民族の多くと文明遺産のすべてをマグマの下に失い、歴史の舞台から消えてしまった。しかし、完全に消え去ったわけではなかった。戦闘民族阿蘇部族は優秀な傭兵として歴史の闇に生き続けた。時には、「風魔」のように異なった名前で歴史上に現れたこともあったが、その場合でも正体不明の魔物や犯罪者、狂人扱いされていることがほとんどである。第二次大戦後、阿蘇部族は新興宗教団体を隠れ蓑に結束を回復しはじめた。先祖伝来の敵、阿蘇部山を噴火させ民族を事実上滅ぼした地球外生命体の攻撃に備えるために。それが、一が所属している軍の前身である。
  不味いが栄養だけはきっちり考えられている軍の保存食料でその夜の食事を済ませると、中尉は二人に明朝07
00出発の指示を与えた。司令官のユニットでこのシェルターの機能をチェックしている中尉に背を向けて、一と隅田伍長はユニットに腰掛けて今は使いようのない大スクリーンを眺めていた。やがて一の方から伍長に話しかけた。
「中尉を手伝わなくていいのか。」
「自分のIDは下士官用ですから。中尉の方が多くの情報を司令部からもらえるでしょう。」
「君は軍歴は長いのか。」
「戦後です。」
「ずいぶん軍隊言葉が板についている。」
「その方が楽だからです。曹長殿は?」
「俺も戦後だ。」
「なぜ、軍に?」
「拾われたんだ。」
「拾われた?」
「行き場所がなくなってな。」
隅田伍長はまじまじと一の顔を見詰めた。
「でも、曹長殿は生粋の阿蘇部族でしょう。」
「そうだ。軍に入るまでは知らなかった。君も生粋だな。」
「ちがいます。自分は敵を感得する能力はあまり強くありません。」
「だが、闘いは強そうだ。」
伍長は目をそらしてつぶやくように言った。
「戦闘は子供の頃からやらされました。」
「子供の頃から?」
伍長はうつむいて答えない。一もそれ以上は追及しなかった。
  軍に入隊するには阿蘇部族の血を引いているか、軍以外で軍事訓練を受けた経験があることが必要である。阿蘇部族は、鼻骨の隆起が高い、頤が発達している、興奮するとアドレナリンを大量に分泌する、好戦的で格闘能力が高い、などいろいろな特徴があるが、決定的なのは「敵」を感得する能力である。「敵」は姿も見えず、音もたてず、コミュニケーションもまったく不可能である。この「敵」の存在を感じることができること、これが阿蘇部族であることの決定的な証拠である。この能力には個人差があるが、それが阿蘇部族の血の濃淡によるものかどうかは分からない。したがって、一と隅田伍長は「生粋」という表現を使っているが、真実のところは分からない。ただ、将校以上になるにはこの能力の高いことが要求されるため、隊内ではこの能力の高い者を「生粋」と呼んで尊敬していた。一はこの能力に特に優れており、それで軍に拾われたのだ。

   一が軍に出会ったのは、食料の略奪に失敗し容子の待つマンションに戻ろうとして、三人の東洋人の武装兵を見た時だった。その三人に気を取られて、背後に近づいてきた軍の兵士に遅れをとってしまった一は、耳の後ろに一撃を食らって失神した。気が付くと、一はマンションから少し離れた小学校の中庭にいた。甲冑に身を固めた兵士たちが黙々と動き回っている。起き上がると左の耳の後ろに鈍い痛み広がった。顔をしかめて左手で耳の後ろを恐る恐る撫でている一の前に、一人の兵士がしゃがんだ。
「お前、日本人か?」
一は兵士を睨みつけたまま、答えない。
「日本語は分かるか?」
それでも無言でいる一としばらく睨み合った後、兵士はうんざりして目をそらすと、次の瞬間左のバックハンドで一を殴りつけた。一はそれを左頬で受けしばらく右を向いていたが、血の混じった唾液をベッと吐き出すと、おもむろに正面を向いて再び兵士を睨みつけた。兵士の後ろから別の兵士が近づいてきて尋ねた。
「どうだ?」
尋ねられた兵士は一と睨み合ったまま答えた。
「何もしゃべりません。」
後からきた兵士が先の兵士の肩を叩いて、
「俺が代わろう。」
と言うと、先の兵士は一と視線を合わせたままゆっくりと立ち上がった。一も視線をそらさない。しばらくそうやって睨み合いが続いたが、やがてその兵士はゆっくりと振り返ると歩み去った。
「この辺りに住んでいるのか?」
後から来た兵士がしゃがんで尋ねた。一はじっとこの兵士の目を睨みつけた。
「日本語は分かるだろう。私は敷島。お前は?」
「渡部。」
一は相手が名乗ったので、自分も名乗った。最初の男より、こちらの方が階級が上だと思った。
「この辺りに住んでるのか?」
一は無言で肯き、尋ねた。
「あんたらは何だ?」
「我々は軍だ。」
「軍?自衛隊か?」
「違う。軍だ。」
この敷島と名乗った男の言うことが理解できず、一は困惑した。
「…米軍?」
敷島は少し笑って、
「違う。ぜんぜん違う。」
しかし、それ以上は説明せずに、別のことを一に尋ねた。
「正確には何処に住んでいる?」
「あのマンションの三階。」
一は斜め左五百メートルほど先にある自分が住んでいたマンションを指差して言った。
「一人か?」
「…。」
「家族がいるのか?」
「…。」
一が答えないでいると、敷島は言った。
「家族がいるなら、あきらめろ。もう生きてはいない。」
「…何があった?」
敷島の答えは、そのときの一には予想もできないものだった。
「半島から侵入した奴らが略奪を働いた。」
「半島?」
「おそらく、北朝鮮の軍隊くずれだ。中国領内に入っていて助かった部隊だろう。司令部が壊滅して今は山賊みたいなものだがな。」
一は咄嗟に理解できない。その様子を見て敷島が言葉を継いだ。
「朝鮮半島は壊滅したそうだ。ここよりはるかにひどいらしい。それで奴らは海軍の舟艇を使って日本に渡った。はじめは岩崎村のあたりに上陸したらしい。略奪を続けながらここまで南下してきた。我々は北上して、ここで奴らと遭遇した。奴らを追って南下してくる友軍の到着を待って、攻撃する。」
「ちょっと待ってくれ、よく理解できない。あんたらは一体何の軍隊だ?何のために戦う?」
「我々は阿蘇部族の軍隊だ。ここは我々の土地だ。侵略者とは戦う。」
「はぁ…???」
敷島は声を出して笑った。
「一度に理解は難しい。いずれ、もうすぐここで戦争になる。お前はとりあえずここを動かないことだ。」
全身に甲冑をつけ鉄兜を被り、面当てとゴーグルで完全に顔を隠した兵士が一人走ってきて、敷島に敬礼して言った。
「中尉殿、本隊が到着しました。」
スピーカーから出たような声だった。敷島中尉は立ちあがって、
「よし、今行く。」
それから一の方を振り返って、
「ついて来い。」
と言うと、さっきの兵が走り去った方角に歩き出した。一は左耳の後ろをさすりながら立ち上がり、敷島中尉の後に続いた。

つづく

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注1)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。

注2)本文中の会話はすべて標準語に翻訳してあります。