ファイナル・コンタクト

第2章

 

  小学校の体育館の中に前線司令部が設営されていた。敷島中尉は土足のまま上がっていき、ステージを背にずらりとパソコンが並べられている長テーブルに近づいていく。画面を指差しながらしきりに何か話している四人に近づいていくと、きおつけして敬礼した。
「むやむやシェルター守備小隊隊長、敷島中尉であります。」
「ご苦労。鰺ヶ沢守備大隊の永沢大尉である。右から、須藤少尉、吉田少尉、榎本少尉だ。その男は?」
「住民であります。保護しました。」
保護、という言葉を聞いて敷島中尉を睨みつける一を見て、永沢大尉は少し口元を緩めた。が、すぐに顔を引き締め、敷島中尉に尋ねた。
「状況は?」
「マンションと隣接する立体駐車場を占拠しています。ここへ到着したのは六時間前です。おそらく…」
敷島中尉は言葉を切って、一をちらりと見た。
「おそらく、住民は皆殺しと思われます。」
「今夜はここに泊まるつもりだな?」
「はい。間違いないと思います。」
「奴らに気取られてないな?」
「はい。我々は。」
「よし、日が暮れると殲滅が難しくなる。一時間後に始める。君の部隊が突入してくれ。須藤は後詰、吉田は援護、榎本は背後に回って逃げてくる奴を殲滅しろ。いいか、殲滅戦だ、一人も生かしておくな。」
「はい。」
四人の将校が声をそろえて返事をした。須藤、吉田、榎本の三少尉は敬礼して回れ右すると、それぞれ自分の小隊に向かって駆け出していった。敷島中尉が一に言った。
「お前はこの司令部にいろ。ここは安全だ。」
「安全なところなんかどこにもありゃしない。」
敷島中尉は笑って
「確かにそうだ。比較の問題に過ぎないが、他よりマシと言う意味だ。」
「ふん。あんたの命令は受けない。俺はあんたの手下じゃない。」
やり取りを聞いていた永沢大尉が一をまじまじと見て言った。
「プライドの高い男だ。鼻骨も頤も高い。同族かもしれん。」
「あるいはそうかもしれません。」
「名前は何と言う?」
「渡部一。」
一は永沢大尉の目を見返して名乗ると、
「とにかく俺は好きにさせてもらう。何が保護だ。」
そういうと一は二人に背を向けて出て行こうとした。だが、永沢大尉はそうさせなかった。
「衛生兵、この男を監視しろ。作戦終了までこの司令部から出すな。」
「はっ。」
二人の兵士が一の前に立ちはだかり、銃をつき付けた。一は立ち止まり、肩越しに永沢大尉を振り返った。
「とにかく、作戦終了まではここに居てもらう。ちょろちょろされては迷惑だ。」
一は仕方なく、肩をすくめた。敷島中尉は一の肩を叩くと体育館から出ていった。
  永沢大尉以下、司令部の兵士たちがパソコンや無線ユニットを使って、攻撃の準備を続ける間、一は所在なげにパソコンが並べられた机の前に立っていた。一の監視を命じられた二人の衛生兵は机の両端の辺りに銃を持って立っている。一をというより、司令部全体の安全を監視する態勢だ。やがて、敷島中尉から準備完了の報告が来ると、永沢大尉は他の三小隊の準備を確認し、命令した。
「全小隊、攻撃開始。殲滅しろ。」
ほとんど間髪を入れずに爆発音が二回して、その残響の後を追うように自動小銃の発射音が鳴り始めた。司令部は動きが完全に止まっている。緊張した空気のなかに、銃声とときおり響く爆発音だけが響き渡る。しかし、銃声は五分ほどでやんでしまい、静寂の中で緊張だけが加速していく。誰も動かない。前線からの報告を待っている。突然、静寂を破って爆発音が三度響くと、再び銃撃戦の音が続く。しばらくすると、またピタリと音がしなくなった。
  無線ユニットから前線の報告が鳴り始める。
「敷島小隊、マンション一階、三階の敵を征圧。六階まではクリア。以上。」
「吉田小隊、立体駐車場を確保、ここに敵はなし。マンション全体を狙撃できる態勢をとっている。ただし、五階以上は仰角での射撃となり不利。以上。」
「須藤小隊、これよりマンション一階に入り、敷島小隊の後詰につく。以上。」「榎本小隊、マンション西側に位置している。逃げてくる敵は今のところなし。以上。」
「榎本小隊へ、近くに高いビルはあるか。送れ。」
「榎本小隊、あります。以上。」
「榎本小隊へ、二分隊を派遣し、マンションの五階以上を狙撃できる態勢を整えろ。用心しろ。以上。」
「了解。」
「吉田小隊、これより二分隊を東側の銀行本店に突入させ五階以上を狙撃できる態勢をとる。許可を求めます。送れ。」
「吉田小隊へ、待て。」
永沢大尉が一に尋ねた。
「おい、銀行のビルには誰か居るか。」
「さあな。水も食い物もないから、居ても死体になってるだろう。」
「吉田小隊へ、銀行本店は無人と思われるが、用心を怠るな。許可する、以上。」
「吉田小隊、了解。」
  そこで再び銃撃戦の音が始まった。一心にパソコンや無線ユニットを睨みつけている永沢大尉たちを見ていた一は、突然、言い知れぬ感覚を感じ始めた。それは、子供の頃迷子になったとき感じた恐怖、あるいは心細さ、あの何ともいえぬ感じ。睾丸が縮み上がり、膝から力が抜けていくような、思わず闇雲に駆け出したくなるようなそんな感覚だった。そう、子供の頃誰もいない浜辺に一人取り残され、見えない何者かに怯え、必死に両親を求めて駆けて行く。その後ろを奴らが追いかけて来る。振り返るな。振り返ると、奴らに捕まってしまう…
  永沢大尉がパソコンの画面から顔を上げた。先ほどまでとは違う種類の緊張を湛えた表情だった。一瞬、大尉と視線を合わせた一はゆっくりと振り返り、誰もいない体育館の入り口から外を見た。
「伏せろ!」
永沢大尉の声で一は反射的に体育館の床に身を投げ出した。視線は体育館の入り口に向けたままだ。細い青紫色の光線が体育館の入り口に向かって走り、次の瞬間何もない空間が爆発した。一は頭を抱えて、目を閉じたが、すぐに二回目の爆発が起こった。そして、その残響を蹴飛ばすようにして大音響が響き渡り、体育館が激しく振動し、屋根に降り注ぐ瓦礫が激しい音を立てた。
  降り注ぐ埃やら、何かの破片やらが一段落し、一は恐る恐る顔を上げた。パソコンを載せていた机がすべてひっくり返り、その周りに伏せた兵士たちが一と同じように顔を上げて辺りを見まわしていた。永沢大尉は左肘を押さえながら立ちあがると辺りを見まわして、尋ねた。
「皆無事か?」
兵士たちが立ちあがると一人の兵士が見まわして報告した。
「重大な怪我を負った者はおりません。大隊長殿は肘に怪我を?」
「何かにぶつけただけだ。おい、お前はどうだ。」
尋ねられた一は体の埃を払いながら、無言で肯いて見せた。
「誰か外を見に行かせろ。無線はどうだ。」
「連動ユニットの方はダメです。ポータブルは今確認します…使えます。」
「各小隊を呼び、現状を報告させろ。」
「吉田小隊、応答せよ。繰り返す。吉田小隊、応答せよ、送れ。」
返答は無い。
「榎本小隊、応答せよ。繰り返す。榎本小隊、応答せよ、送れ。」
やはり返答が無い。永沢大尉の表情が険しくなった。
「須藤小隊、応答せよ。繰り返す。須藤小隊、応答せよ、送れ。…敷島小隊、応答せよ。繰り返す。敷島小隊、応答せよ。送れ。」
無線機から聞こえるのは雑音ばかりである。永沢大尉は目を閉じ軽く首を振り、目を閉じたまま通信兵に命じた。
「呼び続けろ。」
そこへ、外を見に行っていた兵士が駈け戻ってきた。
「報告します。敷島、須藤両小隊が突入したマンションは五階から上が崩れ落ちております。吉田小隊がいた駐車場ビルは崩れていませんが、甚大な損害と見られます。その他、周辺のビルもかなりの損害が出ています。」
それを聞いた一は駈け出した。
「止めろ。」
一は右から飛び掛ってきた兵士の顎に左の掌底を食らわし、左からの兵士をかわして体育館の外に走り出た。報告の通り一が住んでいたマンションは途中から無くなっていて、無残に崩れていた。銀行や他の建物も窓が割れ、壁も穴だらけになっている。一は夢中でマンションに向かって走った。

  一は声を上げそうになり目を覚ました。しばらくそのままシェルターの無機質な格子の天井を睨んでいたが、ゆっくりと上半身を起こし、俯いて自分の両掌を見つめた。それから再び天井を見上げ、ふと視線に気付いて左を向いた。離れて横になっている隅田伍長と視線がぶつかったが、伍長はすぐに視線をそらし寝返りをうった。一は伍長の背中をしばらく見ていたが、ふたたび横になった。もう眠れそうになかった。

  翌朝、三人は食事を済ませ、予定通り午前七時にシェルターを出発した。APCは隅田伍長が運転した。林道を下って七号線にぶつかると右折し、北を目指した。行く手には能代港があり、ミサイル攻撃を受けた。ミサイルはやはり少し内陸に逸れて見当違いのところに大穴があき、そこに海水が入り込んで塩水湖になっている。その塩水湖までは七号線が無事のはずであった。
  父親の実家が山本郡内にあった一にとってこの道はお馴染みの道だった。左の席に座って監視に当たっていた一は、モニターに映し出される映像を見ながら少し感傷的な気分になっていた。山本郡に入る少し手前に産業廃棄物処理場と建設機械リース会社があり、山際にはセメントのプラントがある。廃棄物の山は腐食してガスを発生している。平和な頃にはあれほど問題になった産業廃棄物も、今となっては非難する人間の方がいなくなってしまった。建設機械も腐食して折れ曲がり、むなしくアームを宙に放り出している。セメントプラントも溶けてしまったかのように崩れている。それでも誰も文句を言わない。人間がいなくなってしまえば、人間界の問題もすべて解決してしまう。結局、多すぎて不都合だったのは廃棄物ではなく人間だったのだ。
  「何か言いましたか?」
運転している隅田伍長に問われて一は少し鼻白んだ。
「いや。ガスが出ていたが何かなと思っただけだ。」
その疑問に藤岡中尉が答えた。
「廃棄物に混じっている塩素系化学物質に、雨に混じった何かが作用して猛毒のガスが発生するのだそうだ。」
「そうですか。しかし、理屈に合わないような気がします。敵の作戦でしょうか。」
「さあな。そうかもしれん。理屈についてはぜんぜん分からんよ。曹長は化学の知識があるのか?」
「いいえ。しかし、地球上に存在する物質が雨に混じって落ちたとして、そんなことが起きるものかどうか。猛毒と言うと青酸ガスとかですか?」
「ダイオキシンが含まれているそうだ。吸い込んでもすぐには死なないが、確実に人体を中から破壊していくと聞いた。」
「それは妙だ。やはり敵の作戦でしょう。」
「かもしれん、としか言えないな。なにしろ奴らとは話もできない。確かめようが無い。」
  「北緯百四十度線です。」
隅田伍長がふたりの会話を中断した。
「線上で一時停止しろ。坂の頂上のはずだ。」
「了解。」
APCは坂道を登りきり、腐食してかろうじて立っている百四十度線を示す看板のところで停止した。藤岡中尉がジャイロコンパスの精度を確認する。
「よし、下が見える地点まで前進。曹長は前方の障害を確認しろ。」
「了解。」
APCは百四十度線をまたぐ形で作られた小さなパーキングに侵入して、ガードぎりぎりまで進んで止まった。
「特に障害はありません。」
「レーダーに反応は?」
「動いているものはありません。電波も友軍のビーコンと本部との回線しか出ていません。」
「よし、行こう。」
「はい。」
 
APCは再び七号線にもどり、坂を下って北上を続けた。ここから大曲の三叉路までは見通しの利く平地が続く。無言で運転する隅田伍長の横顔を見て、一は容子を思い出していた。

  あの日一は七番口に近いところで、駅の壁に沿って丸くなって蹲っている容子を見つけた。駆け寄って肩に手をかけると、容子はびくっとして、手を振り払い逃げようとした。
「容子、俺だ、俺だよ。」
そう言って肩を抱くようにして捕まえると、容子はしばらく必死になって一の手を振り払おうとした。やがて、一だということに気がつくと、声を上げて泣き出してしがみついてきた。一はしばらく容子を抱きしめて、大丈夫、大丈夫と繰り返しながら容子の背中を撫でていた。
  しばらくして、一は容子の耳元に口を寄せて尋ねた。
「目をやられたのか。」
「痛くて開けないの。ねぇ、何があったの。」
「よく分からない。たぶん、核爆発だと思うけど。どこに落ちたのか分からないし。」
「どうなってるの。」
「めちゃめちゃさ。」
一は空を見上げた。真っ暗に曇っていて、雷が聞こえ始めている。
「雨が降りそうだ。核だとしたら雨にあたるのはまずい。とりあえず俺の部屋に行こう、な。立てるか。」
容子はうなずいて、一にしがみついたまま立ちあがった。一は左手で容子の腰を抱き、右手で容子の左手を握って歩き出した。
  それから、軍と出会うまで一は容子と暮らしていた。容子の目は完全に視力を失っていて、一人では何もできなくなっていた。その上、
PTSDの症状が起きフラッシュバックに襲われ、一はそばを離れられなかった。だが、三日経って食料が尽き、どうしても外に出なければならない。
「容子、もう食い物がないんだ。探しに行かなきゃならない。」
一は椅子に腰掛けている容子の手を両手で握って言った。容子はしばらく無言だったが、小さな声で答えた。
「うん。分かった、大丈夫。」
「かなり時間がかかるかもしれない。でも必ず戻ってくる。ここから動くんじゃないぞ。」
「うん。」
「いいか、足元に洗面器を置くから、トイレも恥ずかしがらずにそれにしろ。外から誰かに声をかけられても答えるな。黙って隠れているんだ。」
「うん。」
「もし誰かがここに入ってきて見つかったら、決して抵抗しちゃいけない。何をされても我慢するんだ。いいな、命だけ全うするんだぞ。」
「うん。私は大丈夫。」
一は容子を立たせ、容子が座っていた椅子をクローゼットに入れた。容子をそこへ連れていって座らせると、足元に洗面器を置いた。
「しばらくの辛抱だ。必ず戻ってくるからな。」
無言で肯く容子を抱きしめて、一はしばらく髪を撫でていたが、やがて身体を離した。容子は黙って俯いていた。一はクローゼットの扉を閉めたが、しばらくは決心がつかず閉めた扉を見つめていた。こんなことは気休めに過ぎない。容子の不安を和らげるためにやっているのであって、部屋に侵入されればすぐに見つけれらてしまうだろう。一は振りほどくようにして玄関に向かった。玄関のドアに鍵を掛けながら、柄にもなく何かに祈っていた。どうか容子を守ってくれ。もし、もし、それがかなわないなら、せめて苦しまずに死なせてくれ。
  その日、一は食料を手に入れて帰ってくるまで六時間かかった。それでも手に入れることができたのだから、首尾良くいったと言っていいだろう。一は用心してしばらく玄関のドアに耳を当て、部屋の中の音を聞いてみた。何の音もしないことを確認して、鍵を開けて中に入った。ドアを閉めて、そのまましばらく中の様子を窺ったが、特に異常は感じられない。それでも用心して、バスルームからトイレ、キッチンと一つ一つ確認しながら進んでいき、容子を隠したクローゼットの扉の前に立った。
「容子、俺だ、開けるぞ。」
声をかけて一は扉を開けたが、容子はいなかった。咄嗟に振り返ったが、後ろにいるはずもない。もう一度クローゼットの中を見ると、椅子は一が置いた位置よりも前に出ていて、その後ろに容子は丸くなってうずくまっていた。一は椅子をどけて容子を抱き起こした。意識がない。
「容子、俺だ、一だ。帰ってきたぞ。容子、容子。」
一は容子を抱き上げるとベッドに寝かせて、頬を叩いて呼んでみた。容子は意識を回復すると同時に言葉にならない唸り声を上げて暴れ出した。すごい力で、必死に押さえにかかる一を弾き飛ばさんばかりである。
「容子、俺だ、心配ない、落ち着け。くそ、落ち着けって。」
「うう、ううう、ううっ…」
どのくらいの時間格闘していたのか、突然容子が抵抗を止めた。二人ともぐったりとしてベッドの上で荒い呼吸を続けていたが、
「容子、俺が分かるか?」
と一が問うと、容子は無言のままかすかに頷いた。一は大きくため息をついて、
「遅くなって悪かった。怖かっただろう。もう、大丈夫だ。」
そういって、しばらく容子の背中を撫でつづけていたが、そのまま自分も疲れきって眠ってしまった。
  一がその日手に入れた食料はせいぜい一日分だった。その後も一回に手に入れらるのは大体そんなもので、どうしても毎日略奪に走る必要があった。容子は二日目にはひどく怯えていても意識を失うことはなく、それ以降はだんだんと帰ってきた一を落ち着いて迎えるようになっていった。クローゼットにも始めから入らず、扉を開けていつでも飛び込めるようしてそのそばにいると、自分から言うようになった。それでも一は、口では反対のことを言っていても、出かけるときにはこれが最後になるかもしれないと覚悟していた。容子にしても同じだったろう。そしてあの日容子は、いつものように出かけようとする一にポツリと言った。
「一、…別れるつもりだったんでしょ?」一は立ち止まって肩越しに振り返った。容子は椅子に座って俯いたまま、身じろぎもしない。一は感情を殺して答えた。
「行って来る。」
濡れ始める心を持て余しながら一は玄関から出た。扉を閉め、鍵を掛けながら、湧き上がる不吉な予感を無理矢理打ち消し、これから自分がしようとしている事に闘志を奮い立たせてマンションを後にした。それが生きている容子を見た最後になった。

  行く手の道が上り坂になり、枯れ果てた林の中に入っていくのをモニターで見て、一は現実に集中した。
「レーダーの届く範囲に動くものはありません。電波もビーコンと我々以外ありません。」
「伍長、坂の頂上の手前で減速、ただし、停止するな。」
「了解。戦闘態勢を取りますか?」
「いや、伍長は運転に集中しろ。曹長、監視を怠るな。9ミリの照準はこちらに渡せ。」
「はい。」
一は9ミリ機関砲の照準機を出したまま、機能だけをカットした。藤岡中尉は自分の前にある照準機の機能を確認したが、緊張した様子はなかった。鹿の浦で何かあったようだが、少なくとも今は「敵」の存在は感じない。
  「敵」が直接物理的な攻撃を加えてきたことは今まで一度もなかった。直接目に見える形で闘っているのはあくまでも人間同士であった。ただ、敵はそれに明らかに介入していた。そして、その事実を知っているのは軍だけだった。敵が介入している場合は、戦っている人間はどちらも大損害を蒙ることがほとんどだった。そのため、軍の闘いは困難を極めていた。まず、目の前の暴徒(軍では敵対する人間を「敵」と区別する必要上「暴徒」と呼んでいる)と闘わなければならない。一方、暴徒が軍に闘いを挑んで来る、あるいは軍が暴徒に遭遇すると言うことは、近くに敵がいる、ないしは敵のなんらかの意思が介在していると想定しなければならない。よって、敵とも闘わなければならないのだが、敵は姿も見えなければ、音も立てず、また、先祖が残した特殊な兵器でなければ倒せない。その兵器は二種類あって、一つはある種の超音波発生器、もう一つは青紫色レーザー銃である。まず超音波を発生させておいて、レーザーで仕留める。だから、敵を感得する能力があること、つまり阿蘇部族の血を引いていることが軍に入る時の条件の一つなのだ。これらの兵器は、数は十分にあったが製造方法はまったく分からなかった。超音波の方はいろいろな周波数が何かの法則に基づいて変動しながら発生しているが、その法則がわからない。レーザーの方はまったくお手上げだった。
  坂の頂上付近で伍長はほとんど歩くほどの速度にまで
APCを減速させた。藤岡中尉は二人にちょっと視線を送り、9ミリ機関砲のトリッガ―に指を掛けた。そのままAPCは頂上に到達した。
「レーダー探査クリア、電波も変化ありません。」
「目視確認。」
「異常なし。」
隅田伍長が答えた。続いて一が報告する。
「赤外線、紫外線、各モニターにも異常ありません。」
「レーダーはどの辺りまで届いているか?」
「前方と側方についてはリミット一杯、ほぼ二キロメートル、後方はほとんどゼロであります。」
藤岡中尉はトリッガーから指をはずし、二人のほうを見て言った。
「よし、クリアだ。伍長、スピードを上げろ。浅内の交叉点まで直進、交叉点を左だ。曹長は監視を続けてくれ。」
「了解。」
「了解。質問してよろしいでしょうか。」
一は尋ねた。
「何だ。」
「鹿の浦のシェルターの状況について、情報は入ってますか?」
「まだだ。」
一は黙って口をとがらせ、頷いた。
「情報が入り次第、司令部からこちらに転送されることになっている。が、まだ来ない。」
「不手際な。昨日のうちに鰺ヶ沢から誰か着いているのでは。」
「昨日のうちに着いたかは分からん。分かっているのは鹿の浦と連絡が取れないこと、鰺ヶ沢から昨日確認のために向かった者がいるということだけだ。」
「鰺ヶ沢にはどれぐらいの部隊が残っているのでありますか?」
隅田伍長が尋ねた。
「せいぜい三人のはずだ。」
「分かりました。」
一はちょっと伍長の横顔を見た。昨夜といい、何か変な女だと思った。
  浅内の交叉点を左折すると、広々と視界の開けた道がしばらく続いた先に林の残骸があり、道がカーブしてその先が見えなくなっていた。
「曹長、レーダーは?」
「クリアです。」
APCはかなりのスピードを維持していて、間もなく枯れ果てた砂防林の中に入った。道は緩やかに右カーブ、やや上り坂で、先の見通しは利かない。やがてオービスの下をくぐって腐食した化学プラントの前を通過した。その先でまた大きな右カーブになって見通しが利かない。
「カーブの先に一
〇一号線との交叉点があるが、その辺りに大きな爆心地がある。減速しろ。」
「了解。」
APCは減速しながら右カーブに侵入していく。カーブの頂点に差し掛かったとき、目の前にかなり大きな爆心地の穴が出現した。一〇一号線との交叉点は消滅しており、この辺りから能代市の市街地が始まるのだが、建物もほとんど残っていない。枯れ木すら残っていない荒涼たる風景の中に、毒々しく赤や黄色に光を放つものが敷き詰められたようになっている。爆心地に出現した植物の群生である。三人ともその風景に顔をしかめた。この植物は見た目に薄気味悪い上に強い放射能を帯びており、さらに夜間には塩素系のガスを放つため忌み嫌われていた。戦後爆心地を中心に出現した未知の植物であるが、その出現には敵が一枚噛んでいると軍では見ていた。核戦争後数ヶ月で爆心地に新種の植物が現れる。到底、考えられないことであったからだ。
「ひどいな。こんなにひどいのは見たことが無い。」
「むかつきますね。塩水湖になっていると聞いていましたが。」
APCをさらに減速させて隅田伍長が尋ねた。
「右に迂回しますか。」
「うむ。用心しろ。」
「この辺りの地盤は大丈夫ですか。」
「市街地だ。ビル跡には地下室の穴がある可能性がある。」
「曹長殿、レーダー測距を願います。」
「了解。データをそちらのモニターにも表示する。」
一はレーダー照射を前方
五十メートル、下向きにし、結果を中央席と自分の前のモニターに表示した。穴は無いようだ。APCは建物の間の小路を縫っていく。ほとんど基部しか残っていないので見通しに問題はないが、瓦礫が積み重なって通れないところがかなりある。隅田伍長は無理をせず一つ一つ迂回して進んでいく。爆心地を迂回して進路を西に向けると少し上り坂になっている。
「伍長、二秒おきにレーダーを上に向けるぞ。」
「了解。問題ありません。」
神道系の教会の前から無事残っている一〇一号線に復帰し、すぐに小さな坂の頂上に至る。
「前方クリア。」
「了解。速度を上げます。」
「用心しろ。ここからは山道になる。」
「道はどうですか。」
「道は大丈夫だ。」
「アップ・ダウンが激しいはずです。見通しも利かないし、レーダーもあまり役に立ちません。」
「曹長は土地勘があるのか?」
「はい。岩館までなら。」
「伍長、レーダー操作はできるか?」
「できます。」
「土地勘は?」
「ありません。」
「ならば、曹長と運転を代われ。」
「はい。」
隅田伍長は
APCを停止させた。一は席を交代し、運転席のモニターから外のひどい有様を見て、舌打ちした。APCは峰浜村の道の駅の手前で停まっていたが、爆心地からかなりの離れているにもかかわらず、あの忌まわしい植物が一面に生えていて道路にまでかぶさってきている。この様子だと鹿の浦のシェルターはかなり前から問題が起きていたかもしれない。この植物は放射能、毒ガスを出す他に、人間の精神に悪い影響を与えていたからだ。鹿の浦が小人数のシェルターだと内輪でトラブルになっていることが考えられる。余程の指揮官でなければ長期間統率できないだろう。
  「進発します。伍長、レーダーと電波の監視を続けてくれ。山道で見通しが利かなくなる。」
「了解。」
一はかなりのスピードを維持して
APCを進めた。敵の気配は感じないし、おそらく鹿の浦は全滅している。何があったにしろ、無人だろうと一は思っていた。人がいなければ敵も手出ししてこない。山を抜けて、平地に出、それからふたたび上り坂になって、左手に海が見え始めた。右には錆びきった鉄路が併走している。その奥の人工的な円錐形の山を見ながら一は中尉に尋ねた。
「あの山ですか?」
「いや、もっと先、風車が見えてからだ。」
「海に迫った方か…」
「そうだ。」
APCは一旦坂を下って谷あいに下りていき、それから再び坂を登った。登りきった左側に展望台があり、土産物屋の建物が悄然として並んでいた。辺りはあの植物に征服されているかのようだ。海は黒ずんでいて、波打ち際には嫌な光を放つ泡が盛り上がっていた。海岸は真っ赤である。めずらしく隅田伍長が感想を口にした。
「真っ赤ね…」
「砂鉄が錆びたんだ。昔は真っ黒だった。」
「そうですか。砂鉄も錆びるのか。」
「普通なら考えられない。」
その先に、不思議なことにまったく腐食を免れた風車がむなしく回転しているのが見える。風車の内陸よりに小さな丘があり道路はその丘の麓を下っていくのだが、道路を挟んでさらに内陸にもっと大きな丘というか山がある。かつてはその頂上に電波中継施設があったが、今は見当たらない。雨が降り出している。
「あの山だ。道路が下りに入るとすぐ右側に曲がれるようになっている。ト字路だ。」
「やはり、製鉄遺構でしょう。」
「いや、むしろ砦だろう。ここの港を監視する位置になる。製鉄所はさっきの人工丘だろうな。」
「そうですね。」
一はト字路に到着すると急ブレーキを掛けて一旦停止し、超震地転回して山に向かった。しばらくは下り坂が続いて、山の反対側に回りこんでいく。その後、山を回るようにして狭い道が登っていた。もともと木がほとんど無く草が一面に生えている山だったとはじめは記憶していたが、今は一面あの植物で色とりどりに毒々しく染め上げられている。
  運転席モニターにナビ・ウィンドウが開いて、左折マークが出ているのを見て、一は減速した。少し先に、左に未舗装の小路があるのが見えてきた。急な上り坂である。一はその道の入り口でほとんど停止するぐらいまで減速し、ギアをエクストラ・ローに入れてゆっくりと登り始めた。道は真っ直ぐに登って、突き当りで九十度左に曲がっている。慎重に左折すると、目の前に平らな棚地が現れた。一は棚地のほぼ中央に
APCを停車させた。右手の山の斜面にぽっかりと四角い穴があいていて、そこに同型のAPCが頭から突っ込まれている。本来APCは必ず前後に所属を示す認識章がつけられているが、このAPCにはそれが無かった。一は中尉の方を見た。中尉は司令部と連絡を取っている。
「中尉殿。」
「少し待て。今呼んでみる。」
中尉は司令部経由で目前のシェルターに連絡を入れてみた。隅田伍長はモーション・トラッカーで動くものがないか探っている。
「やはり応答は無い。鰺ヶ沢から来ているはずの要員からの連絡もないそうだ。」
「あの
APCは認識章がはずされています。おかしい。」
「モーション・トラッカーに反応はありません。シェルターの外にはありません。」
「曹長、敵は感じるか?」
「…今は感じません。」
「私もだ。伍長、外の放射能はどうだ?」
「レッド・ゾーンです。雨がかなり降っています。」
中尉はもう一度司令部経由でシェルターに呼び出しをかけた。が、やはり応答は無い。
「よし、行くぞ。完全武装で出る。伍長、先頭をとれ、曹長は後ろだ。」
「了解。」
  三人は後ろの歩兵員席で装備を着用した。防護服にプロテクター、鉄兜とフェイスマスク、多くは先祖が残したものだった。黄色い防護服の上から黒のプロテクターを着けていく。プロテクターは何かの合金でできているが、不思議な柔らかさを持っている。ところが表面の固さはチタン合金以上で、ライフルの弾丸は百パーセント弾いてしまう。9mm機関砲でも貫通することは不可能だった。その表面には複雑な文様が浮かんでいる様に見えるが、触ってみるとつるつるで滑らかだ。背中のユニットを後ろから担ぎ上げて首を通すと、左右のちょうど乳首の上辺りに密閉用のスイッチがついている。これを押すと、プロテクターと身体の間の空気が一瞬抜けてきっちりと身体に密着する。その後、スイッチのカバーを閉める。鉄兜を被り、フェイス・マスクをして、ゴーグルを着ける。ゴーグルは外から見ると横に細長く目が開いているように見えるが、上下方向には瞳の動きに連動して動くようになっている。無段階の切り替えスイッチがついていて、おそらく可視光線や赤外線などの入力の切り替えができるのだろうが分からない。ただ、中立位置にノッチがついていて、ここは自動切替らしいとされ、軍では常にこの位置にすることと決められていた。これらの装備をすべて装着し両足にホルスターをつけた姿は、遮光器土偶そっくりになる。
  「曹長。」
中尉が無線で一に準備を確認した。この状態では無線で会話する方が都合がよい。外の音はよく聞こえるのだが、こちらの言葉がスピーカーから出るので聞き取りにくい時があるのだ。
「準備完了しました。」
「伍長。」
「完了です。」
「鰺ヶ沢の要員がいる可能性がある。撃つときはよく確認しろ。行くぞ。」
そういうと中尉は
APCの扉に手を掛けた。一は扉の左側に立ち、銃を天に向けた。隅田伍長は扉から少し離れて真っ直ぐ扉に向かって銃を構える。中尉が二人の顔を見て、扉を開いた。

つづく

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注1)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。
注2)本文中の会話はすべて標準語に翻訳してあります。