ピノキオたちの反乱

第6章

  五月二日午後二時、和雄はT銀行S支店の筋向かいにある地方銀行の前にいた。グレーの長い上着を着て無帽である。右の肩に台尻を切り落としたショットガンを紐でぶら下げていたが、完全に上着に隠れていた。左手の布製の大きなバックの中にはまったく同じバックが二つ入っている。他にベルトに自動拳銃を挿し、左の胸にはナイフを吊ってあった。ここに来る前、和雄は午前中からアジトと決めた廃工場を見張っていた。和雄は誰も、寺田でさえも信用していなかった。彼らが裏切るとすれば仕事を終えて分け前の配分の時が一番可能性が高い。そのための細工をしに来る奴をチェックするためだった。
  一時少し前に寺田が盗んだ車を転がしてきて、かなり離れた路上に駐車した。寺田は車から降りてちょっとの間廃工場を見ていたが、そのまま歩み去った。寺田が和雄の視界から消えるとゆっくりと音もなく路地から車が現れた。車は歩くような速度で廃工場の前まで来ると停まった。しばらくそのままでいたが、ゆっくりと大きく転回して廃工場に入った。路地に隠れて様子をうかがっていた和雄はしゃがんでオペラグラスで廃工場を覗いた。車から降りたのは思った通りジョージだった。ジョージは当りを見まわすと建屋に入って行き、十分ほどで出てきた。そして、車を廃工場の敷地に駐めたまま寺田と同じ方向に歩み去った。
  午前中に寺田から連絡のあった車がT銀行S支店の前を通りすぎた。和雄はチャーリーと寺田が乗っているのを確認した。計画通りに仕事が始まったことになる。和雄はT銀行の駐車場を見ていた。いつも二時から二時半の間にワゴンが日銀に向けて出発する。そしてだいたい三十分で戻ってくるのを確認済みであり、この日は日銀も混雑が予想されるので二時過ぎには出発すると読んでいた。
  二時六分、ワゴンが出発したのを見て和雄は寺田の携帯に連絡した。
「ニックか?」
「そうだ。ワゴンが出た。確保しろ。」
「了解。」
普段以上に路駐が多い通りをチャーリーが運転する銀色のワゴンが通りすぎる。正面の位置を確保できなかったのだ。この分では何周かする破目になりそうだ。
「ひでぇな。いつもよりひでぇ。」
「まずいっすよ。どうします?」
「まだ時間がある。戻ってくるまで三十分かかるんだ。気長に待つさ。」
寺田はバスタオルで包んで膝の上に載せたソードオフ・ショットガンを撫でながら、わざとゆっくりと言った。ショットガンには弾を込めてなかった。寺田は本音では暴力が嫌いだった。
「寺さん、一つ訊いていいすか?」
「ああ。」
「ニックさんって、寺さんの昔からの知り合いでしょう?あの人はプロですか?」
「プロって言えば、プロだな。」
「はあ…。」
「とにかくただ者じゃない。ほんまもんのワルだ。それに頭もおそろしく切れる。」
「怖い人ですか?」
「ああ、怖い。怖いな。」
「人、殺したことあるんすか?」
「さあな。だが、必要なら躊躇なく殺るだろう。」
寺田はチャーリーを睨んだ。
「おい、教えておくが、そんなこと詮索するもんじゃない。知ったところでどうにもならんし、悪くすれば知ったがゆえに殺されることになる。ジョージについてもだ。それから俺のことはマイケルって呼べ。」
チャーリーはちらりと横目で寺田を見て黙って頷いた。
「ニックはな、ドジが大嫌いなんだ。名前の件も用心からしてることだ。とにかくドジを踏むな。言われた通りにすることだ。」
「ああ。」
寺田はそう言いながら、胃が痛んで苦い汁がこみ上げてくるのに苛立っていた。本当は自分が逃げ出したいくらいなのだ。いまさらながら借金が恨めしかった。
  和雄はジョージを見つけることができずにいた。銀行のあるビルの陰にいるのかもしれないが、とにかく和雄の視界にはいなかった。あるいは和雄たちに仕事をさせておいて、上前だけはねるつもりかもしれない。和雄は最悪の場合を想定し始めた。和雄たちに仕事をさせて、出てきたところを襲撃して上前をはねる。その場合はチャーリーに車を歩道に乗り上げさせ襲撃をかわして乗り込み、アジトには向かわずS市から脱出する。だが、仕事に現れないのだから企みを見ぬかれるし、上がりが確実にあったのかどうかもジョージには分からない。それにアジトに車を用意しているのだからその線はなさそうだ。ならば、仕事を済ませてアジトについてからの勝負になる。その覚悟と用心はしておくことが必要だろう。
  チャーリーと寺田の車が正面に停まるのと前後して銀行のワゴンが戻ってきた。和雄は横断歩道を渡り始めた。いつものように守衛と行員の二人が立って警戒する前を通りすぎながら、盛んに舌の付け根から分泌される苦いものを飲み下す。心臓の鼓動を聞きながら上着のボタンを外して銀行の正面に向かってゆっくりと歩いた。銀行の前で立ち止まると、銀行のビルの陰から全身黒尽くめで、頭の上に目出し帽をめくり上げたジョージが出てきた。そして、正面の車からはバスタオルに包んだソードオフ・ショットガンを持った寺田がやって来る。和雄とジョージは目を合わせ、凶悪な微笑みを交わした。銀行の風除室で目出し帽を被ると、和雄は心臓の鼓動が急に下がるのを感じた。全身を興奮と軽い痺れが駆け巡る。和雄は自分が微笑を浮かべたままなのを意識しながら銀行のロビーに入った。
  入ってすぐ、出て行こうとするスーツ姿の中年の男性と出くわした。ショットガンをつかみかけていた和雄は自動拳銃を引き抜いて、その男性に突き付けた。現実に起こっていることがよく認識できないまま、男性は和雄に胸倉をつかまれてロビーの中に押し戻された。和雄はロビーの中ほどまでそのまま男性を押し戻すと、拳銃の台尻で男性の顔を二回続けて殴りつけた。鼻血を撒き散らしながら床に崩れた男性の襟首を掴んで立ちあがらせると、尻を蹴飛ばす。そこここで女性の悲鳴が上がった。和雄の脇をジョージが駆け抜けて奥に進む。和雄は拳銃をベルトに挿しショットガンを取り出すと、客用の椅子を踏み台にしてカウンターに跳び上がった。
「動くな!」
ショットガンを天井に向け和雄が鋭く叫ぶと、一瞬静まり返ったロビーの中でコンピューターの冷却ファンと電話のベルがひときわ大きく感じられた。
「余計なことはするな、分かるな?」
和雄はそこで間を置いて行員たちを睨みまわした。
「ようし、全員手を上げろ、見えるところに上げろぉ!椅子を目一杯後に引いて立ち上がれ!」
そこまで言うと和雄はカウンターの上を走り出した。融資のカウンターで電話をしている行員がいる。一気にその行員の前に達した和雄は受話器を放りだし驚愕に目を見張っている若い行員の顔を蹴った。行員はカウンターにぶつかり、そのまま床に崩れ落ちた。再び悲鳴が上がる。
「いいか、言う通りにしろ。言う通りにしてれば無事家に帰れる。」
その場に仁王立ちになってそう言うと、和雄はカウンターの中に飛び降り出納窓口に向かって歩き始めた。
「銀行の金だ、お前らの金じゃない。別に首になることもない。黙って見ている方が得だぞ。」
出納窓口に達すると、入ってきた女性客を寺田がロビーの中に引きずり込むのを横目で確認し、トランクのそばにうずくまっている行員に視線を向けた。年配の禿頭で気の毒なくらい震えている。トランクは三つあって、全部鍵を開けてあった。
「どけ。離れろ。」
禿は腰が抜けたのかじたばたするばかりで動けない。和雄は禿の右肩を思いきり蹴り飛ばした。無様に跳ばされた禿の股間が見る見る濡れていく。
「お前もどいていろ。」
和雄は出納係の女性にも命じた。女性は震えながらも小股にあるいて遠ざかっていく。こんなときでも女は強い、そう思った和雄はちょっと笑った。
  視線をトランクに戻すと、二つには一億円のビニール包み、もう一つには一千万円の大封帯が六つ入っていた。顔を上げて寺田とジョージの位置を確かめると、和雄はショットガンを離しバックを床に放り出した。中に丸め込んであったバックを取りだし一億の包みを入れ、ナイフで包みを切り裂きジッパーを締めた。もう一つにも同じく一億、最後のひとつには六千万円を入れると、一億のバックを一つ持って立ちあがりカウンターに駆け寄る。出入口にいる寺田を手招きしバックをカウンターの外に放り投げる。すぐに戻ってバックを二つ持つと出納係の椅子を踏み台にカウンターを飛び越えジョージを手招きする。ジョージはでかい自動拳銃を振りかざして威嚇しながら早足に戻ってきた。和雄はジョージに一億円入りのバックを手渡すと、ショットガンを握って支店の中を睨み回した。そしてジョージに顎をしゃくった。ジョージは回れ右して出入口に向かう。寺田がそれに続いた。和雄は去り際もう一度振り返って睨みを効かせると銀行を後にした。

  三人は風除室で目出し帽を脱ぎ銃を隠すと、何食わぬ顔をしてジョージを先頭に外へ出た。
「…?」
和雄はすぐに立ち止まった。チャーリーが車から降りようとしている。運転席を取り囲むように厳しい顔つきの男女が二人立っている。和雄は混乱してしばらくその様子を見ていたが、突然鳴り響いたサイレンに慌てて辺りを見回した。そこら中パトカーだらけになっていた。ふたたびチャーリーを見た和雄はチャーリーと目が合い、すべてを悟った。路駐の一斉取り締まり…。警官たちも和雄たちの方を見た。和雄のすぐ横で銃声が響き、男の警官が胸に銃弾を喰って吹っ飛ばされた。振り向いた和雄が叫んだ。
「やめろ!」
撃ったのはジョージだった。ジョージは制止を聞かずに二発目を撃ったが、警官ではなくてチャーリーの肩を撃ちぬいた。道路に突き倒されたチャーリーを尻目に婦人警官は車の陰にしゃがんだ。ジョージが車に向かって駆け出す。和雄も舌打ちして後を追おうとしたが、車の陰の婦人警官がイグニッション・キーを抜いて道路へ放り投げたのを見て立ち止まった。あちこちでサイレンが鳴り始める。
「戻れ、戻れ!くそっ!」
和雄は叫び、踵を返して寺田を銀行の方に突き飛ばした。寺田は二、三歩たたらを踏んだが、すぐに銀行の中に駆け込む。和雄も踵を踏むようにして続いた。
  外へ出ようとしていた行員と鉢合わせした寺田は拳銃を突き付けて中に押し戻した。もう一人の行員が横から寺田に跳びかかろうとしたが、機先を制した和雄が体当たりして突き倒し、倒れた鼻先にショットガンを突き付けて睨みつけた。見る見る表情を失っていく和雄の目を見て、倒れた行員は恐怖に目を見張って硬直している。そこへジョージが飛びこんできたため、和雄はショットガンの銃口を行員から外して振り向いた。ジョージは店内に入るとすぐに振り向き、外に向けて銃を構えて舌打ちした。そしてもう一度店内に向かって振り向いたとき、近づいていた和雄の一撃をもろに頬に受けてひっくり返った。和雄は倒れたジョージの顔に真っ直ぐショットガンを向けた。ジョージもすぐに銃を向け返す。
「この馬鹿野郎!ドジ踏みやがって!」
和雄が激しく怒鳴りつけると、ジョージが怒鳴り返した。
「なに言いやがる!てめぇの計画が抜けてやがるからこんなザマになるんだ!」
二人は銃を向け合って睨み合った。行員を突き放した寺田が和雄の近くに来て、ジョージに拳銃を向けた。
「あいつら交通課は丸腰なんだ。静かに近づきゃ、人質にとるなり、殴りつけるなり逃げられたんだ。ここはアメリカじゃねぇんだ、アホ。撃つ前に頭を使え。」
ジョージは和雄と寺田を交互に見ていたが、やがて舌打ちして銃を下ろした。和雄は怒りが収まらず、ショットガンを下ろさなかった。このアホの裏切りに気を取られたばかりに、周囲に張り込んでいた警官に気付かなかった自分のドジが許せなかった。
「か、いや…ニック、とにかく、今は協力することだ。そうだろう?」
寺田がジョージに銃を向けたまま和雄とジョージを交互に見ながら言った。和雄は歯をきつく食いしばったまま大きく鼻息を吐いた。そして、突然出入り口に向けてショットガンを続けざまに発砲した。硝子が派手に砕け散り、悲鳴と残響が交錯した。出入り口から覗いていた警官らしい男が被弾して倒れたが、誰も助けることができない。和雄はさっき突き倒した行員にショットガンを向けて命じた。
「シャッターを下ろせ。」
行員は唾を飲みこんで頷くと、よたよたと立ちあがって出入口に向かった。
「おい、ジョージ。お前、俺に従うか?従えねぇってんなら、シャッター下ろす前に出て行け。」
そこで初めて、和雄はジョージが全身血まみれになっているのに気付いた。ジョージは倒れたままで和雄を睨め上げている。シャッターのスイッチのところに立った行員がこちらを見ている。ジョージが吐き捨てるように言った。
「分かったよ。」
和雄はジョージを睨んだまま行員に言った。
「下ろせ。」
そして目出し帽を被るとショットガンに弾を込め、店内に四つある防犯カメラを慎重に撃ち飛ばした。
「お前らもメンを隠しとけ。」
「いまさら…。」
「俺に従え。カメラはフッ飛ばした。チョンの間見たツラなんて覚えちゃいねぇ。これ以上見せるな。マイケル、ここを頼む。俺は二階を見てくる。ジョージは駐車場へ出る扉にバリケードしとけ。」
言い捨てると和雄は店内にいる客や行員を一通り睨みまわしてから、ショットガンを構えて階段をゆっくりと上っていった。

つづく

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注)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。