ピノキオたちの反乱

第8章

  「待たせたな。」
「相談は済んだか?」
「俺たちのはな。今度はあんたと俺と相談だ。」
「いい相談か?」
「そうだ。人質解放の相談だ。」
「それはいい。」
「妊婦がいるんだ。」
「妊婦…。それで?」
「真っ青になって冷や汗かいてる。」
「なにいっ。」
「だから表へ出したい。救急車をよこしてもらおう。」
「どんな状態なんだ?」
「さあな。俺は医者じゃない、分かるわけねぇだろう。一緒にいる婆が危ないって言ってるんで、そうだろうと思っただけだ。」
「すぐに医者に診せないといかん。」
「そうかい。」
「そうかいって、お前、大変なんだぞ。」
「別に。俺の女房じゃねぇもんな。大変だってんなら急ぐことだ。救急車一台、用意できたら電話くれ。」
一方的に電話を切ると和雄はカウンターを乗り越えてロビーに出た。年配の婦人の視線を見返したまま近づき、唇の端に笑みを刻んで二人の前に立った。
「聞いた通りだ、協力してもらう。」
「この人は冷や汗なんかかいてませんよ。」
「見りゃ分かるさ。」
和雄は婦人の視線を真っ直ぐに受け止めて言った。
「それにしても、あんた大したもんだなあ。すげぇ度胸だ、感心するぜ。」
婦人は背筋を伸ばして侮蔑の視線を和雄に投げる。だが、和雄も今は平然と跳ね返している。
「ウソを吐いたのは悪かった。だが、とにかくこの事態を解決したい。このままだと、しまいにあんたら巻き添えに銃撃戦になっちまうんだ。」
「この人は妊娠しています。それを利用しようなどと。」
「だから開放してやるといってるんだ。」
「信用できるもんですか。」
「はは、違いない。だが、厭でも協力してもらうぜ。」
「どうしても厭だと言ったら?」
「この人の腹をぶち抜く。厭でも救急車に乗せざるを得なくなる。俺たちにしてみればどっちでも同じことだ。人質というのは死体になっても価値は変わらない。死んだということを悟られてなければな。」
「何と言うことを。」
「いいか、俺だってそんなことはしたくない。だが、必死だ。」
婦人は怒りに身を震わせて、改めて和雄を睨んだ。
「分かりました。でも条件があります。この人の安全を保障しなさい。」
「保障?…はっはっはっ。」
和雄は大笑いした。
「あんた今まで安全を保障してもらったことあるのかよ。いいかい、生きるってことはよ、死神とお手々繋いで歩いてくことだ。あんたぐらい長く生きてたら分かるだろうが。」
  電話のベルが鳴り、和雄は激しい憎悪を含んだ婦人の視線を後にカウンターを乗り越えた。
「用意できたか。」
「今してる。だがその前に医者を行かせたい。どうだ?」
「だめだ。」
「なぜだ?お前だって妊婦を助けたいだろう。助けたいから外に出したいんだろう。とにかく緊急なんだ、医者を行かせてくれ。」
「だめだ。話がおかしい。」
「どこが?」
「救急車より医者の方がなぜ早い?」
「初めからここに呼んである。」
「語るに落ちたな。なら救急車も初めからあるはずだ。」
「そんなことはない。救急車は他からの要請もある。ここで独占するわけにはいかん。医者は警察病院の医者だ。」
「ウソの上塗りはいい。とにかくだめだ。」
「そうはいかん。医者にすぐ診せないといかん。そうでないと救急車も無駄になる。」
「ますますドツボにはまってくぜ、おっさん。医者を入れさせないってなら救急車も用意しないってか。要するに、警察としても人質は死んでも構わんということだな。なら話しはこれまでだ。」
和雄は電話を切った。寺田とジョージが和雄の方を見ている。和雄はにやりと笑って見せた。すぐにベルが鳴った。
「なんだ、もう話は終わりだ。」
「そう結論を急がないでくれ。我々は人質の安全を第一に考えている。だからこそ医者を行かせたいんだ。」
「くどいぜ。だめだといったら、ダ・メ・ダ。」
「頼む、人質が心配なんだ。」
「ああ、もう、しょうがねぇなぁおっさん。初めに言っただろ、俺を馬鹿にするなって。おっさんは何も人質が大事で医者をよこしたいんじゃない。医者に化けた部下をよこしたいんだ。」
「そんなことはない。行くのは間違いなく医者だ。警官じゃ妊婦のことはわからない。」
「医者が本物だとしてもよ、医者に何ができる。今時の医者は病院の外では何もできねぇじゃねぇか。狙いは別だろ。医者に中の様子を記憶させて情報を取ることだ。」
「そんなつもりはない。私を信じてくれ。」
「どうしてもよこしたいか?」
「どうしても行かせたい。」
「なら、医者の両目をくりぬいて、両耳を削ぎ落とし、舌を引っこ抜いてからよこすんだな。そういう医者なら入れてやる。」
「無茶を言うな。」
「無茶なのはどっちだ。押し問答のうちに時間は過ぎていく一方だ。人質の安全が聞いてあきれるな。」
「我々は全力を尽くしている。」
和雄はうんざりした声で言った。
「おい、おっさん、大概にしろよ。俺たちのことはパクるなり殺すなりすれば口を封じられると思ってるだろうが、人質の口は封じられねぇぜ。少なくとも俺の声は聞こえてるんだ。後でマスコミにしゃべられるぞ。逮捕を優先して人質の健康を二の次にしたってな。」
そう言うと和雄はまた電話を切った。声とは裏腹に和雄は笑みを浮かべながらカウンターに近づいた。
「少し時間がかかるだろう。そこでうめいてる奴と同じでな、現場指揮官とか何とか言っても自分じゃ何も決められねぇんだ。」

  30分が経った。その間聞こえるのは機器の冷却ファンと支店長のうめき声だけだったので、電話のベルが鳴ると皆一様に跳ね上がった。出納係の席に座っていた和雄が物憂げに受話器を取る。支店中の視線が和雄に集中する。
「何だ。」
「救急車の用意ができた。」
「そうか。医者はあきらめたのか?」
「入れてくれるのか。」
一瞬、石田警部の声に喜びの調子が入るのを聞いて和雄は笑った。
「ははは、だめだ。救急車はこちらにケツを向けさせて後を開けておけ。出入口のすぐ前に担架を用意しろ、取りに行かせる。」
「何言ってるんだ、救急隊員が中に入って搬送する。」
いきなり和雄は電話を切った。すぐにまたベルが鳴る。
「どうしたんだ。」
「何度も言ってるだろう、俺を馬鹿にするなって。医者がダメで救急隊員が良い訳はねぇだろうが。どこまでも俺をコケにするってんなら死体にしてから表に放り出すぞ。」
和雄がいらついた低い声で言うと、石田警部はしばらく沈黙した。
「おい、あんた、何なんだ?いちいち本部長にお伺い立てねぇと何にも決められねぇのかよ。」
「我々には我々のやり方があるんだ。理解してくれ。」
「で、本部長は温泉で賭けマージャンか?いいか、こうなったからには長期戦は覚悟の上だ。なんぼでも待ってやる。だがよ、人質はそうはいかねぇぜ。長引けば長引くほどおっさんの不手際が誇張されてマスコミに流れることになるんだ。そのうえ、俺たちがいらついて一人二人殺してみろ、おっさん辞職するぐらいじゃ済まねぇんじゃねぇのかい。」
「…。」
「まっ、好きにするんだな。俺はおっさんの言うことを聞く気はこれっぽっちもねぇ。」
「分かった、準備する。もう少し待ってくれ。」
和雄は唇に渋い笑みを刻み、コードを掴んで受話器を振り回した。ジョージと寺田を交互に見て、受話器をフックに放り投げるように納める。
「また、もう少し待ってくれってよ。」
「けっ。」
ジョージはロビーの方に向いて、足でカウンターの壁を鳴らし始めた。寺田は口をへの字に結んだまま突っ立っている。また、ベルが鳴る。
「用意した。」
「そうか。シャッターを上げて人質に担架を取りに行かせる。妊婦を乗せて担架を出させてシャッターを下ろす。その間俺たちは人質の人垣の後ろから担架を狙っているぜ。めったなことはしないことだ。」
「安心しろ、何もするつもりは無い。」
「そう願いたいな。」
和雄が受話器を置くと、ジョージがカウンターから跳び下りた。
「おい、シャッター係。そうだ、お前だ。位置につけ。」
「ふっ。」
和雄にショットガンで指された行員がふらふらと立ち上がると、ジョージが吹き出した。
「シャッター係はよかったな。」
「いつもやらされてるんだろう。いい手つきだったぜ。」
「ははは。」
「野郎ども起立!お前たちには人垣になってもらう。そっちの記帳台の間に並べ。早くしろ!」
互いに顔を見合わせながらのろのろと記帳台の方に向かう男たちを見ながら、和雄はカウンターを乗り越えた。男たちが記帳台の辺りに集まるのを待って命令する。
「横に2列に並んで出口の方を向け。」
しばらく顔を見合わせている男たちを見てジョージが怒鳴った。
「さっさとやらねぇか!」
和雄は男たちをジョージに任せて寺田を手招きし、妊婦と婦人に近づいた。
「今担架を持ってくる。あんたにはその担架に横になってもらう。そしてこいつとあんたが担架を押して外に出る。外には救急車が待っているからそれに乗ってもらう。俺たちと一緒にな。」
和雄は二人を睨んで静かな声で言った。
「あんたら二人にあの野郎ども命が掛かってる。俺たちはあんたらの後ろ、つまり野郎どもとあんたらの間にいる。あんたらが下手な真似をしたら回り右してぶっ放す。警察はあんたらが近くにいる限り発砲しないから最後の一発まで打ち尽くすことができる。野郎の何人かは死ぬし、あんたらも間違いなく殺すことになる。」
「私たちをどうするつもりです?」
「開放する。」
「どこで?」
「サツを撒いたところでだ。」
「身重のこの人を引っ張りまわすつもりなの?」
「あんただけにしといてもいいんだぜ。」
「そんな、私が一緒に…」
「あなたは黙ってなさい。いいですか、あなたたちは己の汚らわしい欲望のために…。」
「よしなよ。」
和雄は真っ直ぐ婦人の目を見据えて言った。
「無駄だぜ、分かってるだろう。俺たちは汚らわしい犯罪者だ。あんたの説教なんか聞くもんか。」
和雄と婦人はちょっとの間睨み合った。
「シャッター上げろ。」
和雄は婦人を睨んだまま命じ、それから寺田を振り向いて言った。
「頼む。」
「ああ。」
寺田の震えはもう止まっていた。和雄はジョージとともに男たちの人垣の後からショットガンを構えた。

  シャッターが上がると、割れたガラスの間から乾いた風が吹きこんできた。まだ夕暮れに少し間があるくらいの明るさだった。和雄の注文通り銀行にテールを向けて後ろのハッチドアを開けた救急車が駐まっていた。和雄はシャッター・スイッチのところにいた若い行員に命令した。
「おい、シャッター。担架取って来い。一世一台の大舞台だ、しくじるなよ。」
行員がギクシャクした足取りで出ていくと、和雄はロビーで身体を寄せ合うようにしている女たちの方に視線を送った。固唾を飲んで成り行きを見守っている。
  行員が担架を押しながら戻ってきた。そのまま妊婦と婦人の前に行く。
「担架に乗れ。手を貸してやれ。」
和雄が言うと、妊婦は婦人と目を見合わせていたが、ロビーのソファを踏み台にして担架に乗った。寺田と婦人が介添えする。和雄はジョージに目配せして少し後に下がった。
「勝負だ。」
「ああ。」
和雄は寺田に目配せし出入口に向かわせた。男たちが並んでいる記帳台の前まで担架を押し出すと、寺田は婦人の肩に手をかけて担架を止めさせた。和雄とジョージは左右に別れて男たちに銃口を向けながら担架のところまで行く。
「いいか、俺たちは出ていくが、警察が迎えに来るまでそこを動くな。時々振りかえってみるからな。動いている奴がいたら遠慮無く撃つ。動いた奴に当たらなくても誰かに当たる。その上この婆と腹ボテも殺す。分かったな?」
シーンと静まり返った中で、和雄はもう一度全員を睨みまわすとジョージに目配せして寺田を振り向いた。寺田が婦人を促し、担架が動き始める。寺田の横にはショットガンを妊婦に向けて構えた和雄、婦人の後ろには自動拳銃を構え目出し帽を被り直したジョージが続く。
  銀行の中から見ると救急車のそばに救急隊員が二人立っているだけに見えた。出入口付近はシャッターを下ろしてしまうと二階からでも見えないので、和雄たちには状況が分からず不利だった。だが、自分たちが逃走する車を用意させると相手にも準備させることになる。和雄はそっちの方を嫌ったのだ。
「ゆっくり行け。」
風除室に入ったところで、寺田は担架を止めてちょっと振り向いた。
「担架が外に出たところでチョンの間止めろ。」
和雄はそう言うと、振り向いて男たちに睨みを利かせた。誰も動いておらず、時が止まっているような感じだった。
  担架が外に出ると寺田は指示通り担架を止めた。和雄は素早くあたりを見回すと怒鳴った。
「下がれ!道路の向こう側に行け!」
出入口のすぐそばに三人づつしゃがんでいた警官が機先を制せられて、動きを封じられる。和雄はジョージに目配せした。ジョージが一瞬銃口を婦人から外して空に向けて発砲する。遠巻きにしている警官たちに動揺が走るのを見て再び和雄が怒鳴った。
「下がれといってるんだ!次は腹の中のガキを撃つ!お前らに言ってるんだ!」
しゃがんでいた警官たちが立ちあがり、ゆっくりと後ずさりしていく。
「回れ右して走れ!」
警官たちが後を振り返りながら遠ざかっていくのを見て、和雄は再び担架を前進させた。機動隊員たちが辺りを封鎖して取り囲んでいたが、警戒線からはみ出さんばかりにカメラの放列が並んでいて黒山の群集ができていた。おそらくそこら中のビルからもカメラと野次馬が見ていることだろう。銀行の前の通りは封鎖されていたが、左方向はわずかに一車線分空いていた。和雄は振り返って銀行の中の男たちを牽制しつつ、辺りの状況を頭に入れていった。和雄たちの動きにつれてカメラの放列が揺れ、押し合いや罵り合いが起こって和雄を苛立たせた。担架はのろのろと救急車に向かって行く。実際には十数秒のことだったのだが、担架の周りだけ時間が止まっているように感じられた。担架が救急車に達し救急隊員に声をかけようとした和雄は、目の隅に厭な影を捉えて素早く左に銃口を向けた。だが、今度も和雄より早くジョージが発砲した。撃たれたのは警戒線をくぐって侵入した記者だった。
  跳びかかってくる救急隊員に向けて和雄はショットガンを放った。胸にまともにくらった隊員は吹っ飛ばされて後頭部を路上に叩きつけた。もう一人はジョージに撃たれてその場に尻餅をついたが、防弾チョッキを着けているらしく血が出ない。和雄はそいつの頭に一発食らわせると、返り血を浴びながら救急車に突進した。盾を持った機動隊が左右から突進して来る。和雄は運転席から銃を構えて荷台に入ってきた二人にショットガンを喰らわせ救急車の荷台に飛び乗った。そして空のショットガンを離して自動拳銃を引き抜き振り向いた時、荷台に飛び乗ったジョージが寺田に発砲しようとする姿が目に飛び込んできた。
「やめろ!」
叫びざま和雄は後ろからジョージを撃った。ジョージは肩に一発喰らって回転し、二発目を胸の真中に喰らって血飛沫を上げながら荷台から転落した。荷台の外はひしひしと盾が覆いはじめている。和雄は足元でうめいている二人を踏みつけながら運転席に飛び込むと救急車を急発進させた。左に激しくカーブを切り、空いている一車線を通り抜けようとしたが、左右からパトカーの体当たりを喰らいコントロールを失った。救急車は中央分離帯に乗り上げ横転しながら対抗車線に飛び出し、和雄はシートから投げ出されてハンドルに激しく胸を打ち付け跳ね返された。

  ほんの短い時間だったに違いない。しかし、和雄は何日も眠っていたような感じがした。体に感覚が無く、ちょっとの間「病院」という言葉が脳裏を掠めた。だが、すぐに自分が横転した救急車の中にいることを思い出した。誰か頭の方から近づいてくるのに気付いて、和雄は顔を捻じろうとした。ひどく時間が掛かったような感じがしたが、そもそも時間の感覚が無くなっていたのかもしれない。顔を上げる間に和雄は毒づいた。トリガー・ハッピーめが。しかし、口から出たのは悪態ではなく血や体液が混じった涎だった。ようやく近づいてきた奴らの足が見えるまで顔を上げたとき、和雄は右手に何かを握っているのを感じた。銃だ。和雄は歯を食いしばろうとしたがうまくいかなかった。それでも苦労して顔を上げると、三人の男が銃を構えて和雄を覗きこんでいる。和雄は右手をゆっくりと引っ張り出し、三人に銃を向けた。

  闇の中に最後に浮かんできたのは玄関の前で振りかえった寛子の顔だった。和雄は苦笑いのうちにすべてを失っていった。

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注)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。