第7章
二階は使われておらず、無人だった。使ってない看板や、衝立、販促資材の入ったダンボールなどが雑然と置かれていて、壁に金庫室の扉が取りつけてあった。その扉の脇に普通の扉が三つあり、和雄には金庫室の中が貸し金庫であることが分かった。和雄は普通の扉を三つとも開けてみたが誰もいなかった。奥の方に給湯室とロッカールーム、トイレがあって、外に出られる扉がついており内開きになっている。和雄はロッカーを乱暴に押し倒してバリケードを作った。これで大きな音を立てずにここから入ることはできなくなる。窓のブラインドもすべて下ろし、和雄は一階に下りた。
カウンターに凭れかかって、和雄はショットガンを弄んでいた。立て篭もってから1時間以上経っていた。ロビーでは意識を回復した支店長が苦痛にうめいている。うめくと折れた顎の骨に痛みが走り、痙攣する。そんな様をカウンターに腰掛けたジョージが足をぶらぶらさせながら見ている。寺田が和雄のすぐ近くに来て同じようにカウンターに凭れかかった。
「チャーリー、どうしたかな?」
「それどころじゃない。」
「あいつがパクられるとまずい。こっちの身元がばれちまう。」
「心配無い。」
「いや、実は、俺のことよく知ってるんだ。すまん。話しちまったんだ。」
「その点なら心配無い。ジョージに聞いてみろ。」
そう言われて寺田ははっとしてジョージを睨んだ。ジョージの全身に染み付いた返り血はすでに乾いている。ジョージは目出し帽を脱ぐと寺田に凶悪な笑顔を見せた。
「息苦しくて仕方ねぇや。」
和雄は寺田が身を固くするのを感じて、一列目のソファに座っている妊婦に声をかけた。
「苦しかったら横になっていていい。」
妊婦は銀行のパートらしかった。隣に座ってその手を握っていた年配の婦人が和雄にちらりと視線を向けた。和雄はその視線に込められた非難にひるんで目を逸らした。こういう非難の方がずっと堪える。ため息をついてロビーに尻を向けるとカウンターに両肘をつき、頭を抱えた。
和雄はかなり焦っていた。篭城という作戦は救援が来ることをあてにして行うものであるが、和雄たちに救援などあるはずもない。何とかしてこの状況を打開して外に出る必要があった。時間が経てば経つほど不利になる。和雄は警察が接触して来るのをじりじりしながら待っていた。必ず接触して来るはずなのだ。まずはコミュニケーションを取り、できることなら投降させようとするだろう。それを逆に利用するしかここから出ていく手立ては無い。SATが出てくる前に所轄と勝負しないと勝ち目は無いのだ。
突然、電話のベルが鳴り響いた。冷却ファンのBGMを切り裂いて響くベルにロビーが凍りつく。電話のベルは行員をロビーに出すまではしきりに鳴っていたが、その後ピタリと止まっていたのだ。和雄は寺田と視線を合わせ、カウンターの中に入って出納窓口にある電話の受話器を取った。
「…。」
「…。」
受話器を取って無言のまま、和雄はジョージと目を合わせていた。
「もしもし…。」
「…。」
「警察です。…もしもし…。」
「…。」
「犯人か?犯人だな。返事をしろよ。とにかく話し合おう。」
「あんたは誰だ。」
「私は石田警部、ここの指揮を執っている。君は?」
「訊かれて名乗ると思うのか。」
「いいや。なら、何と呼べばいい?」
「何とでも呼べよ。」
「そう言わずに教えてくれよ。」
「ニック。」
「は?」
「俺はニックだ。」
「そうか。じゃあニック、どうするつもりだ?すっかり包囲してるぞ。これ以上は無駄だと思うがな。」
「…人質がいる。」
和雄はずっとジョージと目を合わせたまま話していたが、妊婦に目を転じた。
「人質をどうする。これ以上罪を重ねるとヤバイぞ。死刑になる。」
「ははは、笑わせるな。強盗殺人、しかも警官殺しだ。どの道無期か死刑だろう。その程度の法律は知っている。馬鹿にしてかかると人質の命に関わるぜ、警部さんよ。」
「その人質だが、どうだ、女子供、年寄は開放せんか?」
和雄は妊婦の手を握っている婦人を見ながら言った。
「ダメだな。本人が出たがらない。悔しいが俺より余程度胸が据わってやがる。」
「体力は君の方が上だろう。何人いる?」
「ふん、悪いな、俺は算数はからっきしなんだ。数は三つまでしか数えれねぇよ。それより警部さんよ、俺のほうからあんたにかけるにはどうしたらいい?」
「電話か?別にいいじゃないか繋ぎっぱなしで。」
「そうか。じゃあ、しばらく待っててくれ、相談があるんだ。」
「分かった。おい、ちょっと待て。人質には…」
和雄は最後まで聞かずに電話の保留ボタンを押した。受話器からLet
it beが流れる。和雄は声を出して笑った。
「ははは、成り行きに任せなさい、か。」
そして、ジョージが座っているカウンターの近くに行き寺田を手招きした。寺田が近くに来ると一通りロビーを眺め回した後、くるりと回れ右してカウンターに深く凭れかかり、ジョージと寺田を交互に横目で見て話し始めた。
「このままだとSATが出てくる。そうなったらヤバイ。」
「SAT?」
和雄はジョージを横目で睨んで言った。
「日本のSWATチームだ。立て篭もり専門でとても勝ち目はない。この装備でスタン・グレネードを喰らったら…。分かるだろう?」
「ああ。」
ジョージが頷くのを見て、和雄は視線を真っ直ぐに戻した。
「だが、ここの県警にSATは無い。たぶん警視庁のが出張ってくる。所轄としちゃあ面白くないわけだ。その前に手前たちで解決しようと躍起だろう。こっちとしても所轄が相手ならまだやりようがある。」
「大丈夫か。」
寺田が俯いたまま沈んだ声で尋ねた。和雄はゆっくりと身体を回して寺田の方を振り向いた。
「弱気になるな。まだ負けたわけじゃない。」
それでも寺田は俯いて黙っている。和雄は寺田の両肩をつかんで言った。
「おい、俺たちはまだ終わっちゃいねぇ。もう一勝負だ。お前が必要なんだ。」
寺田は俯いたまま弱々しい声で言った。
「俺には無理だよ。お前らのようにはなれない…。」
そして涙声になって付け加えた。
「俺には殺しはできない。とてもできない…。チャーリーは死んだし…」
「けっ、お前らホモかよ。」
そっぽを向いたジョージを睨みつけてから、和雄は首を差し伸べて寺田の顔を窺った。寺田は両方の拳を握り締めて震えている。寺田は限界だ、と和雄は思った。
「分かった、分かったよ。だが、心配無い、うまく行くさ。」
和雄は寺田の両肩をつかんで強く揺さぶった。
「おい、しっかりしてくれ。大丈夫だって、間違いない、俺を信じろ。」
だが寺田は唇を噛んで俯いている。和雄はため息をついて首を傾げた。逃げるためにはどうしても寺田の手がいる。どう説得するか。和雄は肩をつかみ直して寺田を引き寄せると、下から覗きこむようにして人質に聞かれないよう小声で言った。
「なあ?本当に間違いないんだ。今度は殺さずにやらないとまずいんだ。そうでないと俺たちも危ない。とにかくここから出ていくんだ。」
和雄は寺田の返事を待った。寺田は答えない。
「そのためには殺しはまずい、そうだろう?だから殺しはもうやらない。俺を信じてくれ。」
「分かったよ。だが、俺はもうお前とは組めない。」
和雄はため息をついて俯いた。今回は逃げるのに精一杯で上がりは期待できない。寺田には借金を清算するほどの分け前は回せない。寺田もそのことは分かっているのだが、借金よりも、組の取り立てよりも、仲間が暴力を振るうことの方が厭なのだ。そのことを和雄も分かっていた。
「これで最後だ。これっきりだ。もう、これっきりだ。」
和雄は黙ってうなずくと肩を離し、しばらく俯いていた。寺田は和雄の正体を知っている。その寺田が和雄から離れていくのは危険だ。始末するしかないのか?
やがて、和雄は振り払うように顔を上げた。今はとにかくズラカることなのだ、と自分に言い聞かせた。決して厭なことから逃げるわけじゃない、目の前の事態の解決が先だと。そして、ジョージの方を向いて人差し指で手招きした。ジョージは床に唾を吐いた。和雄は再び回れ右して人質に背を向け計画の説明を始めた。
「正面にいる妊婦を使う。あれを開放することにして救急車を用意させる。担架を店の前に置かせて取りに行き、妊婦を乗せて出す。サツには人質が担架を押して出ると説明しておいて、俺たちも出る。そして救急車をジャックしてズラカる。」
「どこへズラカる?」
「それはその時だ。当然サツもつけてくるから撒かなきゃならん。」
「出ていくときに狙撃されるだろう。」
「所轄にスナイパーはいないさ。それに人質に銃を付きつけて出ていくんだ。手出しはしてこない。担架は妊婦の隣の婆とマイケルに押させる。」
「ああ。」
「担架は誰が取りに出る?」
「人質の誰かだ。その間俺たちは残りの人質に銃を向けている。俺とジョージは妊婦と婆に銃をつきつけて救急車に近づく。救急車の連中もサツが化けてる可能性が高いから、あくまで人質は妊婦と婆と思っていた方がいい。二人に銃を付きつけて、救急車の中の奴は全部下りさせる。」
「止められるだろう。」
「いや、妊婦が乗ってるんだ。手出しはできんさ。」
和雄は二人の顔をかわるがわる見た。今は寺田も口をへの字に結んで和雄の目を見返している。
「よし、やろう。」
寺田も頷くのを見て、和雄はロビーのソファにいる妊婦に声をかけた。
「あんた、妊婦さんよ。ここから出してやる。となりのあんたも一緒でいいぜ。」
和雄はそう言うと二人の女性の視線を無視して出納窓口の電話に向かった。
つづく
感想をお聞かせください momito@gungoo.com
注)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。