ファイナル・コンタクト 

第3章

 

  外はかなり強いオレンジ色の雨が降っていた。しばらく隅田伍長は扉の外を窺っていたが、やがてゆっくりと外に出た。続いて一が左側に、中尉が右側に出た。中尉が扉を閉めてシールドすると、隅田伍長は一気に五メートルほど走って回れ右し銃を仰角に構えた。伍長が後ろの安全を確認して頷き、中尉の前進の指示を受け振り返ろうとした瞬間、シェルターから機関銃の発砲音がして伍長が突き倒されたように倒れた。
 一と中尉は地面に飛び込むように伏せると応射した。すぐにシェルターからの銃撃は途絶え、二人が撃ち尽くして弾倉を替える間、辺りは雨の音だけになった。
「援護してください。」
一は中尉にそう言うと、シェルターの入り口に短連射を浴びせた。続いて中尉が撃ち始めると、一は立ちあがって短連射を浴びせながら一気に隅田伍長の脇まで走った。が、伍長を抱き起こそうとしたときシェルターから再び機関銃が発射され、一はやむなく伏せて撃ち返した。撃ち尽くした一が弾倉をはずすと、中尉も撃ち尽くしたのかこちらからの銃撃が途絶えた。やむなく一は右に転がりながら弾倉を付けたが、一の動きを機関銃の着弾が追ってくる。一は弾倉を付け替えたものの、射撃態勢に入るより相手の着弾の方が早いと思い、半ば衝撃に備えた。だが、それより早く中尉のグルネード・ランチャーから放たれた対人触発弾がシェルターに届いた。爆音がして、あの嫌な植物の破片があたりに飛び散った。一は匍匐して隅田伍長のところに戻った。伍長はまったく動かない。中尉が二発目の対人触発弾を発射した。ややゆっくりとしたスピードで飛んでいった触発弾は、今度は入り口と
APCの間からシェルターの中に入って爆発した。もちろん、対人触発弾であるからAPCにもシェルターにも大した損害を与えない。
  「撃つなっ!」
無線に聞き慣れない声が入った。
「誰だ、出て来い!」
藤岡中尉が怒鳴った。思わず一が振り返るほど怒気を含んだ声だった。
「行く。行くから、撃つな。」
「誰だ、貴様はっ!鰺ヶ沢の阿呆かっ!」
「今、行く。今行くから、もう撃たないでくれ。」
一はその間に隅田伍長を抱き起こした。右の腎臓の上辺りに機関銃の弾が当たった跡があったが、甲冑は凹んだだけで弾は入ってなかった。腎臓に強打をくらったのと同じ状態になったため気を失ってしまったのだろう。だが、この雨と植物の状況からして、その場で手当ては無理だった。被爆してしまう。一は中尉を振り返った。中尉はグルネード・ランチャーを構えたまま、怒りに震えながらシェルターの入り口を睨みつけている。一もシェルターの方に向き直った。
  シェルターに頭を突っ込んだ
APCの蔭から、軍の甲冑をつけた兵士が一人、中途半端に両手を挙げながらゆっくりと出てきた。
「貴様一人か?」
相手がかすかに頷くのを見て、中尉がずかずかと近づいていく。一は隅田伍長を寝かせると、自動小銃を構えて立ちあがった。中尉は一直線にその兵士に近づくと、グルネード・ランチャーのグリップで殴りつけた。兵士はたたらを踏んで横に倒れかけたが、中尉はランチャーを投げ捨てて掴みかかり、拳で一撃した。倒れかけてようやく踏みとどまったところへ、さらに肘を見舞う。兵士はたまらず半回転して膝を付き、それからもう半回転して仰向けにひっくり返った。一はその間、自動小銃を構えてシェルターの方を警戒し続けている。
「この、阿呆っ!」
中尉が雷を落とした。相手は片手で半身を起こし、片手を中尉に向かって広げて後ずさりしていく。
「貴様、何者だ。」
無線を通して激しい息遣いが聞こえるが、答えはない。一はその兵士の胸の徽章が大尉のものであることに気付いた。
「その徽章をどこで手に入れた?」
「ちがうんだ、鯵ヶ沢にはもうこれしか甲冑が残っていなかったんだ。徽章だけ盗んだわけじゃない。」
「黙れ。徽章など着け替えれば済むだろうが。貴様、誰だ。」
「おれは、進藤、進藤中尉だ。」
ふたたび藤岡中尉が掴みかかった。両手で首を掴んで引き起こすと激しく揺さぶりながら怒鳴った。
「ウソを吐くな!将校が確かめずに友軍を銃撃するかっ!貴様、鰺ヶ沢で何をした。このシェルターで何をした。」
「お、俺は何もしてない。指令にしたがってここに来ただけだ。離せっ、くそっ。」
藤岡中尉は、今度は腰車に投げ飛ばした。兵士は無様に尻餅をつき、地べたに這いつくばった。中尉はもう一度掴みかかろうとしたが、突然、びくっとして動かなくなった。それから棚地の端の辺りを見ながら、左腰に取り付けた超音波発信機のスイッチを入れ、レーザー銃に手を伸ばした。だが、一の方が早かった。
  中尉が兵士への怒りに我を忘れていた分、一の方が早く敵に気付いていた。一は中尉が兵士を詰問し始めた辺りから、敵の気配を感じ始めていた。シェルターの反対側、棚地のはずれにいるとはっきり分かったのは中尉が兵士を投げ飛ばしたときだった。すぐさま一は自動小銃を捨てて、超音波装置のスイッチを入れレーザー銃を抜いた。二人いる。やつらはいつも二人、今も二人だ。一は右の敵にレーザーを照射した。何もない空間が爆発した。甲冑を着けているので、反射的に目を閉じただけですぐさま一は左の敵をレーザー銃で撃った。再び爆発が起こり、周囲に例の毒々しい植物の破片が飛び散った。
  まただ、奴らはいつも逃げない、と思いながらレーザー銃をホルスターにしまおうとした一は、中尉の小さな叫び声で振り返った。兵士が一瞬の隙をついて、中尉に体当たりを食らわしたのだ。中尉に尻餅をつかせた兵士は敵が爆発した棚地のはずれに向かって走り出した。一は慌ててレーザー銃をしまい、投げ捨てた銃を拾おうとしたが、銃は意識を回復した隅田伍長が既に拾っていた。伍長はあっという間に全弾撃ち尽くしほとんど命中させたが、軍の甲冑は自動小銃ぐらいではびくともしない。兵士は一目散に棚地のはずれに向かって駈けて行き、その後を藤岡中尉が追っていく。やがて、兵士は棚地の下に飛び降りたが、驚いたことに中尉もその後から飛び降りた。
「立てるか?」
一は隅田伍長に手を貸して立たせてやり、伍長の自動小銃を拾い渡して言った。
「俺も追いかける。」
「私も。」
「いや、
APCを頼む。」
「いやです。」
「だめだ、感情的になるな。
APCを頼む。」
「しかし、私は…」
「命令だ。いいな。」
一は無言の隅田伍長を残して棚地のはずれまで走った。
   一が棚地のはずれから下を除くと、三メートルほど崖になった下に再び棚地があり、藤岡中尉と兵士がナイフを抜き合っていた。中腰になって向き合ったまま、じりじりと右周りに動いていく。互いに甲冑を着けているので銃で撃ち合っても埒があかない。甲冑とフェイス・マスクの間などの隙間からナイフを突き入れるしかないのである。一は無線で隅田伍長に指示した。
APCでシェルターを監視してくれ。まだ居るかもしれない。」
返事がない。一が振り返ると、隅田伍長は既に
APCに向かって駆け出していた。ため息をついて一は再び崖下の勝負に視線を向けた。藤岡中尉は右に周りながら間合いを詰めていく。すると無線を通して耳障りな含み笑いが聞こえ始めた。
「勝てるつもりか。」
兵士が嘲りを込めた声で言った。
  中尉は無言で跳びかかった。右足を相手の懐に踏み出し、右手で逆手に握ったナイフを斜め上から大きく首に向けて振り下ろした。兵士は左手でそれを受け、右手のナイフを下段から振り上げるようにして甲冑の隙間に突き入れようとした。中尉は左手で相手の攻撃を受け止め、真正面に来た兵士の首にナイフの先を送りこんだ。兵士は中尉の攻撃をかわし、止められた腕を返すと殴りつけるかのようにナイフの刃を中尉の首に叩きつけた。間一髪、中尉はスゥエイ・バックして攻撃を避け、後ろに飛びしさって構え直した。再び睨み合いの態勢になる。兵士が嫌な笑い声を上げた。一は自動小銃を構え、兵士の頭を狙った。
「曹長、手を出すな!」
一に背中を向けている中尉が無線で命令した。一は小銃の狙いをはずし、ゆっくりと銃を下ろした。中尉は余裕を持って闘っている、と一は判断した。今のは相手の力量を試したのだ。兵士の方もそれに気付いたのか、笑い声が止まった。中尉が今度は左に周りながら詰めていくが、兵士の方がその分下がるので間合いは詰まらない。四分の一回転したところで中尉は立ち止まり、睨み合いとなった。サウスポー・スタイルになっていた中尉が左足をゆっくりと踏み出そうとしたとき、兵士が喚き声を上げて跳びかかった。真っ直ぐに首に突き入れられたナイフを左手で受け流すと、中尉は下段から振り上げるように逆手のナイフを兵士の首に。一は一瞬、息をつめた。不用意だった。中尉の攻撃は兵士に肘で受けられ、中尉の手からナイフが落ち地面に突き刺さった。
  だが、それも中尉の策だった。兵士の意識が落ちたナイフに行った隙を逃さず、中尉は兵士の右腕をねじ上げた。兵士はたまらず両膝と左手を地面についたが、ナイフは離さない。中尉はそのまま兵士の右腕をへし折った。兵士の悲鳴が無線に響き渡り、その右手からナイフが落ちた。中尉は左手で兵士の顎を掴むと、右手で鉄兜を押さえた。跪いた態勢のまま後ろから頭を押さえられた兵士は、苦痛と恐怖にうめきながら残された左腕で中尉の右手を掴んで振りほどこうとした。中尉は力を込めて一気に兵士の顎を左にねじ上げた。何ともいえない嫌な声をあげて、兵士は痙攣した。中尉はしばらくそのまま兵士の頭を掴んでいたが、やがて兵士の左手が力を失って中尉の右手から離れ落ちると、投げ捨てるように兵士の頭を離した。兵士は襤褸のように崩れ落ちた。
  「伍長、聞いてるか。」
「はい、曹長殿。」
「けりがついた。奴は死んだよ。シェルターはどうだ?」
「変化ありません。誰もいないと思います。」
一は中尉のいる棚地を見回した。棚地の右のはずれに未舗装路があり、さっき
APCで登ってきた道路に続いている。一たちが左折したT字路のひとつ手前のT字路である。
「もと来た道に戻ってちょっと下ってくれ。最初のT字路を右折すると中尉のいる棚地に出る。
APCで迎えに来てくれ。俺も今から飛び降りる。」
「舗装路に出てですか?」
「そうだ。舗装路にぶつかったら、右。そして最初のT字路をまた右だ。」
「了解、向かいます。」
一は中尉の居る棚地に飛び降りた。
  藤岡中尉は兵士の死体からフェイス・マスクをはがした。しばらくその顔を見ていたが、やがて大きく腕を振って思いっきりマスクを地面に叩きつけ、近づいてきた一に言った。
「やはり、入隊は同族に限るべきだった。」
「この男を知っているのですか?」
「いや。だが、おそらく戦後入隊した人殺しだろう。どれほど人数が減っても無差別に補充するべきではなかった。」
「私も戦後入隊の人殺しです。」
藤岡中尉は一の方を向き直り、一呼吸置いて笑った。
「そうか。すまん。」
「もっとも、人を殺したのは戦後になってからですが。」
一も笑った。中尉は冷静さを取り戻したようだった。
「うむ。」
中尉はふたたび死体を振り返った。
「どれほど神経の太い奴にも今の状況は耐えがたい。敵を感じることができないのでは敵と戦うこともない。俺たちのやっていることは丸っきり茶番に見えるだろうしな。」
「伍長が
APCで迎えに来ます。甲冑を剥ぎますか?」
「いや、このままでいいだろう。もう拾っていく奴もおるまい。とにかくシェルターに入ってみよう。」
「はい。」
「しかし、二人ともひどい格好だ。」
「まったくです。」
二人とも全身あの植物にまみれていた。
   APCでシェルターに戻った三人は、再び用心しながらシェルターに近づき中に入った。ここのシェルターは一が最初中尉を迎えたシェルターより少し大きい程度の規模だった。山のほぼ中央付近まで細長い廊下が続いていて、その奥に畳ほどのコントロール・ルームと、短い廊下で繋がった小さな食料庫があるだけだ。コントロール・ルームも食料庫もロックされておらず簡単に入ることができた。コントロール・ルームには補充用の水素ボンベが用意されていて、きちんとしまいこまれた甲冑と防護服も四組ある。少なくとも今回の作戦に誰かが備えていた様子が見えたが、それ以外に人が居た痕跡は見当たらず、食料庫は空だった。三人は甲冑を取り替え、汚染された方はシェルターの外に放り出した。コントロール・ユニットは外見的には何の問題もないようだったが、機能しなかった。良く調べてみると内部が破壊されていた。外板をはずして内部を破壊し、再び外板を元通り嵌め直してある。
「私はコントロール・ユニットから引き出せる情報がないか試してみる。二人は
APC内を清掃して、放射能チェックをしてくれ。」
「ここに泊まるのですか?」
めずらしく気弱な声で隅田伍長が尋ねた。
「司令部の指示次第だ。」
「ここは良くないと思います。」
藤岡中尉は隅田伍長をまじまじと見た。フェイス・マスクをしているので表情は分からないが、やや俯いているようだ。
「確かにここは良くないと思う。だが、作戦行動中だ。」
「司令部の指示といえども、現場の状況によって臨機応変な対応が必要と思います。」
「その通りだが、ここに泊まれないというほどの状況ではない。」
「しかし…」
一が割って入った。
「伍長、まずは清掃をしよう。ここに泊まるかどうかの議論は、司令部の指示を聞いてからでいいだろう。」
隅田伍長はまだ何か言いたそうだったが、一に促されて
APCに向かった。
  一と隅田伍長は集塵掃除機を使って、
APC内を清掃した。例の植物の破片はほぼ完全に取り除いたが、液体は拭き取るしかなくかなり時間がかかりそうだ。ガイガー・カウンターはかろうじてイエロー・ゾーンの手前ぐらいである。二人は甲冑をつけたまま無言で拭き取りを始めた。
  運転席まわりを拭き終えた一が兵員席を見ると、隅田伍長がうずくまって床を拭いている。何か一回り小さくなったような感じで、妙にしおらしく見えた。撃たれて気絶したことを気にしているのか。一は兵員席の拭き取りを手伝おうとして兵員席に移った。すると隅田伍長が一を見上げて突然大声で言った。
「ここは嫌ですっ、曹長殿。」
一は面食らって咄嗟に言葉が出ない。
「あの植物は嫌っ。あの植物が嫌い!あの植物がっ!」
隅田伍長は毟り取るようにフェイス・マスクと鉄兜を取った。
「よせ、放射能が…」
「だったら何だって言うのよ!もう手遅れだって言ったじゃないかっ!もう最後のコンタクトはあった…もう、もう救いは来ないって言ったじゃないかっ!」
伍長はうめきながら右手の鉄兜を一に投げつけ、声を上げて泣き出した。床に座り込んだまま手放しで泣いている伍長の左手から、フェイス・マスクがゆっくりと滑り落ちる。一はぐいと口をへの字に結び、投げつけられた鉄兜を両手で持って佇んだまま暗い気持ちで伍長を見つめた。
  隅田伍長はすぐに泣き止んだが、座り込んだまましゃくりあげている。一は伍長の正面の兵員席に座った。自分も鉄兜を取りフェイス・マスクをはずして、伍長の鉄兜と並べて兵員席に置く。そして自分の膝に視線を落としたまま尋ねた。
「救い、って何だよ?」
伍長は俯いたまま、時々鼻をすすりながら話しはじめた。
「私は新興宗教の教団で生まれました。両親が信者だったので、ずっと教団で教育を受けました。教団がすべてでした。」
「学校には行かなかったのか?」
「行きました。でも、学校では皆と同じように破戒のふりをしろと教えられていました。」
「ハカイ?」
「戒律を破り、悪魔に魂を売ることです。そういう愚民どもと同じふりをしていないと迫害される。子供のうちはそうやって身を守ることも許されると。」
「それで?」
「だから、教団で教えられることが真実だと信じていました。」
「うん。」
「教団では教祖がすべてでした。教祖はやがてハルマゲドンの日が来て、愚民どもは滅びる。教団は生き残り選ばれし者として新しい世界を作ることを命じられるのだと教えました。」
「信じていたのか?」
「信じていました。いえ。分かりません。物心ついてからずっと教祖がすべてだったので、教祖を疑うということを知りませんでした。何と言ったらいいのか…信じるということもどういうことだかよく分かっていませんでした。いえ、今でも分かりません。何も分かりません。」
「皆そうだ。俺もなんにも分からない。」
伍長は顔を上げて一の顔を見た。目を真っ赤に腫らして、頬には涙の跡がついている。一も顔を上げて伍長と視線を合わせた。しばらく伍長は一の目を見返していたが、また俯いて続けた。
「教団で生まれた子供は皆教祖の子供になります。子として、父であり神の代理である教祖に絶対の忠誠を誓います。ある年齢に達すると教団の目的のため特殊訓練を受けます。男の子は戦闘、女の子は…。私は小さい頃から丈夫で、強情で、忍耐強く、運動神経も人一倍優れていましたが、かわいくはありませんでした。だから、男の子と同じように戦闘訓練を受けました。」
「子供のころから戦闘を習ったというのはそういうことか。」
「はい。それでも年頃になるとみんなと同じように秘儀を受けました。」
「ヒギ?」
「教団の子供はすべて大人になるための秘儀を受けます。壁も床も天井も、あの植物のように極彩色に塗られた部屋で。教祖の気に入りの子は教祖、それ以外はまるで動物のように並べられて幹部が。このとき教祖に選ばれるかどうかで将来が決まってしまいます。」
  隅田伍長はきつく下唇を噛み締めて黙り込んだ。じっと虚空の一点を睨みつけるその様子を見て、一はそれが伍長の疵の核心ではないと思った。もっと別の何かがある。
「戦争前に人を殺したのか。」
「五十歳ぐらいの女の人をマンションの非常階段から放り投げました。」
「なぜ。」
「教団に反対する活動をしていたからです。でも、その時は知りませんでした。私はただ命令に従っただけです。」
「どんな命令だ。その女がなぜ死ななければならないか説明は無かったのか。」
「ありません。街で車の中から顔を確認して、それからマンションで待ち伏せして擦れ違いざま当身を当てました。その後三人で七階から下に放り投げたのです。」
「昔、週刊誌か何かで読んだ気がする。」
「そうですか。私たちは新聞を読むことも、テレビを見ることも禁じられていましたから。その人のことは後で破戒者から聞きました。」
「ハカイシャ?」
一瞬、伍長は目を上げて一を見たが、すぐにあらぬ方向に視線をそらした。
「裏切り者のことです。一緒にフィリピンに行きました。」
「フィリピンに行った?脱走したのか。」
「いいえ。命令でした。」
また伍長は一をちらりと見てすぐに視線をそらした。明らかに動揺が感じられた。
「私はその人から教団のことをいろいろと教えられました。教祖は偽者だとか、幹部たちは皆詐欺師なのだとか。思い当たることがありました。」
「思い当たることって?」
「その頃はまったく外国語をしゃべれなかったし、飛行機の切符の買い方も、飛行機の乗り方も知りませんでした。師長はその私に片道の飛行機の切符を渡して…。」
隅田伍長は胸の前で右手の親指を左手で強く握り締めて震え始めた。一は探るように少し俯いたその顔を覗き込んだが、伍長は視線を床に向けたまま左右にさまよわせている。
「渡して…?」
「フィリピンでこの女を殺せと命令しました。」
そう言うと、伍長は目をきつく瞑った。
「帰りの切符も金もくれません。教団しか居場所の無い私に、戻る方法を用意してくれませんでした。」
「その、シチョウ…に帰りの手配を聞かなかったのか?」
「命令は絶対で、質問も口答えも許されませんでした。結局切符の買い方はその女の人から教わりました。」
「それで日本に帰った?」
「はい。」
「よく殺されなかったな。教団は君に戻ってきて欲しくなかったんだろう。」
「フィリピンでも常に三人の男がつけていました。一人は私と一緒に訓練を受けた信者です。私を殺すためにつけていました。でも、そいつらのことはマニラでまいてしまいました。」
「それでも教団に帰ったのか。」
  隅田伍長は黙り込んだ。一も次を促す適当な言葉が見当たらずに黙っていた。やがて伍長は決心をつけたのか、ちょっと息を吐いて一気に話し始めた。
「他に行くところもありませんでした。私は混乱していて、どうしたらいいかも分かりませんでした。女の人は私に、世の中にはいんちき教団がいっぱいある、いんちき教祖もいっぱいいる、うちの教祖もその一人だと言いました。教祖は自分の金儲けの邪魔になった市会議員母娘を殺し、娘の方は出国したように見せかけるためその女の人を身代わりにしてフィリピンに行かせた、と言っていました。話を聞いて、私が殺したのは親の市会議員の方だと分かりました。そして、教団はその娘の身代わりにフィリピンに行かせたその人を私に殺させようとした。口封じです。私の口も封じようとしたのだと思います。
  日本に帰って私は途方に暮れて歩き回りました。歩きながら考えて、教祖が私に死ねと言うなら死のうと思いました。私は教団がすべてで、他のところでは生きて行けません。その教団が私は死ぬべきだというなら、私は死ぬしかない。そう思って教団本部に戻りました。戻って教祖に面会を求めているときに、戦争が起きたのです。あの時戦争が起きなかったら、私は殺されていたかもしれません。」
「戦争に救われたのか。」
一は自分でそう言っていながら、何てこったと思った。人類がすべてを失った大災厄によってしか救われない人生など。ただその両親の子に生まれたというだけで、なぜそのような苦しみを負わなければならないのか。
  「ハルマゲドンの予言は当たりました。だから生き残った信者はいっそう信心を深めました。私のことは、私に直接命令した師長が行方不明になったのでうやむやになったようです。教団本部にはかなりの量の食料が備蓄されていました。戦争の後は毎日教祖の秘儀が行われていました。秘儀はあの部屋で行われていました。私は嫌だったので警備についていて参加しませんでした。そんな状態で八日たって軍がやってきたのです。」
「軍が君の教団を攻撃した。」
「はい。いいえ。むしろ教団の方から軍に攻撃を仕掛けたのだと思います。見張りの者が軍隊が向かってくることを報告すると、教祖は悪魔の軍隊を迎え撃てと命令しました。奴らに勝たなければ、我々の新しい世界は成就されない。死を恐れて人類の最後の希望を絶やしてはならないと。病人や女子供、老人、それに教祖と幹部たちを本部に残して、私たちは外に出て軍を待ち伏せしました。」
「まったく歯が立たなかった。」
「はい。それでも私たちの士気は高く、皆よく闘い死んでいきました。私は女なので後詰に居たのですが、このままでは本部を守りきれないと思い、教祖を逃がすために本部に戻りました。本部では信者はみんな死んでいて、教祖と幹部たちが脱出しようとしていました。教祖は入ってきた私を見ると、私に向かって発砲しました。弾は左の肩に当たって私は倒れました。その時軍が突入してきたのです。私も教祖も幹部たちも捕虜になりました。」
「それで?」
「その後のことはよく分かりません。私は野戦病院から司令部の病院に送られましたから。後で聞いたら、教祖も幹部たちも見苦しく命乞いをしたそうですが、全員処刑されたそうです。」
「軍にしては珍しいな。」
「信者を大勢殺したから特別に裁判をして死刑にしたそうです。」
「君は傷を治して軍に入った。そこで本当のことを知ったんだな?」
「本当のこと?」
「君の教団の。」
隅田伍長はまた黙り込みじっと床の一点を見詰めた。長い沈黙の後、再び伍長の目から涙が流れ始めた。
「軍で戦争のことを知りました。奴らは敵であって神などではないと。奴らはずっと前から地球に来ていて、この戦争が最後のコンタクトなのだ。救いなど来はしない、お前は騙されていたのだと教えられました。ウソで練り固めた世界で詐欺師に操られていたのだと。騙されて、人を殺した。」
伍長は両手で顔を覆った。そしてうめくように続ける。
「私は、私…、本当のことを教えてくれた人を、殺した。一緒にいる間やさしくしてくれたのに。初めて私にやさしくしてくれた人だったのに。あなたは騙されてるのよって、一緒に逃げようって、言ってくれたのに。私は…その人を…殺しましたっ。」
  隅田伍長はこらえきれず床に突っ伏した。一が気配に気付いて振り返ると、
APCの入り口にいつの間にか藤岡中尉が佇んでいた。中尉は静かな声で言った。
「隅田伍長は今日の戦闘で勇戦敢闘し、傷を負った。曹長、伍長を休ませてやれ。」
一は無言で頷いて立ちあがり、兵員席の壁から簡易ベッドを引き出しにかかった。

  負傷兵用の簡易ベッドに隅田伍長を寝かせ鎮静剤を与えると、一は運転席に戻った。藤岡中尉が左の席で本部に報告を送っている。一は中央の運転席に座り中尉に尋ねた。
「本部の指示はどうですか。」
「作戦を続行せよ、それだけだ。」
「ここで夜営ですか。」
「曹長はどう思う。」
「ここは夜になると塩素ガスが充満するでしょう。日のあるうちに移動すべきと思います。」
「うむ。」
「それにさっき敵は倒しましたが、鰺ヶ沢のことといい気になります。まだ何か仕掛けてくるかもしれません。」
「私もそう思う。ただ、次のシェルターは弘前市の入り口にある。今から行くと夜に入る可能性がある。夜間の移動は避けたい。」
「ここから鰺ヶ沢まわりですか?まずいな。」
「いや、大館まわりで矢立峠を越える。シェルターの位置からしてそっちの方が合理的でもある。」
「鰺ヶ沢はどうしますか。」
「我々の作戦に関係無い。おそらく全滅しているだろうし、いまさらどうしようもない。」
「弘前のシェルターはどうですか。」
「連絡が取れている、生きてるよ。次こそはすんなり出迎えて欲しいな。」
中尉は笑って言ったが、一は笑えなかった。友軍との撃ち合いは初めての経験ではなかったが、嫌なものである。
「ここのシェルターは鰺ヶ沢の阿呆が来る前に死んでいたらしい。ディスクに誰かが書いた手記が残っていた。最後のほうは支離滅裂でよく分からないが、どうやらここを放棄してどこかへ行ったらしい。」
「防護服も甲冑もきれいに残っていました。それにわざわざパネルをはずして内部を破壊していました。」
「裸で出ていったようだ。」
「裸で?それじゃあ死んでしまう。」
「精神が破綻したんだろう。おそらくその辺で死体になっている。塩素ガスでな。」
一は黙って頷いた。どのみち同じことだと思った。いずれ一もこの惨めな惑星の上で死ぬことになるが、その死に様は大差ないことだろう。だからといって笑う者ももういない。
「とにかく弘前に向かおう。できれば日のあるうちに矢立峠を越えたい。土地勘はあるか。」
「大館までならあります。」
「よし、運転を頼む。」
「このシェルターはどうしますか。」
「粉々に吹き飛ばしてしまいたいところだが、軍規に従おう。このまま開け放して放棄する。」
「分かりました。」
ある時期以降、軍はシェルターを放棄するときは武器を運び出した上開放するようにしていた。万一生き残った人間がいたなら使えるようにという配慮に基づいている。
  一たちは毒々しく染め上げられたシェルターの山を下り、再び能代市街の爆心地に戻る。爆心地の縁で一はちょっとの間
APCを停車させ、モニターで爆心地を眺めた。
「どうした。」
「いえ。左に迂回します。」
一は建物が破壊し尽くされた市街地に侵入した。中尉に監視を任せ、ナビとレーダーを頼りに七号線への出口を目指す。道路の両側に建物の基部と一階の一部が残されているが、人の気配はなく動くものもない。よく見るとそこここにあの植物が生え始めている。七号線に出るとナビが経路案内を再開した。一は中尉に尋ねた。
「本部の情報はどの辺りまでアップ・デートされていますか。」
「情報によるが、この三か月ほどは滞りがちだと思う。なぜだ。」
「ナビの情報の信憑性です。道路は大丈夫か。」
「ナビについてはかなり信用しても良いと思う。この三か月ほどは道路を破壊するような大きな戦闘はないはずだ。少なくともこの地域では。」
「分かりました、飛ばします。」
  一はかなりのスピードを維持して東に向かった。白神山地の麓沿いに走り抜けることになるが、道路はかなり整備されていた。かつて世界遺産だったブナの原生林も枯れ木の山になっている。高架道路の下に温泉街の街並みが広がっている。見た目には昔と何も変わらないが、おそらくもう昆虫すらいないだろう。眼下に広がる街並みを見ながら、一は容子を埋葬したときのことを思い出していた。
  永沢大尉の制止を振り切ってマンションに駆けつけた一は、マンションの入り口に数人の兵士が負傷して倒れたり、座り込んでいるのを見た。誰もマンションに入ろうとする一を制止しなかった。一は階段を一気に三階まで駈け上がり、自分の部屋に向かった。一は部屋の前まで来て棒立ちになった。ドアがはずされている。一はしばらく身体を硬くして部屋の入り口の前に立ち尽していたが、ゆっくりと中に入っていった。廊下やリビングに無数の足跡がついている。そして開け放たれた寝室のドアから中を覗いた一は、真っ赤に血で染められたベッドに横たわる容子を見つけた。一は両肩から全身の力が抜けていくのを感じた。息が止まり、口がだらしなく開いているのをなんとなく意識しながら、ゆっくりと容子に近づいていく。
  ベッドサイドで立ったまま、両手をだらりと下げ口を半ば開けて一は容子を見ていた。全裸で寝かされており、関節をはずされたのか両手両足が付け根から不自然に投げ出されている。股間や乳房に暴行の痕跡があり、右の乳首は噛みきられていた。腹を裂かれていて、肝臓と思われるあたりから臓器が抜かれている。見えない両目を見開き口を半開きにして、軽く額に縦皺を刻んでいた。恐怖も、苦痛も通り越して、絶望すら超越した表情。一は震える右手で容子の両目を閉じた。涙が容子の顔に落ちる。そして左手を顎の下に、右手を頭にかけて口を閉じようとした。死後硬直がきている容子の口を力を込めて閉じ合わせると、容子の頭を掴んだまま目を閉じ跪いて容子の額に額をつけた。
「く、く…うっ…。」
こらえきれずに自分の口から漏れた嗚咽を聞いた一は、突然天井に向かって絶叫した。そして再び容子の額に額をつけて、声を忍び全身を震わせて泣いた。
  誰かが一の肩に手を掛けた。一は振り向きざま殴りかかった。相手は一の拳を受け流して背後に回ると、羽交い締めにしようとした。一は手を振り解き再び殴りかかったが、今度は腕を取られて投げ飛ばされた。
「もう止せ。」
相手は榎本少尉だった。一は制止を聞かず立ちあがると体当たりした。体当たりをかわした少尉は、一が向き直るところにカウンターで平手打ちを見舞った。一は二メートルほど飛ばされて倒れた。起き上がろうとしたがふらついて、足が立たない。
「よせ、もうあきらめろ。暴れても死んだ者は生き返らない。」
再び少尉が鋭い声で叱咤した。立ちあがりかけていた一は腰を落とし、横様に倒れた。左拳で床を叩き声を飲んで泣いている一を榎本少尉はしばらく見下ろしていたが、
「我が軍にも大勢戦死者が出た。ここに埋葬する、一緒に埋めてやろう。」
そう言うと部下たちに容子の死体を運び出すように指示した。
  前線司令部のある学校の校庭に大きな穴が掘られた。次々と戦死者が運ばれてきて、敷島中尉もその中に入っていた。敷島、須藤両小隊の被害が大きく、ほとんど死亡していた。兵士たちは甲冑を脱がされ、その辺の廃墟から調達されたシーツなどに包まれて穴に横たえられていった。最後に容子の死体が白いシーツに包まれて穴に横たえられた。兵士たちがその上に石灰を撒き、やがて土がかけられた。穴の縁に力無く立ち尽くしてそれを見ていた一は、穴が完全に埋め戻されるとゆっくりとしゃがんだ。両腕を膝の上に乗せ、両拳を地面につけていつまでもその場でうなだれていた。

  長いトンネルの前でAPCを止めた一はトンネルの闇を睨んで黙り込んでいた。中尉が不思議そうに一の顔を覗きこんでいる。
「曹長?」
ちらりと中尉を見やった一はモニターのナビ画面を見て言った。
「ナビ上は問題ありませんが、このままトンネルに入って良いでしょうか。」
「レーダーはどうだ。」
「出口まで通れるようです。それ以上は分かりません。」
「危険があると思うか。」
「分かりません。」
「敵は感じるか。私は感じないが。」
「私も敵は感じません。」
一は中尉と視線を合わせた。しばらく二人は黙って睨み合っていたが、やがて中尉が断を下した。
「時間が惜しい。このまま突入しよう。異存はあるか。」
「いいえ。」
モニターに向き直って
APCを進発させた一の横顔を藤岡中尉はしばらく見ていたが、やがてモニターに視線を向けた。APCはトンネルに突入しぐんぐん加速していく。モニターを暗視モードにして、一はほとんど最高速に達したままトンネルの中を疾走する。電力の供給が無いためトンネル内は完全な闇になっている。
「スピードを落とせ、曹長。出口の明かりが入るとモニターがとんで何も見えなくなるぞ。」
中尉が落ち着いた声で言う。一は軽くブレーキを入れて減速する。間もなく出口の明かりが入って一瞬モニターが真っ白になった。結局トンネルは何事も無く通過したが、中尉も一も互いに黙り込んでしまった。枯れきった山間を抜けて田園地帯に入る。ここの田は乾ききってひびが入っていた。大館市の市街に入る手前で藤岡中尉が沈黙を破って一に指示をした。
「矢立峠に向かう道は知っているか。」
「はい。」
「そっちに向かってくれ。峠の手前、長走の辺りで食事にしよう。」
「はい。」
  大館市街は建物の破壊はそれほど目立たないが、やはり無人であるようだった。モーショントラッカーもレーダーも動くものをまったく捕らえない。それでも一は用心して速度を落として市街地を通過していく。道路標識は完全に錆びきって読めないが、一はナビの経路案内で確認しながら進む。記憶が正しければ矢立峠はそれほど険しい峠ではないはずだ。一は子供の頃家族で矢立峠の手前の相乗温泉に来たことがある。崩壊家庭で育った一にとって子供の頃の数少ない楽しい思い出だった。途中に長走の風穴があって、父親と二人で入ったことを覚えている。中尉の言う長走はそこのことだろう。
  大館市街から矢立峠に向かって北進する山間の道路は乾燥しきっていた。この辺りにはあまり雨が降らないのか、それとも何か他の要因ですぐに乾燥してしまうのか。植物の残骸すら見当たらず、あの新種の植物もまったく無い。一は市街地を抜けたのでスピードを上げて無機的で殺風景な道路を疾駆する。空はオレンジ色に輝いていたが夕暮れにはまだ間があった。長走の風穴を過ぎた辺りで中尉は
APCを停めさせ、隅田伍長を起こしに行った。隅田伍長は運転席に入ってくるとはにかんだように俯いて一に言った。
「曹長殿、さっきは取り乱して申し訳ありません。」
「うん。しばらくここで監視をしていてくれ。俺と中尉は食事をする。」
「はい。」
隅田伍長は少し唇を歪めた。一は伍長の笑顔を初めて見た。ぎこちない笑顔だった。一は伍長の肩を叩いて兵員席に向かった。
  兵員席では藤岡中尉が食事の準備をしていた。準備と言っても軍の保存食料を
APCの保管庫から取り出し、パッケージを開けるだけである。パッケージはクリップを引けば簡単に開くようになっている。保存食料は食パンを二枚重ねた程度の大きさで、見るからに不味そうな茶色をしていたが、実際うまいとは言いかねる代物だった。ただ、機能としては脅威的な食料である。製造されたのは先祖の時代と言うから一万年以上前のものである。それでいて成分的には変質しておらず、完璧に近い栄養補給ができると軍の科学者は言っていた。一にはそれを確かめるすべは無かったが、少なくとも軍に入ってからはそればかり食って生きているのだから食料としての機能は十分と言えるだろう。しかも軍にはまだかなり在庫がある。
  兵員席に向かい合わせて座った一に、藤岡中尉は保存食料を差し出しながら尋ねた。
「何か不満がありそうだな。」
「いいえ。」
「曹長。私にウソをつくな。この部隊の指揮官は私で、君が副官だ。私が指揮を執れない状況に陥ったら君が執ることになる。私と君の間に意思の疎通が欠けていては作戦が失敗する恐れがある。」
「それではお尋ねします。」
「うむ。」
「その私に作戦の目的が明かされないのはなぜですか。」
中尉はじっと一の目を見返した。一も中尉の目を見返している。やがて中尉が視線を合わせたまま言った。
「この作戦は二段階に分かれており、今は第一段階にある。第一段階の目的は作戦要員を各シェルターから目的地に無事移動させることである。したがって、鹿の浦では失敗した。が、これは外部要因によるもので我が部隊のミスとは考えていない。この後弘前のシェルターから要員を一人ピック・アップして目的地に向かう。これについては最初に説明したはずだな。」
「目的地を聞いていません。」
「…。」
「それを聞かなければ説明を受けたことになりません。」
「目的地は司令部だ。」
「司令部。」
一は鸚鵡返しに言ったがある程度予想はついていた。司令部は岩木山の地下にあると言われていたが一は行ったことが無かった。戦後は軍事行動が続いており、戦後入隊の一は訓練が終了するとすぐ前線に送られ司令部に行く機会が無かったのだが、司令部に行った経験のある者は軍内部でも限られていた。一は司令部についてある疑惑を抱いていた。
「では第二段階の作戦はどのような作戦ですか。」
「第二段階の作戦については私も限られた情報しか与えられていない。今度の作戦は我が部隊の単独作戦ではない。現在まで生き残っている全軍が関わる大作戦だ。他の部隊に与えられた任務は、軍が管理する基地、シェルターから遺産を運び出し司令部に持ち込むことだ。我が部隊は司令部でそれを受け取りある場所に運ぶ。」
「ある場所とはどこですか。」
「分からない。」
「それでは何も分からないのと同じだ。」
一は顔を背けた。
「曹長、私を信じてくれ。私も目的地についての情報は与えられていないのだ。」
一は顔を背け続けた。
「目的地は司令部にある
APCのメモリーにインプットされている。私が持っている電子キーと暗証番号が無ければAPCを動かすことも情報を読み出すこともできない。司令部に運び込まれた遺産はそのAPCに積み込まれる手はずになっている。だが私が行かなければ目的地に行くことはできない。一方、私は司令部に行ってそのAPCを受け取らないことには目的地に行くことができない。」
中尉は小さな透明のカードを取り出して顔の前にかざした。
「これがその電子キーだ。いつも身体から離さずに持っている。」
一は向き直って尋ねた。
「暗証番号は。」
中尉はにやりと微笑んで答えた。
「もう君に教えてある。」
AFCR-9796?」
「それだけでは不完全だ。君のIDがいる。他の者のIDではダメだ。私と君しか知らない。」
中尉の微笑みが大きくなっていく。
「私が何もしゃべらないまま死んだとしても、ナビの経路案内は司令部まで君を連れて行く。行けば
APCが電子キーと暗証番号を要求する。君が私の死後も任務を続行するとすればおそらく私の死体を司令部まで運ぶだろうから、電子キーは発見できるにちがいない。キーを見つければ、君は必ず当てずっぽうに暗証番号を入れてみるだろう。思いつく可能性が高いのはその番号だ。」
一は嫌な顔をして再び顔を背けた。中尉が言葉を続ける。
「目的地は弘前で最後の要員を加えた後に告げるつもりだった。作戦の全容については司令部から秘密にせよと命令されていた。第一、自分でも半分しか知らない。」
一は向き直って尋ねた。
「では、なぜ今明かしたのですか。」
「君を見ていて、君なら大丈夫と思ったからだ。」
「歯の浮くようなことを。」
「本当だ。鹿の浦で君が生粋だと分かった。それに君は見事に伍長の心を開いた。十分将校が勤まる。」
「無理だな。俺は司令部を信用してない。」
一と中尉はしばらく互いに探るように睨み合った。
「中尉殿は誰の命令に従っているのですか。」
「伊丹将軍だ。」
「将軍は死にました。」
再び沈黙して二人は睨み合った。挑みかかるように一が言葉を継いだ。
「現在の最高司令官は誰なのですか。」
「左右田元帥。」
「元帥は戦争前に死んだと聞いています。」
「左右田元帥は一人の人間ではない。」
一はぐっと上体を反らして中尉を睨んだ。中尉も逸らさずに睨み返す。
「世襲だというのですか。」
「わからん。世襲かどうか分からん。」
「中尉殿は元帥に会ったことがあるのですか。」
「ない。」
「会ったことも無い人間の命令に従っているのか。」
一の言葉には侮蔑の響きがあった。中尉は険しい表情で言い返した。
「私は伊丹将軍を信じている。」
「だが、将軍は…」
「将軍と私は同郷だ。将軍は私より十二歳上で、親の無い私をかわいがり大学まで入れてくれた。」
中尉はそこで言葉を切った。一は返す言葉もなく黙っていた。少年時代が灰色なのは一も同じである。
「将軍は私を警察官にした。私は志願してSAT
に入った。それもこれも将軍のため、軍のためだ。私は将軍が亡くなった今でも将軍に忠誠を誓っている。だから、その将軍が絶対の忠誠を誓っていた左右田元帥に従うのだ。」
「私には中尉殿にとっての将軍のような人物はいません。私を軍に入れた永沢大尉は部下に殺されました。私は命令によってその部下を殺した。何のために戦うのかも、誰のために戦うのかも、命令をしているのが誰なのかも知らずに互いに殺しあった。軍は同士討ちは敵のせいだと言うが、榎本少尉の言い分だって間違ってはいなかった。司令部と称するところからデータで命令が来るだけで、声すらも聞いたことが無い。隅田伍長の教団と何も変わらない。」
「ならば退役するか?」
中尉は厳しい視線を一に向け、一も視線を跳ね返した。やがて、厳しい目をしたまま中尉の唇が歪み始めた。一はゆっくりと立ちあがった。剃刀のような微笑を浮かべる中尉を見下ろして睨みつけていた一は、兵員席に置いてあった保存食料を取り、そして言った。
「隅田伍長と交代します。」
「そうしてくれ。」
一はしばらくそのまま中尉を睨んでいたが、やがてくるりと背を向けて運転席に向かった。藤岡中尉は微笑みは引っ込めたが、一の背中に鋭い視線を投げつづけた。

つづく

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注1)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。
注2)本文中の会話はすべて標準語に翻訳してあります。