ピノキオたちの反乱

第5章

  札幌に戻った和雄は寛子と会った。すすきののちょっと分かりづらいところにある純喫茶に入った。寛子は元気がなかった。
「どう?」
「うん。うまくいってる。」
「いつやるの?」
「…二日。」
ATM用ね。」
日付を言っただけで、寛子は和雄の意図を見抜いた。和雄は答えずに微笑んで見せた。寛子もちょっと微笑んだが、すぐに沈んだ表情に戻った。
「どうした。」
「うん。お姉ちゃんね、いなくなっちゃったの。」
「出ていったのか?」
「帰ってこないの。」
和雄は右手で口を押さえ、鼻から息を強く吐き出した。寛子のそばから厄介の種が離れるのはいいことだが、解決になったわけではない。姉が捕まれば、どこで捕まったにせよ捜査の手は寛子のところまで伸びてくる。もちろん、姉の覚醒剤云々に関して寛子はシロだが、まずいことであるのは間違いない。身辺を根掘り葉掘りやられたのでは何を嗅ぎつけられるか分からない。
「お母さん、すっかり参っちゃって。毎日ぼんやりしてる。」
「どこにいるか見当つかないのか?」
寛子は黙って首を振った。
「お前にも何も言わなかったのか。」
「うん。」
二人はしばらく黙り込んだ。
「だから、やっぱりあたしお母さんから離れられない。会社も辞めないわ。」
「そうか。」
「ごめんなさい。」
「謝ることじゃない。だが、心配だな。姉貴のことさ。」
「うん。」
「ぜんぜん見当つかないのか?」
「札幌にはいると思うけど…。」
「連絡がついても叱ったり、戻って来いって言ったりしない方がいい。自分で気付くまでは逆効果だ。」
「うん。」
寛子は顔を上げて外の景色を見た。斜めを向くと細くとがった顎がきつい印象を与えるのだが、今は華奢な感じだけが際立って見えた。
「今、仲間が一人来てる。」
「今回の仕事の?」
「そうだ。ただ、コイツだけは昔からの俺の知り合いだ。それでもお前のことは知られたくない。マンションへは来ないでくれ。」
「分かったわ。電話はいい?」
「ああ。だが、二日はやめてくれよ。」
「ふふ、分かってるわよ。いつ出発するの?」
「二十六日。」
「すぐね。」
  その日寛子は珍しく和雄の腕の中で少し眠った。夜中前に揺り起こして家まで送っていったが、途中まったく無言だった。
「仕事の前にもう一回ぐらい会えるだろう。」
「いいわ、無理しなくて。ちゃんと戻ってきてくれればそれでいいの。」
「…。」
車を降りた寛子を和雄は見送ったが、その夜に限って寛子は玄関の前で振り返った。和雄は軽く手を振って見せたが、見えなかったのか寛子はそのまま玄関の中に消えていった。和雄は厭な予感を覚えて、しばらく玄関と寛子の残像を見つめていた。

  四月二十七日正午前、和雄はS駅7番口近くの路上にいた。7番口には柱に寄りかかるようにして寺田が立っている。ほどなく育ちの良さそうな顔をした若い男が駅から出てきて寺田に声をかけた。寺田は軽く頷いただけで後はあらぬ方を見ている。若い男は上目遣いに辺りを見まわしながら立ち尽くしている。和雄はちょっと舌打ちした。あれでは目立つ。ドライバーの坊やにちがいないと思った。
  正午を少し回ると、突然寺田が歩き出した。坊やも慌てて後を追う。和雄は少し距離をおいて後をつけた。寺田はS駅前の駐車場に駐めた自分の車に向かっていた。和雄は駐車場に入る手前で立ち止まった。坊やの後ろにもう一人背の高い男が歩いている。寺田は真っ直ぐ運転席に向かい乗りこむ。坊やは助手席に乗った。背の高い男は車の少し前で立ち止まり、辺りをぐるりと見回した。和雄は目が合わないようにあらぬ方を見てやり過ごした。再び和雄が振り向くと、男が運転席の後に乗りこむところだった。和雄はしばらく車の三人を見ていたが、軽く首を振って歩き始めた。
  助手席の後ろに和雄が乗りこむと、寺田は無言で車を出した。一瞬坊やが振り向いたが、和雄と目が合うとすぐに前を向いた。寺田はそのまま隣の市の海岸に向かって車を走らせた。その間四人とも無言だった。紺色の薄手のブルゾンを着た坊やは時々振り向こうとするのだが、度胸がないのか振り向くことができずにいた。背の高い男は何事も無い様にサングラス越しに窓の外を見たり、前を見たりしているが、まともに和雄の方を見ることはしなかった。和雄は視線は前に向けながら、坊やと背の高い男を観察していた。坊やの方は寺田から聞いたとおりだと思った。優柔不断で気の弱い男だが、はっきりと命令してやれば命令されたことだけはできるだろう。背の高い男は浅い毛糸の帽子を被っているが、どうやらスキンヘッドのようだ。長い黒っぽいコートの左の胸が膨らんでいる。寺田の言う通り見るからに危ないワル然としているが、和雄には今一つピンと来なかった。少し話をしてみないと正体がつかめそうにない。
  寺田は海岸線沿いに車を走らせ、観光地から外れた道路沿いの海に突き出た棚地に車を駐めた。この辺りの海岸はまだ風が冷たい日も多く人影はなかった。しばらく誰も口を利かず、風と微かな波の音だけが聞こえていた。
「二人とも仕事の話は聞いてるな。」
和雄は前を向いたままで言った。
「五月二日、ここのT銀行をやる。上がりは二億、二人の取り分は四つ。異存は?」
返事がない。和雄はおもむろに隣にいる男の方を向いた。男は口の端に笑みを刻んで言った。
「あんたは幾つだ?」
「俺は八つ。」
男の笑みが大きくなった。
「上がりが幾らでもあんたと俺たちは二対一ってことか。不満だな。」
男は笑ったままサングラス越しに和雄を睨んだ。和雄も無表情に睨み返す。
「上がりが確実に二億ならそれでもいい。あんたのヤマだからな。だが上がりが少なければ割に合わねぇ。」
男は一旦さらに笑顔を大きくすると、急に顔を引き締め真顔で言った。
「最低四つの保証が欲しい。上がりが大きいときは、二億を超えた分は山分けだ。」
「上がりは間違いなく二億以上ある。」
「なら四つ保証できるだろう。」
男はざらついた声で言った。和雄は男から視線を外し、坊やを見た。振りかえって二人を交互に見ていた坊やは和雄に睨まれてびくりとした。男があざ笑った。和雄は前を向いたまま言った。
「その条件でいい。のるか?」
「ああ、契約成立だ。」
和雄は渋い笑みを口の端に刻んで男を振りかえった。男も厭な笑みを浮かべている。和雄は坊やに視線を戻した。
「お前はどうだ。」
坊やは青白い顔をしてしばらく視線を揺らしていたが、目をつぶって頷いた。
「口に出して答えろ。」
「やるよ。」
坊やは目をつぶったまま答えた。
「名前を決めよう。俺はニック、コイツはマイケルだ。お前は?」
「ジョージ。」
男が答えると和雄は坊やに顎をしゃくって言った。
「お前はチャーリーだ。覚えたか。」
坊やはまた黙って頷く。
「口に出して答えろ。」
「覚えた。」
「よし、計画を説明する。だが、その前に。」
和雄は真っ直ぐに隣の男を睨んで言った。
「俺に目を見せろ。お前だけメンを隠したままってわけにはいかねえ。」
男は笑みを引っ込めて和雄を睨んだ。和雄も真っ直ぐ睨み返す。寺田と坊やは和雄と男の顔を交互にうかがっている。やがて男は厭な微笑を浮かべて寺田を見、坊やを見るとサングラスを取った。そして笑みを刻んだまま和雄に視線を向けた。和雄は冷たく視線を跳ね返したまま説明を始めた。
  「五月三日から五連休になる。二日にその間のATMの金を手当てしなけりゃならない。そいつをいただく。あそこの支店では毎週金曜日の二時半から三時の間に休日のATMの金を日銀から持ってくる。二日もこの時刻に変更は無いはずだ。金を持ってくるワゴンが着いて、金を店に運びこんだのを見てから押し込む。」
「待ってくれ。そこまで分かってるんなら輸送車をやればいいじゃないか。店に入るのは危険だぜ。」
男の疑問に和雄は柔らかい視線を投げて答えた。
「トランクの鍵を開けさせるためだ。最近のトランクには細工がしてあって、無理にこじ開けると中にインクが噴射されるようになってるものもある。億の束はビニール包装だが、端数の大帯封はそうなるとただの紙切れになっちまう。だから鍵で開けさせて中身だけいただく。」
男は口を結んで頷いた。
「チャーリーは店の正面に車を駐めて俺たちを待て。路駐が多い通りだから早めに駐めちまわないと正面を確保できない。そこで二時ごろからあの辺りを流していてくれ。俺がワゴンが日銀に向かったのを確認して携帯で連絡するから、そうしたらすぐに正面の位置を確保する。分かったか。」
「分かった。」
「もう一度自分で言ってみろ。」
「二時から辺りを流して、あんたから連絡があったら店の正面に路駐して待つ。」
「あんたって誰だ?」
「えっ、う、ニックだ。」
「そうだ。マイケルはチャーリーと一緒に乗っていろ。ジョージは路上で目立たないように待機だ。ワゴンが戻ってきたら、俺はワゴンの入った駐車場の前を通過して正面に回る。マイケルとジョージはそれを見逃さずに正面に来て一緒に押し込む。いいな?」
「ああ。」
「ジョージは。」
「OKだ。」
「押し込む寸前にメンを隠す。店の中は下見済みだが、外からでいいから明日覗いておけ。押し込んだらジョージは客と行員を抑えてくれ。マイケルは入口に立って、入って来る奴を一旦中に入れてからホールドアップさせる。俺は真っ直ぐお宝に向かってそれをバッグに詰める。手分けしてお宝を担いだら、出るときはジョージ、マイケル、俺の順に出る。出てから後のルートは明日実際に案内するが、すぐ近くにアジトを見つけてある。ここでお宝を分けてさよならだ。」
「洗濯はどうする?」
「勝手にやるさ。それとも俺を信用して何週間も預けるか?」
男は肩を竦めた。
「自分でやるよ。」
「札自体はそのままでも大丈夫だ。新札が混じってたらアジトに放置して古い札だけ分ける。古いほうは番号がばらばらだから、むしろ使い方だろうな。突然金回りが良くなると目をつけられる。」
「古い札が大丈夫となぜ分かる。」
「古い札は番号がばらばらだ。これをいちいち控えるなんて効率の悪いことを銀行はしない。日本は強盗が少ないんでな。そんなことに金をかけるより、運悪くやられたときはあきらめる方が銀行としては得なんだ。」
男が頷くのを見て和雄は続けた。
「明日予定の時刻にめいめい下見した後、逃走ルートを通ってアジトに案内する。詳しいことはその後で打ち合わせて、一日にもう一度下見。二日は二時から行動開始だ。質問は?」
和雄は三人を睨み回した。
「俺が抜け駆けしたらどうする?休日の
ATM用なら明日もあるだろう。」
男が厭な笑みを浮かべて言った。和雄は寺田と視線を合わせ、次いで坊やを睨んだ。
「野暮なことを訊くなよ。」
低い声で言った和雄は横目で男を睨んだ。男は笑みを浮かべたまま和雄を睨む。寺田と坊やは息を呑んで二人を見ている。やがて男は視線を逸らして言った。
「分かったよ。」
和雄は寺田の方に視線を戻して言った。
「やりたきゃやってもいいんだぜ。だが、明日じゃ上がりは高が知れている。その上俺に付け狙われる。くたばるまでな。」

  S市に戻った和雄たちはジョージとチャーリーを別々のところで下ろして、寺田が泊まっているホテルの駐車場に入った。エンジンを切ると寺田がバックミラーの和雄を覗いて尋ねた。
「あの二人どう思う?」
和雄は渋い表情でしばらく黙っていた。やがて、振り返った寺田の目を見返して答えた。
「坊やの方はまあまあだ。お前の言うとおり優柔不断で自分で決断はできないが、言われたことはきっちりやりそうだ。ことの末々まで言って聞かせる手間はあるが大丈夫だろう。問題はもう一人の方だ。」
寺田は下唇を噛んで頷いた。
「あいつはチンピラだ。自分が強い男だってことを見せようとしてる。俺を挑発してもどうにもなるまいが。」
「ああいう奴なんだろう。まあ、怒るなよ。仕事を成功させることだ。」
「分かってる。お前を責めてるんじゃない。頭のいい奴じゃないってことさ。何かうまく行かなかったとき暴走しなけりゃいいが。」
「そんな臆病じゃないだろう。場数も踏んでるし、ブルっちまうってことはないんじゃないか。」
「だから心配なんだ。臆病な方が組んで仕事をするには都合がいい。まあ、あいつは今回限りだな。」
寺田はまた下唇を噛んで頷いた。和雄は窓の外に視線を外してつぶやいた。
「場合によってはバイバイだ。」
「バイバイ?」
和雄は寺田に刺すような視線を向けた。寺田の表情が凍っていく。和雄は渋い笑顔を作った。
「心配するな、お前にやれとは言わない。」
寺田は黙って和雄の視線を見返している。和雄は笑った。
「ああそれから、取り分のことな。俺と二対一ってのはあいつらの手前言ったことだ。お前と俺は山分けで、あいつらが四つ、お前と俺が六つ。二億を越えた分は四人で山分けだ。」
寺田は鼻から長々と息を吐きながら小さく何度か頷いた。

つづく

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注)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。