ファイナル・コンタクト

第5章

 

   一と中尉は隅田伍長をAPCに残して外に出た。河川敷にはまだあの植物は見られなかったが、ガイガーカウンターはイエローゾーンの上限に達している。中尉が一をカバーする形で後から続き、一は警戒しながら金属板に近づいた。開口部に銃口を向けたまま立ち止まった一に無線から中村軍曹の嘲り笑いが聞こえた。
「何をびびってやがる。ぐずぐずするな、放射能が入る。」
一は舌打ちして言い返した。
「おめぇの方からは見えても、こっちからは見えねぇんだよ。」
「ははははは、昇進したら臆病風邪にかかったか?『はじめの一』様の名が泣くぜ。」
一は苦笑して、それでも警戒を解かずに金属板の開口部に近づいた。「はじめの一」というのは一の軍内でのあだ名である。突撃となるといつも先頭を切っていた一に、尊敬半分、呆れ半分でつけられたものだった。
  一は開口部から中に銃口を向けて覗きこんだ。真っ直ぐに梯子が降りており、中には明かりがついているが見えるところには誰もいなかった。一が振り向いて頷くのを見て藤岡中尉が開口部に近づいた。一は辺りを警戒する。中尉がそばにくると一は開口部に入り、梯子を降り始めた。梯子は三メートルほどあり、最後は廊下の途中に降りていた。
「右だ、右。」
きょろきょろしている一に中村軍曹が無線で伝えた。一は指示された側の廊下の奥を覗った。廊下の先は真っ暗である。
「明かりを点けろよ。」
廊下が一気に明るくなり、奥はゆっくりと右に湾曲しているのが分かった。
「どうやら大丈夫です。」
一が中尉に報告すると、中尉より先に中村軍曹が言った。
「当たり前だ。もっと仲間を信用しろ。」
「すまん、軍曹。ここへ来る前にその仲間と殺し合いをしたばかりなんだ。大目に見てくれ。伍長、藤岡だ。迎えに行くまで
APCで監視を続けてくれ。」
「了解。」
  中尉が降りてくると上の方で開口部が閉まる音がした。一と中尉は湾曲した廊下を歩いていったが、一は自動小銃のトリガーから指を外していなかった。廊下の突き当りには扉があり、二人が前に立つと静かに開いた。そこはコントロールルームで、中村軍曹がコントロールパネルに向かう椅子に座ったまま首だけひねって二人を見た。藤岡中尉はコントロールルームの中央まで進むと、鉄兜とフェイス・マスクをはずした。中村軍曹は同じ姿勢で中尉を見ている。
「噂通りだな、軍曹。」
「藤岡中尉殿ですか。」
「そうだ。」
「一もツラを見せろよ。」
「…おめぇがロケット・ランチャーを放したらな。」
中村軍曹はにやりと笑い、立ち上がった。右手には案の定ロケット・ランチャーが握られていたが、軍曹は一の要求通り床に放り投げた。中尉は憮然として軍曹の顔とランチャーを見比べている。
「伍長を迎えに行きます。」
「そうしてくれ。」
中尉は軍曹の顔をにらんだまま言った。
  隅田伍長を加え、コントロールルームで藤岡中尉は今後の指示をした。
「今夜はここで夜営する。軍曹、コントロールルームの他はどうなっている?」
「食料庫と武器庫と風呂場と営舎になってます。」
「二時間おきに見張りを交代する。見張りはコントロールルーム、残りは営舎だ。明日は
0700に進発する。それまでに食事を済ませておけ。」
藤岡中尉は三人を睨み回した。誰も口を利かない。
「軍曹、さっきの続きだ。
APCは市内のどこで消えた?」
「中三の前で。新土手通り、っていうイッツウの通りです。」
「何が起こったのだと思う?」
「さあね。レーダーで見たところじゃあ、まず止まって、それから無くなった。だが、止まってから無くなるまでは時間があったな。何かあって止まって、そのあと時間をおいてエンジンが停止したんでしょう。」
四人は顔を見合わせた。隅田伍長が珍しく発言した。
「米軍でしょうか。」
「奴らなら
APCを持っていく。」
一が言うと、中村軍曹が口を尖らして頷いた。
「もう一人も生きちゃあいねぇよ、奴らも。」
再び四人は探るように顔を見合わせて黙り込んだ。やがて藤岡中尉が口を開いた。
「明日行ってみれば分かるだろう。見張りは軍曹からやってくれ、次が伍長、曹長、最後に私だ。」
  営舎の固いベッドにあお向けに横たわって、一は青森での戦闘を思い出していた。鰺ヶ沢に配属になると一は伍長に昇進した。もともと人数の少ない軍は軍隊としては頭でっかちの組織で、階級は通常の軍隊とかなり違っている。新兵は実戦を一度経験すると一等兵になる。つまり二等兵と言うのは実戦経験の無い者のことである。上等兵という階級は無い。一のように生粋と認められた者は下士官あるいは将校候補であり、一度実戦を経験すると通常は兵長になる。一は反逆者の首魁榎本少尉を倒した軍功により、兵長をとばして伍長に昇進した。分隊長は軍曹か曹長なので、伍長は下士官と言っても部下はいない。
  そこで一緒になったのが中村達夫伍長だった。分隊はちがったが、既に中村伍長は大隊中に悪名を轟かせていた。中村伍長はナイフの達人で、夜間の近接戦闘を得意にしていた。音もなく闇を歩き、通った後には喉笛を切り裂かれた死体が転がっている。その上普段はシニカルな毒舌家で階級も何もお構いなし。戦後すぐの入隊だが自分のことは話そうとしなかったので、入隊前どこで何をしていたのか誰も知らなかった。作戦行動でも単独行が多く協調性に欠けていて、仲間内でも忌み嫌われる存在だった。
  当時、米軍との戦闘が始まったことで、鰺ヶ沢には参謀府から伊丹将軍が入り直接指揮を執っていた。米軍は放射能の原野と化した三沢を放棄し、青森市で調達と称して略奪を繰り返していた。そこへ軍が介入して激しい戦闘になっていたのだ。緒戦は軍の圧倒的勝利であったが、米軍がもっぱら重火器で対抗するようになって激戦になった。兵員数はほぼ拮抗していたが、いくぶんかでも補充のある軍の方が有利だった。青森市での激戦で米軍は数をかなり減らし、五所川原、浪岡と迷走して行くのだが、軍は殲滅を目指して執拗に追い回した。生きている限り略奪を止めないことは分かっていたし、かといって捕虜にとる余裕もなかったからである。
  五所川原市でのことである。軍も消耗が激しく、一は中村伍長と同じ分隊に編入されていた。日中は索敵して正面攻撃、夜は夜で日中のうちに確認しておいた拠点に夜襲である。既に米軍の指揮系統はめちゃめちゃで、ほとんど山賊のような有様だった。ある夜、一は中村伍長と組んで夜襲に向かった。この頃は米軍も重火器の弾薬が尽きており、正面切って軍と戦うことを避けて遭遇すると逃げることがほとんどだった。そのため、悟られないように近づいて完全包囲してしまうか、音を立てずに一人づつ確実にしとめていくかする必要があった。その夜は日中のうちに把んでいた米軍の夜営地に忍び込んで、一人づつナイフでしとめていく作戦であった。
  その夜、孤立した米軍の一分隊が潜んでいるタクシー会社に向かった一は、いざ侵入という直前になって中村伍長がいないのに気付いた。一も夜間戦闘には自信があったが、中村伍長にはかなわない。唇を噛みながら、一は一人でタクシー会社の車庫に入った。屋根がかけられているだけの車庫は奥まで灰色の雪が吹き込んで、放置された車が雪だるまと化している。一は腰を落としてその間を走り抜けようとして、ギョッとなった。人が倒れていて、辺りは真っ赤になっていた。近づいてみると見張りの米兵でまだ少し息があった。中村伍長の仕業である。辺りを見まわすと少し先にもう一人転がっている。同じく喉から血を振りまいて雪に埋もれたタクシーを真っ赤に染めている。一は思わず舌打ちして、腰を低くしたまま小走りに事務所の入り口に近づいた。事務所からは黄色い薄明かりが漏れていた。天井から裸電球が一つぶら下げられていて、それが点いている。男のうめき声と笑い声、それに英語の卑語が聞こえた。一は事務所の正面の扉は避けて、整備場に向かった。壁に隠れて中を覗うと、ここにも一つ喉を切り裂かれた死体が転がっている。一応死んでいることを確認した一は、銃声とともに事務所の明かりが消えたのに気付いて9mmを抜いた。
  事務所ではちょっとの静寂をはさんで銃撃戦が起こった。M‐16の音さえ聞こえている。やがて銃声が止み、うめき声と仲間の名を呼ぶ声、そして、どさり、と何か倒れる音がした。再び錯乱した叫び声と銃声、小さな爆発音がして、やがて銃を床に放り出す音、続いて整備場のドアが開いて米兵が一人駆け出した。一はその背中に9mmを二発発砲した。米兵は後ろから突き飛ばされたようにつんのめってタクシーに叩きつけられた。そのままずるずると滑り落ちる米兵を尻目に振り返った一は、開け放たれたドアの中に銃を向けた。そのまましばらく様子を覗って待ったが、誰も出てこないので一は用心しながら事務所に踏み込んだ。
  事務所の奥のほうで床が燃え上がっていた。おそらくさっきの爆発はここに置かれていた油か何かに銃弾が当ったのであろう。炎のおかげで事務所の中はほの明るくなっていたが、そこここに米兵の死体が転がっており、そこら中に血飛沫が飛んでいた。狭い室内で撃ち合いをしたために同士討ちになったのがほとんどだったが、喉を切り裂かれた死体もある。事務所の中央に細長い机が置かれていて、裸の少女が大の字に縛り付けられていた。一は9mmを構えて警戒しながら少女に近づいた。少女は素っ裸で机に縛り付けられ、腹に銃弾を喰らって喘いでいた。少女は一の顔を見ながら何か言おうとしていたが、口からは血の泡が出るばかりだった。少女の口が「たすけて」と動いているのに気付いた一は、震える右手で9mmを少女の額に押し付け引き金を絞った。
  一は滑稽なほどゆっくりと9mmをホルスターに戻し、右の窓の方を睨んだ。そこに敵がいることは事務所に入ったときから気が付いていた。逃げないことが分かっているから後回しにしたのだった。忘れかけていた怒りが一の全身を駆け巡った。すべてはこいつらから始まったのだ。一はこのとき初めて理屈を超越してこいつらこそ敵なのだと確信した。
  超音波発信機のスイッチを入れ、レーザー銃に手を伸ばしながら敵に向かって一歩踏み出したときだった。突然、一は後ろから首を締められた。フェイス・マスクが顎から少し持ち上がり、隙間から冷たい金属が突き付けられた。一は身動きできずにそのままの態勢で相手の出方を覗うしかなかった。一は背中に貼り付いている相手の呼吸が自分の呼吸とまったく同じリズムになっているのに気付いてぞっとした。中村伍長だと確信した。
「よせ、俺だ。離せよ。」
一は小声で言ったが、中村伍長は離さない。ぴったりと呼吸を合わせたまま中村伍長は沈黙している。
「おい、中村、離せ。」
もう一度一が言うと、中村伍長は一の耳元で小さく笑い始めた。
「くっくっくっくっ…」
一はその湿った笑い声に慄然となった。窓の外には敵がいる、こいつは俺を殺す気だ。一が一か八かの行動に出る寸前、中村伍長が囁いた。
「怒るなよ。怒ると負けるぜぇ…。」

  一は目を覚ました。空気が動いている。一瞬、自分がどこにいるか迷ったが、すぐに弘前のシェルターの営舎であることを思い出した。誰かが営舎の中に入ってきたのだ。こういう時うかつに飛び起きると蜂の巣にされてしまうことを、一は実戦で厭というほど分かっていた。手探りで自動小銃を掴むと、音を立てないようにセイフティ・ロックを外してトリガーに指をかける。研ぎ澄まされた一の感覚は入ってきたのが隅田伍長であることを嗅ぎ分けた。歩き方も無防備である。一は隅田伍長が肩に手をかける寸前にゆっくり起き上がった。伍長はびっくりして、一歩下がった。
「起きていたのですか?」
「いや、眠っていた。交代か?」
嫌な夢だった、と一は思ったがそれは言わなかった。自動小銃のセイフティ・ロックをかけ、ベッドから降りた一に隅田伍長がまた尋ねた。
「曹長殿。」
「ん?」
「遺産、って何でしょうか。」
「…」
「金でしょうか。」
「まさか。またきっと、使い方も分からない機械かなんかだろう。」
伍長は口をへの字に結んで小さく頷いた。今度は一が尋ねた。
「司令部の病院にいたと言ったな。」
「はい。」
「どんなところだ?」
「司令部ですか。」
「うん。」
「行ったことがないのですか。」
「ない。」
「私がいたころは入り口の拡張工事をしていました。入り口は狭かったのですが、中は
APCが余裕で擦れ違えるほどの廊下になっていました。天井もものすごく高かったです。私が知っているのはそれだけです。」
「入り口と廊下だけ?」
「病院は入ってすぐのところにありましたから。リハビリが済むとすぐ黒又山に行かされました。」
「参謀府の連中に会ったことは?」
「ありません。軍医殿と衛生兵だけです。」
「そうか。」
そのままコントロール・ルームに行こうとした一を隅田伍長が呼び止めた。
「曹長殿、司令部が何か?」
一は立ち止まってしばらく黙っていたが、振り返らずに言い残した。
「いや、行けば分かるだろう。」
  コントロール・ルームでモニターを眺めながら、一は隅田伍長とのやり取りを考えていた。藤岡中尉によると、この作戦は生き残っている全軍が関わる大作戦だと言う。そうまでして守りたい遺産が何かというのは確かに興味のある話である。ただ、いまさら作戦行動に意味などあるものかと一は思っていたので、遺産が何かなど考えてもみなかった。一般に軍で遺産と言われているのは、先祖から受け継いだグロテスクな機械や携帯食料、敵に対する超音波発信機とレーザー銃などである場合が多い。隅田伍長の言う金とは、荒吐族(あらはばきぞく)から安部氏、奥州藤原氏、安東氏を経由して軍が継承した金塊のことである。金塊は古代奥州で産出されたもので、安東氏が後日を期して保管していたものだと言われている。だが、十三湖を襲った津波によってその記憶も流されてしまい、軍が再発見するまで噂だけの存在だった。軍は戦争前その金塊で武器、弾薬をふんだんに貯めこむことができたのだが、今となっては金塊など何の値打ちも無い。そんなものを司令部が全軍に命じて運搬させるとはさすがの一も思わない。しかし、一の考えるとおり祖先から受け継いだと言うグロテスクな機械だとしても、価値がないのは同じである。使い方が分からないのだ。阿蘇部族が優れた機械文明を誇っていたことはシェルターの設備を見れば一目瞭然であるが、当時の言語が失われているため稼動させることができないものがほとんどなのである。かろうじて使えるのは一万年以上動きっぱなしだという永久回転体による電源ぐらいであり、それも止めることも制御することもできずにそのまんま利用しているだけだった。だからどこのシェルターでも大スクリーンは消えたままで、新たに運び込まれた現代のコンピューター・システムを使っているのだ。
  一は大きくため息を吐いて考えるのを止めた。まあ、何でもいい。一にとって大切なのは司令部に行って参謀府の連中のツラを拝むことだった。榎本少尉との約束を果たし、自分の疑問に答えを出すこと、それが一にとってのこの作戦の目的になっていた。参謀の中で一は伊丹将軍だけは見知っていた。鰺ヶ沢での指揮官で、一は将軍から直接勲章をもらったことがある。伊丹将軍は浪岡で事故死したが、それ以後軍は急速に統制力を失っていった。実戦派の将官や佐官がいなくなってしまい、実力のある将校たちを抑え切れなくなったのである。各地のシェルターが指令に従わずに、連絡を絶ってしまうことが相次ぐようになった。そこで司令部は米軍と戦って生き残った精鋭部隊を各地のシェルターに派遣し、組織の立て直しを図ろうとした。
  だが、結果は同士討ちの頻発に終わった。司令部から派遣された部隊は各地のシェルターで大抵待ち伏せを喰った。軍の兵士たちの多くは生きることに意味を見出せなくなり、感情のままに戦闘を求めるようになっていた。司令部では敵の介入によるものとしていたし、現実にその場面にはかならず敵がいたが、一はむしろ兵士たちの絶望が根底にあるものと思っていた。兵士たちはアドレナリンがもたらす一時の興奮に現実を忘れ、そしてこの惨めな惑星の上に死体を晒していった。
  夏になると同士討ちの果てに数を減らした軍は、まともな作戦行動が取れなくなっていた。暴徒もほとんど死滅している。一は秋田市の北のはずれにあるシェルターに守備兵として篭っていた。容赦なく照りつける紫外線と放射能を含んだ毒々しい雨が交互に続く中、時間との果てしない格闘が続く。たまに届く命令は「将校が行くからその指示に従え」というものばかり。作戦はいつも内容を知らされないが、結局は連絡を断ったシェルターの捜索である。そして、そういうシェルターは必ずもぬけの殻で、開放放棄して帰ってくるだけであった。
  一はシェルターで一人考えつづけていると、突然心が真っ黒になってすべてを見失うことが何度もあった。気が付くと汗だくになって床にへたり込んだり、大の字にひっくり返っていたりする。発作を起こしたように狭いシェルターの中を踊り狂っている自分を想像して、一は笑い出す。笑い声は虚しくシェルターの壁に反響し、一の脳に突き刺さる。大の字になってシェルターの壁と床の境目を見ていると、胸に開いた穴を通り抜ける風の音が聞こえてくる。なぜ死なないのだろう。なぜ死ねないのだろう。なぜ死なせてくれないのだろう。もういいだろう、容子、もう…。だが、いつも一は定時連絡を求めるアラームによって正気に引き戻された。おかげで一のシェルターはもぬけの殻になることもなく、一はこの作戦に従軍しているのである。
  一は廊下の足音に気付いた。足音で藤岡中尉だと分かった。このシェルターに着いてから感覚が鋭敏になっているのに一はいらだっていた。感覚が鋭敏になるのは良くないことの前触れである。
「交代までまだ時間がありますよ。」
背後に近づいた藤岡中尉に、一はモニターを見たままの姿勢で言った。
「振り向かなくても私だと分かるのか。」
「そういうときもあります。」
「不吉だな。」
「ええ。」
中尉は隣の席に座ってモニターに視線を向けて言った。
APCに何が起こったのだろう。」
「行けば分かるんじゃなかったのですか。」
中尉はしばらく答えずにモニターを見ていたが、やがて一に視線を向けて言った。
「怖い、という感じを持ったことがあるか?」
一は口を尖らせただけで答えなかった。中尉は再びモニターに視線を向けて話しはじめた。
「昔、警官だったころ強盗が立て篭もった銀行に突入しろと命令されたことがある。人質のうち妊婦を開放することで話がついて、その受け渡し直後の隙を見て突入する作戦だった。妊婦が車輪のついた担架に乗せられて正面から出てきたとき、私はなぜか激しい恐怖を感じた。恐怖?いや、そんな割り切れた感情じゃなかった。とにかく、何か強烈な印象だった。作戦は失敗したよ。」
その事件は一も記憶していた。全国に逐一生放送された事件だった。
「あの時私は、一番前にいたが撃たれなかった。周りで同僚たちが弾を喰ってのたうち回っていた。犯人も次々と射殺された。私は一番前にいて犯人と目を合わせて撃ち合ったのに、私の撃った弾も当たらなければ犯人の弾も私に当らなかった。殉職した同僚の葬式に行って遺骨の箱を見たとき、なぜ私でなく彼なのだろうと思ったよ。」
「出撃の前の晩は不安なものでしょう。直前になれば感じなくなります。」
「その通りだが。ここの川原でシェルターの金属板を見たとき、同じ印象を受けた。厭な気分だ。」
一は気が滅入って来た。実戦に長けた二人が同じく厭な予感を抱えている。
「異常は特にありませんでした。下がります。」
「うむ。」
一は営舎のベッドに戻ったが、もはや眠れなかった。

  翌朝、一たちはAPCで弘前市内に侵入した。運転は中村軍曹、両脇に一と藤岡中尉が座り、隅田伍長は兵員席にいた。
「中三の前は迂回してくれ。」
「臆病なこってすね。」
「作戦の遂行が先決だ。」
中尉も中村軍曹の毒舌に慣れたのか、あっさりと答えた。
APCは弘前駅を右に見ながら跨線橋を渡り、橋を降りてすぐの大きな交叉点を右に曲がった。ダイエーの前を通過しヨーカドーのところでT字路を左に曲がる。駅前通に出たところで、レーダーに反応があった。ダイエーの角から何かが飛び出し追ってくる。一はキーボードを操作しながら言った。
「レーダーに反応あり、何かが追ってきます…二輪車のようだ、三台来ます。」
「迎撃用意。」
一は自分のモニターに後部カメラの映像を出し、
36ミリ炸裂機関砲の照準をセットした。二輪車がヨーカドーの角から飛び出したとき中尉が叫んだ。
「前方より砲撃!」
APCの右側で砲弾が炸裂し、APCは大きく左に蛇行した。一は照準を合わせることができずに発砲できない。
「砲撃は前のホテルからだ。」
「軍曹揺らすな!」
「馬鹿言え!砲弾喰らったらおしまいだ!」
蛇行しながら進む
APCに向かって次々と砲弾が飛んでくる。二輪車もどんどん距離を詰めてくる。一も何とか照準を合わせて発砲するが当らない。中村軍曹は右の小路に飛びこんだ。左の歯医者の壁に突き当たり、跳ね返されて右の病院の壁をこすってAPCはなんとか路上にとどまったが、砲撃はやまない。二輪車の方は曲がりきれずに直進して、戻ろうとしていた。全速力でAPCを飛ばす軍曹は、
「ハーネスしとけよ!」
叫びざま小路から出てT字路を右に急旋回した。
APCは曲がりきれずに信金の壁をぶち壊しながらもなんとか直進したが、二輪車が二台正面から走って来るのが中尉のモニターに映った。中尉が9ミリ砲で一台を撃ち飛ばす。だが、もう一台から何かが発射されてAPCの右横腹に当った。衝撃音が響き渡り、隅田伍長が頭を抱える。真っ直ぐ突入してくる二輪車が第二弾を発射したが、その前にAPCは大きな交叉点を左に曲がった。途端に再びホテルからの砲弾が降り始める。中村軍曹はすぐ前に見える大きな病院の陰に入ろうとしていたが、二輪車が後から迫っていた。
「おい、二輪なんとかしろ、二輪!」
一が
36ミリ砲で吹き飛ばしたが、すぐに後からもう二台現れた。一の攻撃を避けるため蛇行する二輪は攻撃ができずにいたが、距離は少しずつ詰めてくる。
「くそっ!」
中村軍曹は病院を通りすぎ、左に曲がって病院の建物の陰を全速力で走り抜けると袋小路の奥にある個人病院にそのまま飛び込んだ。建物をぶちぬいて反対側に出ると道路でないところをかまわず直進し、フェンスを突き破って中学校に侵入した。校舎の後ろの壁をぶちぬいて中に飛び込み、正面に飛び出て超震地旋回するとふたたび建物を通りぬけて後に出る。そして、そこでまた超震地旋回して止まった。
  APCがぶちぬいた穴から中学校の正門が見え、二輪が四台正門から入って来た。軍曹が中尉を見やった。中尉は黙ってK2ミサイルの照準を立てた。四台の二輪が横一列に並んで止まった。ふっと中尉が照準から目を離した。中尉は真っ直ぐに背筋を伸ばし、目を見張り少し口を開いてモニターを見詰めている。二輪はどれも二人乗っており、後ろの一人が一斉にステップに立ちあがってロケット・ランチャーを構える。中村軍曹が慌てて中尉を見たが、軍曹が何か言う前に中尉はミサイルを発射した。
  二輪はすべて消し飛んだが、乗っていたうちの一人が校舎の穴の近くまで飛ばされてきていた。中尉は茫然自失の態でモニターを見ている。不思議そうな顔をして中尉を見ていた中村軍曹は振り返って一を見たが、一も同様に呆然としてモニターを見ていた。やがて一は照明を当て、穴の近くに倒れているものをモニターに映してみた。それは軍の甲冑を着けているように見え、こちらに頭を向けて腹ばいに倒れていたが頭はなかった。血などは流しておらず、首の切り口は真っ黒である。
「もう少し近づけろ。」
一にそう言われた軍曹は、しばらく無言で一の顔を見ていた。一が顔を上げて睨みつけるとようやく
APCを前進させた。一は首の切り口を拡大してみた。中身は空だった。
「何だ、コイツ?空っぽか?」
一のモニターを覗きこんだ中村軍曹が言ったが、誰も答えない。
「曹長、感じたか?」
「はい。」
「おい、何の話だよ?」
中村伍長がいらついた調子で一に尋ねた。
「今のは敵だった。」
「は?」
一と中尉は探るように互いの目を合わせた。
「敵が直接攻撃してきた。」
中村軍曹が俄かには信じ難いといった表情で一を見ている。だが、藤岡中尉も認めた。
「間違いない、軍曹。今のは敵だった。」
「じゃあ、あそこに転がってるのは敵の死骸ですか?」
「いや、ちがう。今はいない。近くにはいない。」
「さっきまではあれに入ってたってんですかい?」
「分からん。分からんが、確かにあの二輪にいた。」
三人は顔を見合わせて黙った。隅田伍長が兵員席から来て言った。
「行って見てきましょうか?」
冷静さを取り戻したらしく、中尉は言下に否定した。
「いや。それよりホテルの砲撃手をどう片付けるかだ。」
ぐずぐずしていると新手が現れる可能性もある。中村軍曹が中尉に尋ねた。
「砲撃の位置は確かめましたか。」
「屋上からだった。」
K2は?」
「あと一発ある。」
「さっきの松聖会病院まで戻りゃあ、もう一発か二発撃ってくるでしょう。そん時確認して、病院の屋上からミサイル攻撃でどうです?
K2は外せるでしょ?」
「外せるが、当てるのが難しいぞ。お前自信あるか?」
一の言葉に軍曹は黙った。中尉が見まわして尋ねた。
「訓練での点数は?私は
七十五点だった。」「忘れちまいました。」
「曹長は?」
六十八です。」
「私がやります。私は八十二点
でした。」
隅田伍長が言うと、一瞬皆黙った。だが、すぐに中尉が断を下した。
「よし、伍長、K2を外しにかかれ。外れ次第松聖会病院に向かう。曹長、伍長に手を貸してやれ。」
  K2はもともとモバイル地対空ミサイルなので、その脱着には三分とかからない。K2が外れると中村軍曹はAPCを一旦正門の方向に出し、ぐるりとUターンして病院の方に戻り始めた。すぐ砲撃が始まり、ホテル屋上の給水タンクの左からであることが確認できた。全速力で病院に突入したAPCは裏の壁をぶち破って建物の中に侵入し、壁や設備を破壊しながら階段の下に来て止まった。兵員席の扉から自動小銃を握った一が外に出た。隅田伍長がK2を担いで後に続く。一は踊り場ごとに辺りを警戒するが、そこここに白骨化して放置されている死体以外には誰もいない。二人は屋上に出る扉に到達し、一が鍵を撃ち飛ばした。病院の屋上は物干し場になっていたが、かつて張られていたであろうロープはちぎれ飛んで、支柱も錆びて朽ち果てていた。二人は腰を低くしてホテルが見える側の手すりに向かった走った。フェイス・マスクにテレコンバータを取りつけた一が、大人の胸の高さまである手すりから頭だけ出して覗いた。給水タンクの脇に、砲が設置されていて軍の甲冑らしきものを着けた二人がこちらを見ていた。一はしゃがんで隅田伍長に言った。
「一時の方向、やや仰角だ。二人砲手が見える。」
隅田伍長はK2を一に渡して自分も覗いてみた。再びしゃがんだ伍長に一が尋ねた。
「できるか。」
「大丈夫です。」
一からK2を受け取ると、隅田伍長は立ちあがって手すりにK2の先端を起き、ぐっと腰を落として狙いを定めた。一は自動小銃を構えて後を警戒する。
  隅田伍長はK2を発射するとすぐ、発射装置を放り出して後から一に体当たりを食わせた。二人が床に転がるのと同時に敵の砲弾が着弾して、大音響と共に辺りを激しく震わせた。砲弾はかなり左下に逸れたらしく、二人には瓦礫の屑が降り注いだが被害はなかった。一は腹ばいになったまま伍長に尋ねた。
「当てたか。」
伍長はゆっくりと中腰になりホテルの方を見た、それから一の方に視線を落として
「当りました。」
と、うれしそうに言った。一も立ちあがり、伍長の肩を叩いて祝福した。
「引き上げようぜ。」
「はい。」

つづく

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注1)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。
注2)本文中の会話はすべて標準語に翻訳してあります。