ファイナル・コンタクト 

第4章

 

  一は隅田伍長と交代し運転席のモニターを見ながら保存食料をゆっくりと食べていた。司令部を信用していないのに自分はなぜ軍に居るのか。藤岡中尉が見透かしたように食料が得られるからなのか。一は運転席のサイドにあるキーボードの上に食いかけの保存食料を投げ出した。その通り、と認めた方が楽なのは百も承知している。実際、何度もそれを口実に自分を納得させてきた。他に行くところがない、他では生きていけない、ここには食料がある、俺は必要とされている。
  みんな口実だ、と一は思った。俺は単純に死ぬのが怖いのだ。どれほど死が身近な世の中になっても、死を恐れている。毎日殺し合いをしていながら、自分が死ぬことを考えることができない。軍に居れば今日にも殺されるかもしれないが、自分が勝ちつづければ死ぬことは無い。軍から離れれば確実な死が待っている。だから、軍から離れられない。こんな無意味な世界になっても、未来という言葉が消滅した世界になっても、自分が死ぬということが考えられない。いや、ちがう。それもちがう。死ぬことは初めてのことだから確かに怖い。だが、嫌ではない。こんな世の中にどれだけ長く生き残ったところで何の意味も無いのだ。だから嫌ではない。死が避けられないことも分かっている。近いうちに、そうごく近いうちに自分にとって現実のものとなることも理解している。覚悟もできてはいる。ではなぜ?それでもやはり生きていたい?
  ちがう、ちがう。俺は負て殺されるまで死ねないのだ、と一は思った。それは守ってやることができずに死なせてしまった容子に対する償いでもあった。それに、自ら手を下した榎本少尉への義理もある。一は再び保存食料に手を伸ばした。司令部へ行かなければならない。一はゆっくりと味気ない食料を噛みながら思った。つきとめなければならない。

  容子が埋葬された校庭でうなだれている一を迎えに来たのは榎本少尉だった。一は少尉に引きずられるようにして永沢大尉のところへ連れて行かれた。大尉は連れてこられた一に尋ねた。
「お前、これからどうする。ここに残るのか。それとも何処か行く当てがあるのか。」
一は黙って俯いていた。大尉はじっと一を見据えて続けた。
「特にあてが無いなら軍に入らないか。お前は俺たちと同じ阿蘇部族だ。さっき体育館の入り口に奴らがいることに気付いただろう。」
一は顔を上げて大尉の目を見返した。大尉は少し微笑んだ。
「しかも俺より早かった。お前は間違い無く生粋だ。格闘のセンスも悪くない。どうだ。」
一は黙っていた。大尉は明日ここを発つまでに決心しろと言って、一を返した。
  一は自分の部屋に帰る気にはなれず、榎本小隊と同じ教室で夜を明かした。じっと教室の天井を睨みながら容子のことを思った。
「別れるつもりだったんでしょう?」
容子の最後の言葉が心に突き刺さっていた。一の目から静かに涙が流れた。容子に何か不満があったかと聞かれても答えられない。あの頃はあると思っていた。もうコイツとは終わりだ、もうダメなんだ、そう思っていた。だが、それだけだ。なぜと聞かれれば答えられない。あの頃はそれで良かった。何も知らなかった平和な日々、明日が来ることが当たり前だと思っていた。明日も生きていることが当たり前だと思っていた。自分にももっと素晴らしい未来があると信じていた。すべて間違いだった。あの日一は、いや、全人類はそれを思い知らされた。自分たちが信じていた世界がどれほど脆いものだったのかを。もう明日は来ない、そうなったとき一には容子がどうしても必要であった。生きる為に殺戮に手を染める時、一には容子の存在が救いであった。容子のために、その言い訳が。一は自分の身勝手さを嫌悪した。
  「容子は死んだ。」
一は小さな声で口に出して言った。明日この連中と別れてここにとどまればおそらく抜け殻のようになって餓死するだろう。だが、それで容子の所に行けるわけではない。この連中について行けばどうなるだろう。この連中は今日のように戦争を繰り返すのだろう。人を殺しつづけて生きることにどんな意味がある?もう容子は居ないのだ。お前の言い訳はもう存在しない。では残るか。残って死んでしまうか。いや、それは安易な解決でないのか。
  どうどう巡りの思案を続けていた一は突然起きあがった。言い訳?俺は生きるための言い訳に容子を使っていたのか?本当にそうか?一は闇の中で自分の掌に視線を落とした。殺しが楽しくはなかったか。戦うことに生きがいを見出してなかったか。正確には殺しの言い訳でなかったのか。一は教室を見回した。兵士たちは皆泥のように眠っている。もう一度自分の掌を見詰めた一は心に暗い炎が燃え立つのを感じた。自分で始めた戦いで容子を死なせながら自分はまだ生きている。容子を口実にして人を殺しながら、その容子を失ってまだ生きている。このまま死ぬわけにはいかない、楽に死ぬわけにはいかないのだ。負けて殺されるまで、そう、俺は殺されるべきなのだ。それがこの身勝手な俺が受けるべき報いなのだ。
  翌朝、一は永沢大尉に入隊を志願した。大尉は隊の編成を変更した。榎本少尉に二十数名の兵士をつけて敷島中尉の代わりにむやむやシェルターに、吉田少尉の隊には一のほか志願兵をつけて黒又山に向かわせ、自分は鰺ヶ沢に引き上げた。吉田少尉の隊は途中三度闘ったが、相手はいずれも文字通りの暴徒でまったく問題にならなかった。志願兵の受け入れも続けられ、最終的には二十五人になった。一は永沢大尉から生粋のお墨付きを与えられていたので志願兵の中でも特別扱いだったが、志願兵の受け入れ条件はかなり緩いようだった。元自衛官、元警察官、格闘技の経験者などが優先されていたが、別に確認するわけではないし、阿蘇部族か否かも問題にされてないようだった。もっとも阿蘇部族かどうかは外見では判断できないのだから仕方ないのだが。
  黒又山は古代のピラミッドであると噂されていた山である。一はそんな名前の山があることすら知らなかったが、
APCの兵員モニターから見ると確かにきれいな三角形の山であった。山裾の林や野原は真っ赤に枯れ果てて、そこへAPCのものと思われる轍が四筋できていた。黒又山の基地は山の下の地下にあった。ほとんど山の面積と同じぐらいあるような大基地で、入り口は山の中腹にあって地下まで巨大なエレベーターが作られていた。後で知ったことだが、この基地はできてから一万数千年が経つという。してみると、黒又山がピラミッドであると言う説は的を得ていたことになる。一はここで三か月間訓練を受けた。格闘、射撃、ナイフ、APCの運転、そしてなにより行進とランニング。脱落する者もいたが、多くは単調でつらいばかりの行進やランニングに耐えられない者たちだった。夜は爆発物や毒物、医療技術やサバイバル術、阿蘇部族の歴史の講義、それに敵について分かっている限りの情報と英会話だった。軍は基盤が青森から秋田にかけてあったので、三沢の米軍の残党を警戒していた。国内で軍とそれなりに渡り合えるのは米軍と自衛隊だった。もちろん一が見た戦闘のような例外もあるが、最も警戒を要する相手は明らかに米軍だった。そのため軍では徹底して新兵に英会話を叩き込んだ。
  一は訓練を終えると鰺ヶ沢大隊に所属されることになった。ところが、出発の間際になって何の説明もないまま三日足止めを食らった。三日目に同じく鰺ヶ沢大隊に向かう新兵十五名とともに
APCに乗せられ、行き先も告げられないまま払暁に出発した。兵員用モニターで見ていると、どうやら南下している。上小阿仁の辺りで夜が明けてようやく状況の説明があった。鰺ヶ沢大隊主力は消息を絶ったむやむやシェルター守備小隊捜索のため鳥海山に向かい、そして同じように消息不明になっていた。そこで今度は黒又山基地から一個中隊が捜索に出ることになり、本来鰺ヶ沢に向かう新兵も同行させられたのだ。
  本荘市に入るとすぐ鳥海山が見える。むやむやはその山裾にあり、荒吐王国(あらはばきおうこく)と大和朝廷が激突した古戦場である。ここの守備隊に一は因縁があった。このときは榎本少尉が守備隊長のはずであったが、二週間前から消息不明となっていて捜索にきた永沢大尉も行方不明である。まわりの兵士たちの緊張を感じて逆に一たち新兵は妙に落ち着いていた。というより、どうしていいのかさっぱり分からず緊張のしようがなかったという方が正解だろう。象潟町に入ると海辺に近いホテルの廃墟に中隊司令部が置かれた。一たち新兵は独りづつ
十六ある分隊のどれかに入れられた。一の分隊長は伊東軍曹という傭兵あがりで、実戦では頼りになりそうだった。
  シェルターに向かった小隊からシェルターの無人を確認したと報告が入った。シェルターの施設には戦闘による損傷が見られ、武器と食料がほとんど残っていなかった。司令部では二小隊を残し、二小隊に索敵させることにした。そこで伊東分隊は斥候の役目を負って先行することになり、軍曹は一を迷惑がっていた。
「しょうがねぇ。おい、小僧、俺のそばを離れるなよ。」
そう言って一を睨みつけるとフェイス・マスクをつけ前進の指示を出した。
  国道七号線を南下して象潟の町を通り過ぎ、鳥海ブルーラインの入り口で伊東軍曹は
APCを停めさせた。
「おい小僧、敵を感じるか?」
「感じません。」
「よし、前進。十六羅漢の辺りまで進むぞ。」
どうやら伊東軍曹は一が生粋であることを知っているようだった。十六羅漢は県境を越えて遊佐町にあるが、町中に入るはるか手前で左手に鳥海山、右手に日本海の磯という景勝地である。赤みがかったオレンジ色の空を反射する海は暗く淀んだような光を放っていた。
APCは海沿いの曲がりくねった道を進んでいて、時折見通しが利かなくなったりするためゆっくりとしか進めなかった。やがて十六羅漢の駐車場へ曲がる交叉点で運転していた兵士がAPCを停めて尋ねた。
「駐車場に入りますか。」
「いや、通りすぎて遊佐町の入り口まで行く。それから引き返す。」
「了解、前進します。」
十六羅漢の駐車場は山側にあって、そこに車を駐めて歩道橋で道路を渡って海側の展望台に行くことができる。
APCがゆっくりと歩道橋の下に差し掛かったとき、突然歩道橋の両端が爆発しAPCの上に落下した。
  一は意識を回復してもしばらくはじっとしていた。潰れた
APCの間に挟まって身動きが取れず、他の兵士も目に入るところには居なかった。そのままで手足の指を動かしてみると、感覚がありどうやら神経は無事らしい。頭上にぽっかりと穴があいてオレンジ色の空が見えている。一は身をひねって何とか左手を頭上に差し上げ穴の縁をつかみ、苦労して右手も頭上に差し上げた。両手で穴の縁をつかんで自分の身体を引っ張り、芋虫のように身体を捩って何とかAPCの隙間から這い出した。すぐにAPCの残骸から道路に飛び降り、残骸の陰に隠れて辺りを窺う。時計を見ると実際にはほんの数分しかたっていなかった。APCの最後部に乗っていた一はかろうじて生き残ったが、前の方は完全に潰れていた。前が潰れた衝撃で最後部の角が裂けており、一はその裂け目から外に出ることができたのだった。一通り辺りを窺った一は自分が出てきた裂け目からAPCの中を覗いた。武器は身につけていた9mmオートマチックとナイフ、それに自動小銃の予備弾倉二つで、これでは心もとなかった。幸いすぐ手の届く位置に自動小銃が見つかり、一はそれを何とか引っ張り出した。試みにAPCのまわりを周って見たがどう見ても全滅に思えた。
「軍曹殿、軍曹殿。」
思ったとおり返事はない。一は途方に暮れた。この状態では定時連絡がないことに気付いた中隊司令部が迎えを出さない限りどうにもならない。定時連絡?一はフェイス・マスクに装備された無線を使ってみることにした。この無線はせいぜい
五百メートルしか届かないと訓練で教えられていたが、近くに索敵に出ている分隊が居るかもしれない。
「伊東分隊より最寄の分隊へ、メイデイ、メイデイ。こちら伊東分隊の渡部二等兵、何者かの攻撃を受け分隊長以下全員死亡、生き残ったのは自分独りです。場所は十六羅漢。こちら伊東分隊の渡部二等兵、メイデイ、メイデイ。十六羅漢で伊東分隊は攻撃を受け自分を除いて全滅。メイデイ、メイデイ。」
  一はそこで送信を止めて返答を待った。返答はない。もう一度送信しようとして、一は人の気配を感じて振り返った。軍の甲冑を着けた兵士がナイフを振りかぶっていた。兵士は急に一が振り向いたので一瞬凍りついたように動けなくなった。幸運なことに一の自動小銃の銃口は真っ直ぐ兵士の顔に向いていた。一は引き金を引いた。最初の一弾でフェイス・マスクが弾け跳び、二弾目と三弾目を顔に食らった兵士は棒のように身体を硬直させてひっくり返った。一は返り血を浴びて顔を背けたが、おそるおそる倒れた兵士の顔を覗いた。弾が鉄兜で止まって炸裂したのか、兵士の顔は赤と白と黒のぐずぐずの塊となって鉄兜の中に収まっていた。一は顔をしかめて目をそらし、ふと駐車場の方を見上げて別の兵士がロケット・ランチャーを構えているのを見た。兵士のロケット・ランチャーが火を吹くのと一が
APCの残骸の陰に飛び込むのが同時だった。道路に伏せて頭を抱えている一のすぐそばで対人触発弾が炸裂した。一は舌の付け根から分泌される苦いものを飲み下しながら、起きあがってAPCに背中をつけ、膝を抱えて左右を窺った。再び対人触発弾が飛んでくる音がして、APCに着弾し一の背中をびりびりと震わせた。一は一瞬目を閉じたが、すぐに自動小銃を構えてAPCの蔭から出ると膝立ちで発砲した。弾はランチャーを構えた兵士の鉄兜に当って弾け、兵士はひるんで後に下がって見えなくなった。一は立ちあがって海に向かって走った。道路の海側の路肩は三メートルほどの崖になっており一はそのまま飛び降りたが、その頭上をかすめるように対人触発弾が海上に飛んでいった。
  一は磯の小さな砂場に飛び降りた。何か小さなものを踏み潰した感触があったが構っていられない。前にそびえる大きな岩の後に駈け込み、荒い息をついた。ゆっくり右に回っていき岩の蔭から道路を覗いた。ランチャーを構えた兵士が道路の上から一を探していた。今は一のいる岩の左隣の岩の辺りを探っている。一は兵士の右手に狙いをつけ撃った。右手に弾を食らった兵士はランチャーを落とした。一は兵士に発砲しながら落ちたランチャーに向かって走った。兵士も一瞬ひるんだが、すぐに崖から飛び降りた。先にランチャーを拾ったのは兵士の方だったが、一は自動小銃の台尻でランチャーを拾って起きあがる兵士の顎を一撃した。兵士はカウンターを食らってランチャーを放り出した倒れた。ふらつきながらも立ちあがろうとする兵士の頭に一が蹴りをくれた。兵士は仰向けに倒れ、意識が飛んだようだった。一は兵士のフェイス・マスクを剥ぎ取ると、自動小銃を突き付けて叫んだ。
「お前は誰だ!」
兵士はしばらく目をしばたかせて頭を振っていたが、やがて一の顔に目の焦点を合わせ険しい表情になった。
「誰だと聞いてるんだ。」
再び一が詰問したが、兵士は答えない。歯を食いしばって銃口と一を睨んでいる。一も全身にアドレナリンを駆け巡らせながら睨みつける。二人は呼吸を読み合っていたが、兵士が息を引くのと一が発砲するのが同時だった。兵士はびくりと跳ね上がったが、自ら起きあがろうとした動作だったのか、撃たれた衝撃でそうなったのか定かではない。うまく返り血を避けた一は、今度は眦を裂いて兵士の死体を睨みつけていた。
  波の音を聞きながら一は道路の上を睨みまわした。まだアドレナリンによる興奮が収まらない。じっくりと道路を観察し他に誰もいないことを確認すると、一はしゃがんで兵士の死体を検め始めた。甲冑の胸の徽章は一等兵のものだった。右の胸には所属部隊のプレートが嵌められているが、それは一のと同じ鰺ヶ沢大隊のものだった。一はどう解釈していいか分からず困惑した。鰺ヶ沢大隊はむやむや守備小隊の捜索に出たはずだったのに、なぜ一に向かって発砲してきたのか。一は兵士の首から血まみれの認識章を引き千切った。認識章には
Sato,Toruと名前だけ書いてあった。
  認識章を兵士の胸の上に落とし、振り向いて一歩踏み出そうとして、一は足もとに落ちているものに気がついた。なにやら干からび果てた黒いもので、さっき飛び降りたときに踏みつけたものでないかと思った。一はしゃがんでその黒いものをじっと眺めた。どうしても何だか分からない。一はふと目を上げて辺りに同じようなものがたくさん落ちていることに気づいた。立ち上がって歩きながら一つ一つそれらを見ていくがどうしても何だか分からない。いつの間にか海に近づいていた一は、小さな砂浜で同じく黒く干からびていながら違うものを見つけた。これはすぐに分かった。魚だった。砂浜には無数の干からびた魚が散乱していた。それを見て一はさっきの黒いものが何か悟った。ウミネコだ。一は慄然となった。この磯は死に絶えている。突然、波の音量が上がったような気がした一は夢中で兵士の死体のところに引き返してロケット・ランチャーを拾うと、一散に道路に駈け上がった。道路に新たな兵士が待ち伏せしているかもしれなかったが、とにかく一秒でも早く、一ミリでも遠くこの海から離れたかった。道路に駈けあがった一は少し落ち着いて海の方を振り返った。オレンジ色の光を反射する海は何の変わりもなくそこに存在していた。一は背筋に震えが走るのを止められなかった。
  一は山側の駐車場に登ってみることにした。二人の兵士が一の無線通信を聞きつけて襲ってきたのは明らかだった。無線はもう使えない。あとは司令部が異常に気付いて捜索隊を出すか、あるいは万が一さっきの通信を友軍も聞いていてくれるのを祈るだけだった。したがって、ここから遠く離れるのは得策でない。それに一はなるべく海から離れたかった。ランチャーは四連発で四弾装着されていた。自動小銃の方は予備のクリップが一つある。右手にトリガーに指をかけたランチャーを、左手に自動小銃を掴んで一は用心しながら駐車場への道を登っていった。駐車場にはセダンが一台、
SUVが二台駐まっていたが、人は一人もいなかった。海側の歩道橋の手前に土産物屋兼食堂があり、五、六十台駐めることのできるスペースを囲んで枯れた針葉樹の林になっていた。林の下草は朽ち果てて黒ずんだ残骸に成り果てていた。一は林を注意深く観察し、誰もいないことを得心して土産物屋に向かった。用心して壁に背をつけて入り口から中を覗くと、誰かが倒れているらしくつま先を上にして靴が二つ並んでいるのが見えた。一はランチャーと自動小銃を持ち替え、片手で自動小銃を構えて踏み込んだ。まず靴が見えた方と反対側に小銃を向け、左手のランチャーを足元に落とすと、振り返って両手で小銃を構えた。誰もいなかった。ゆっくりと小銃を構えたまま一回転してみたが、やはり室内には誰もいない。一は靴の主に視線を落とした。
  靴は足に履かれていたが、ズボンのすそからはみ出した脛はすでに骨と皮ばかりになって黒ずんでいた。服も着ていたが中身が縮んでだぶだぶになっている。頭も毛が抜け落ちて骸骨が干からびた皮を被っているようだ。奥にもう一人倒れていて同じ状態になっていたが、着衣から判断して中高年の女性だと一は思った。こっちのはわりと長身の高齢の男性だろう。コンクリート打ちっぱなしの床に干からびた魚やウミネコが転がっている。一は胸が悪くなり、振り向きざま我慢し切れずにフェイス・マスクを引き剥がすと嘔吐した。魚やウミネコには食べられた形跡があったのだ。
  ひとしきり発作が治まった一がふと目を上げると、迷彩服に鉄兜の二人が自動小銃を一に向けて入り口に立っていた。
「動くな!」
一は警告を無視してゆっくり立ちあがった。
「武器を捨てろ!捨てるんだ!」
二人は怯えているようだったが、この装備で軍の甲冑を着けた一を相手にするのだから無理もなかった。一は自動小銃の台尻を床につけ、かがんで静かに床に置いた。そしてわざとゆっくり立ちあがりながら右足のプロテクターに隠されたホルスターから9
mmを抜き撃ちした。右に立っていた男が胸の真中に弾を食らって後に吹っ飛んだ。それを見た左の男は発砲もせずに一目散に逃げ出した。一は9mmに左手も添え、膝を落として男の背中に狙いをつけたが、すんでのところで男の背中は入り口の脇の壁に隠れて見えなくなった。舌打ちして9mmをホルスターに戻した一は自動小銃を拾い、入り口から駆け出した。
「止まれ!」
男は止まらない。全力で駐車場の丘を駈けぬけ道路に飛び降りた。だが、一の放った弾が空中で男の首を撃ち抜いた。男は血しぶきを上げて落ちていった。
  一はその様を見ていたが、右に敵の気配を感じてそちらに向いた。そして動けなくなった。いつの間にか多くの甲冑を着けた兵士や迷彩服が土産物屋の蔭から現れ、後ろから一を囲んでいた。
「まず銃を捨てろ。それから両手を上げて振り向いてもらおう。」
聞き覚えのある声の指示にしたがって一は自動小銃を地面に捨てた。駆け引きやハッタリは通じない相手だった。両手をだらしなく差し上げ、一はゆっくり振り向いた。声の主はやはり榎本少尉だった。少尉は甲冑をつけていたが鉄兜やフェイス・マスクは被らず、無線ユニットをベアで着けていた。両側から近づいた甲冑の兵士がホルスターから9
mmを奪い両腕を掴んだ。少尉の隣にいた迷彩服の男が正面から近づいて一の鉄兜を乱暴に取り去った。
「ほう、お前か。」
榎本少尉は少し唇を歪めて続けた。
「鰺ヶ沢に配属か。」
一は敵の方を見た。
「あいつらなら気にすることはない。あいつらの方から何かすることはないんだ。気にしなければそれまでよ。踊らされて殺し合う必要はない。」
「永沢大尉殿も一緒ですか。」
一の問いに対して榎本少尉は声を出さずに冷笑した。一は少尉を睨みつけた。
「大尉は一緒じゃない。死んだよ。俺が殺した。」
一はすぐ近くで睨んでいる迷彩服に視線を向けた。
「少尉殿はなぜこんな糞どもと一緒なのですか?」
迷彩服が近づいて拳で一の顔を殴った。それから腹に小銃の台尻で一撃を加え、苦痛に身体を折った一の顎に左の肘を見舞った。両側の兵士が腕を離したので一は横ざまに倒れた。迷彩服は立ちあがりかけた一の顔を踏みつけて押さえた。一はそのまま男を下から睨み上げた。男はせせら笑っていた。榎本少尉が近づいてきて立ったまま一を見下ろして言った。
「大尉は多くの仲間を死なせた。誰とも分からない奴からの命令だと言って意味もなく俺たちを闘わせた。いま人間同士が戦うことに何の意味がある。このまま冬になれば黙っていても人間はほぼ絶滅だ。それなのに殺しあって数を減らせと命令される。だから俺はこいつらと話し合って合流することにした。合流してここで生き残りを図ることにな。大尉は俺の言葉に耳を貸さなかった。だから一対一で勝負して倒した。残った大尉の部下たちも今は一緒だ。お前はどうする。」
一は踏みつけられたまま少尉を睨みつけて言った。
「俺は糞の仲間にはならん。」
少尉の顔が歪んだ。ヒューンという空気を切る音が聞こえたのはそのときだった。
  榎本少尉は咄嗟に地面に身を投げた。次の瞬間爆発音がして、一の顔から靴の圧力が消えて代わりに血肉が降り注いだ。一は目の辺りをぬぐってそのまま顔だけ上げて見た。対人触発弾が連続して炸裂し、自動小銃や機関銃の音も聞こえ始めている。駐車場に上がってくる道路から続々と軍の兵士がこちらに突撃してきており、榎本少尉の部下たちは反撃したり逃げ惑ったり大混乱に陥っていた。少尉は片膝立ちになり辺りを見まわしていた。次々と突撃して来る軍の兵士たちに圧倒されて、もはや指揮を執れる状態ではない。ぎりぎりと歯軋りした少尉は立ちあがると敵のいる林の方に向かって走り出した。一も立ちあがって少尉を追って走り出す。
  林の中の大きな岩のそばまで二人が走ってきたとき、後で敵が爆発する特有の爆音がした。少尉はつんのめり、追いついた一が後ろからタックルして一緒に倒れこんだ。少尉はぐるりと仰向けになると拳銃を抜いて一に向けたが、一は少尉の腕を掴んで拳銃を少尉の拳ごと岩に叩きつけた。撃針が折れる乾いた音がして、少尉の手から拳銃が飛んだ。拳銃に気を取られた一を少尉は横に投げ転がし、立ちあがってナイフを抜くと一に飛びかかった。一もナイフを抜いて少尉を迎え撃ち、二人は擦れ違いざまナイフを合わせた。一は逆手に持ったナイフを顔の前に突き出し、少尉に対して右の脇腹をさらす態勢になった。誘いだったが、少尉は乗らなかった。ゆっくりと振り返った一に少尉は鋭い目つきのまま微笑んで言った。
「やるな。」
「投降して下さい、少尉殿。」
「何を言う。」
榎本少尉はせせら笑った。二人は岩の脇で互いに逆手に持ったナイフを構えて睨み合った。二人ともナイフの流儀が同じであることに既に気付いていた。軍の兵士たちが次々に駈けつけ二人を囲み始める。少尉が表情を引き締めて言った。
「渡部と言ったな。お前、軍の司令官に会ったことがあるか。」
「…。」
「司令官と話をしたことがあるか。司令官が誰か知っているか。」
一が無言でいると、少尉は二人を取り囲んでいる軍の兵士たちに聞こえるように大声で言った。
「お前らもだ。軍を支配しているのが誰か知っているか。左右田元帥って奴を見たことがあるか。参謀府の連中に会ったことがあるか。連中はすべて敵の所為だという。敵に直接攻撃された経験のある奴はいるか。」
少尉はぐるりと兵士たちを睨みまわした。兵士たちは銃を構えて少尉を囲んでいるが、誰も少尉の問いに答えようとしない。というより、少尉の問いが的を得ているので誰も答えられないのだ。
「俺たちは奴らの命令で闘ってきた。闘って殺してきた。仲間も大勢死んだ。だが、何が変わった?何が変わらなかった?放っておいてもみんな死んでいくだけだ。俺たちが闘うことで死なずに済んだものがあるか。おい、渡部!答えろっ!なぜ闘う。なんのために闘う。誰のために闘うっ!」
少尉は眦を裂いて一を睨みつけた。一は静かな声で答えた。
「あんたには一度負けてる。」
少尉は沈黙した。顔からみるみる怒気が消えていき、やがてなんともいえない微笑を浮かべて言った。
「そうか。そうだったな。」
  少尉は再び腰を少し落として半身で構え直した。一は心が急速に冷えていくのを感じた。半身で棒立ちのままナイフを順手に持ちかえると、ゆっくりと少尉に対して正面を向き自然体になった。少尉の顔色が少し変わった。一は両腕をだらりと下ろしたまま右足を一歩踏み出した。少尉が気圧されて下がる。一は構わず真っ直ぐ前進する。少尉はじりじりと後退し、後に太い枯れ木を背負う形になった。一は対峙して待てる限界の距離まで近づくと立ち止まった。視線を合わせ睨み合いながら一はふいに少尉を哀れに思った。少尉が真っ直ぐに飛びかかって、ナイフで一の首を左から凪ごうとした。一は左手でそれを受けると右の蹴りを真っ直ぐ繰り出した。意表を突かれた少尉は上体だけ仰け反らして蹴りをかわしたため、返しの踵落しを防げなかった。一の踵は少尉の左の首筋に落ち、少尉は身体を右に捻じるようにしてしゃがみ込み左手をついた。一は袈裟懸に少尉の頚動脈を断ち切った。
  骨が抜けたように崩折れ盛んに鮮血を噴出しながら、榎本少尉はゆっくりと仰向けになって一と視線を合わせた。一は立ったまま少尉を見下ろしていた。もがり笛と交互に少尉がつぶやくように言った。
「確かめろ…渡部…やつら…のつ…ら…を…」
そこまでで笛もつぶやきも止まり、少尉の目は光を失っていった。一は片膝つき、右手で少尉の両目を閉じた。しばらくは誰も動かず、一言もしゃべらなかった。

  捕らえられた少尉の部下や迷彩服たちの供述から事件のあらましが判明した。迷彩服の男たちは自衛隊北陸方面隊の生き残りだった。北陸は原発が多くそこに通常兵器による攻撃をくらった。自前の核兵器を使わずに放射能汚染を狙う作戦である。そのため生き残った自衛官たちは日本海沿いを北上、むやむやで軍と遭遇した。あとは榎本少尉が一に語った通りである。シェルターの設備の損傷は大したことなかったが、軍はむやむやシェルターを放棄することに決めた。設備よりも人員が不足していて維持することができなかった。シェルターは完膚なきまでに爆破された。軍がシェルターを開放放棄するようになるのはその冬があけて初夏の頃からである。
  一は榎本少尉の言葉を何度も反芻していた。しかし、それについて考える時間はあまり与えられなかった。鰺ヶ沢に向かった一には米軍との死闘が待っていたのだ。

  食事を済ませた藤岡中尉と隅田伍長が操縦席に入ってきた。中尉はそこで改めて次の目的地が弘前のシェルターであること、そして最終目的地が司令部であることを二人に告げた。
「弘前のシェルターは、矢立峠から行くと町の入り口にあたる弘前大橋のたもとにある。本部経由で連絡がついている。守備は中村達夫軍曹だ。曹長は知っているな。」
中尉は言葉を切って一を見た。一は顔を曇らせながら、何度か頷いた。
「そう嫌がるな。実戦では頼りになる男だ。今夜はシェルターで夜営、翌朝
0700に出発する。質問は?では伍長が運転してくれ。」
隅田伍長はちょっと一の顔を覗ったが、何も言わず中央席に座った。
  青森県内を転戦した経験のある一だったが、矢立峠を越え碇ヶ関を通過するルートは初めてだった。鰺ヶ沢、五所川原、青森、浪岡と、戦争とそれに続く軍と米軍との激しい戦闘のため街は完全に荒廃していたが、碇ヶ関から弘前にかけては破壊を免れている。もちろんそれは建造物が壊れずに残っているというだけで、生き物にお目にかかることはまずないだろう。しかも嫌なことに例の植物がかなり目に付くようになっている。
  碇ヶ関の市街地に入ると一は中尉に言った。
「中村軍曹に音声で連絡をつけておいた方がいいと思います。見境のつく男ではないので、挨拶しておいた方がいいでしょう。」
「そんなにひどいのか。」
「中尉はご存知ないのですか。」
「会ったことはない。ならば、曹長が連絡してみてくれ。」
「はい。」
一は無線ユニットを立ち上げマイクに向かった。
「こちらユニット7、
APCユニット7、弘前シェルター応答せよ。こちらAPCユニット7、弘前シェルター、中村軍曹応答せよ、送れ。」
しばらくノイズが続いた後、返信があった。
「こちら弘前シェルター、
APCユニット7、受信状態良好。ところであんた誰だ?」
「こちらは渡部一曹長、司令官は藤岡中尉殿だ。軍曹、無線通信ぐらいきちんとやれ、送れ。」
「…昇進したのか。そいつは目出度いなあ、曹長様よ。もっともこんな有様だ、昇進なんて別に…」
一はうんざりして軍曹の返信に被せて言った。
「これからそちらに向かう。シェルターの前に出迎えろ、軍曹。間違っても発砲して来たりするな。分かったか、送れ。」
「嫌なこった。ここはやばいぜ、もう何人も殺られてる。おもてにボケ面さらして立ってなどいられるか。」
一と中尉は顔を見合わせた。
「どういうことだ軍曹。」
「二台
APCが通過したが市内で両方とも行方不明だ。」
「行方不明だと?」
「止まったと思ったらレーダーから消えちまった。二台とも中心街でな。ここには何かいるぜ、心して来な。」
再び一と中尉は顔を見合わせたが、今度は中尉がマイクに向かって言った。
「軍曹、藤岡中尉である。行方不明になったのは今度の作戦にかかわる車両か。」
「さあ、分かりませんね。俺はただここを通過して行くのを見ただけですから。別に連絡もなかったので黙ってましたんでね。」
APCはどっちから来た?」
「碇ヶ関からです。真っ直ぐ市内に入っていって、そこで消えてなくなりました。」
「二台ともそうか。」
「そうです。」
しばらく中尉は言葉を切って考え込んでいたが、再度尋ねた。
「シェルターの周りに異常はないか。」
「ないかと思いますがね。しばらく外に出てないから分かりませんや。」
「レーダーやモニターがあるだろう。」
「自分の目玉で見ねぇことにはね。もっとも見えねぇ奴らもいるけど。」
「敵は感じるか?」
「いやあ、奴らはいねぇようです。少なくともシェルターの周りには。」
中尉はまた少し間を置いてから言った。
「よし、軍曹。君は今から私の指揮下に入ってもらう。出迎えはいらないから我々が到着するまで監視を厳しくしてくれ。今夜はそこで夜営する予定だ。後のことは着いてから指示する。」
「分かりました。」
ぶつり、とばかり中村軍曹は先に無線を切った。藤岡中尉は眉間に皺を寄せて考え込んでいる。一は憮然とした表情でモニターを睨んでいる。隅田伍長は運転しながらそんな二人の顔を交互に覗っていたが、やがて
APCのスピードを落とし始めた。
「どうした伍長、作戦に変更はない。日が暮れる前に弘前のシェルターに到着する。スピードを落とすな。」
伍長は一の顔を見た。一は横目で伍長を見て小さく二回頷いた。伍長は加速し始めた。
  道は東北道の高架から離れ始め、やがてモニターに川と大きな橋が映った。隅田伍長はナビを確認し、橋を渡り終わり道が平らになったところで道から外れて河川敷に入っていった。河川敷にはまったく唐突に四メートル四方ほどの四角い金属の板が置かれていた。かつてはこの辺りに繁茂していた葦やススキに隠れて、見えないところに塚でもつくられていたのであろう。これがシェルターの入り口だった。伍長は金属板のすぐそばまで行って
APCを駐めた。中尉が無線で呼びかけた。
「中村軍曹、藤岡中尉だ。到着した。入り口を開けてくれ。」
答えは無かった。もう一度中尉が呼びかけようとしたとき、金属板の中央が唐突に開いた。
「開けましたぜ。」
中村軍曹の声が無線から聞こえた。
APCの三人は互いに目を交わした。
「武装しましょう。用心がいる。」
「うむ。伍長は武装してここに残ってくれ。」
藤岡中尉はそう言うと兵員席に向かった。

つづく

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 注1)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。
注2)本文中の会話はすべて標準語に翻訳してあります。