ピノキオたちの反乱

第3章

  翌日、和雄は寛子に千四百万円を持たせて銀行まで送っていった。寛子は出納主任なので金を洗うのは簡単だった。持っていった札束と銀行にある札束を交換し、持っていった方は帯封を解いて機械に入れてしまえばいい。あとは流通するに任せるだけだ。いかに銀行が非効率的な組織だといっても、札の番号を一枚一枚控えるなどというアホなことにコストをかけることはない。ただし、最初から揃い番号が束になっている新券(新札)は危険である。これは日銀の方に記録が残っている可能性があるからだ。和雄が奪ったのはATMに入れる札だからすべて日銀券(新券に対し古い札を銀行ではそう呼ぶ)である。新券はジャムるのでATMには普通入れない。その辺りも計算済みだった。
  和雄は喫茶店で朝食のセットを食べて時間を潰し、頃合を見て金券ショップで羽田行きの航空券を手に入れた。公衆電話からあきこの所に電話する。
「…。」
「…。」
「金城か?」
「そうだ。」
電話に出たのは寺田だった。
「お前が出るのはまずいんじゃないのか。」
「まだ寝てるんだ。」
「明日、三時、新宿から電話する。」
「ここにか?」
「そうだ。まずいか?」
「いや。待ってる。金の件…」
「分かってる。」
和雄はそこで電話を切った。寺田はかなり追い詰められているようだった。
  和雄は銀行を辞めて札幌にアジトを構えると寺田に会いに行った。寺田が借金に苦しんでいることを知っていたからだ。寺田と和雄は大学の同期でサークル仲間だった。付属高校出身の寺田はそれなりの不良で、大学もバイトと酒、博打、女に精を出して過ごした口だった。就職の時は空前の売り手市場、世の中すべてで人手が不足しており、おまけに日本は景気変動を克服して永遠の成長軌道に入ったと誰もが信じていた。寺田は石油元売企業に営業職員として入社し、連夜接待に励んで一端の営業マンになった。言ってみれば学生生活の延長上にやり手の営業マンが誕生したようなものだった。だが、バブルは木っ端微塵に砕け散り、世はリストラ一色になった。口八丁手八丁、唯一の武器は会社の接待費という寺田はたちまちリストラの標的にされた。遊び癖の沁みついていた寺田は、気がついてみると残ったのは数千万円の借金だけという有様だった。和雄はその話を別のサークル仲間から聞いていて、寺田を仲間に引き入れることにしたのだった。
  いろいろなツテをたどってようやく再会した寺田はかなり憔悴していた。月に百万円を越える返済があり、既にブラック・リストに載っているので借り換えもできずにいた。和雄は仕事の話を持ちかけ、手付として三百万円の札束を示した。寺田に否やのあるはずもない。和雄は手付を渡し、逃走の際のドライバーと道具、つまり銃器を用意するように寺田に指示した。この手付を払ったことで和雄の方も資金が尽き、ATMの件を決行したのだった。
  夜、和雄は支店から少し離れたところから寛子を拾ってマンションに帰った。寛子はバックから札束を出して和雄に渡した。
「ちゃんとあるでしょ。」
和雄は素早く目で確認したが、口ではちがうことを言った。
「信用してるよ。取り分は二つだ。」
和雄が百万円の束を二つ寛子に渡すと、寛子は一旦受け取ったがすぐに他の十二束の所に戻した。
「いいよ。」
「そうはいかん。」
「やだ。」
「なんで?」
寛子は俯いて口を尖らせ上目遣いに和雄を見た。和雄は肩を竦めたが、心の中で舌打ちした。こいつは案外難物だ。受け取ってしまえば寛子の取り分はそれで完結である。それを受け取らずにいれば和雄に貸しを作ることにもなり、欲しいときに欲しいだけねだることができる。寛子は黙って和雄の肩にしなだれかかった。
「明日関東に行く。一旦帰るけど、その後またすぐ出かけて、今度は長くなるな。」
「次の仕事?」
「そうだ。今日は帰れよ。」
「いやよ。明日行っちゃうんでしょ。」
「明日はすぐ戻る。あまり外泊したりするな、怪しまれるぞ。」
寛子は笑った。
「いまさら…。」
「最近は毎日帰るって言ってただろう。生活を変えるな。どこから足が付くか分からん。」
寛子は大げさにため息を吐くと両手で和雄の胸を突き飛ばすようにして立ち上がり、一度も振り向かずに出ていった。和雄は渋い顔で寛子の背中を見送った。

  翌日、和雄は新宿でプリペイド携帯電話を買い、寺田に電話した。寺田は品川駅を指定した。品川駅の改札で待っているとサファリハットを目深にかぶりサングラスをした寺田がやってきた。寺田は和雄にちょっと視線をくれると、さっさと改札を抜けて歩み去る。和雄は無言で後を追った。寺田はガード下に入るとちょっと歩を緩めたが、和雄も追いつかずに距離を保つ。寺田はまた早足に戻って駅から遠ざかって行き、十分ほど歩いた先の怪しげな店に入った。和雄も少し間をおいて店に入る。店は古臭いテーブル・ゲームを置いた賭博喫茶で、オレンジ色の傘を被った年代物の蛍光灯がぶら下がっていた。寺田は一番奥の席で壁に凭れかかって入口の方を見ていた。和雄は他には客のいない店内を素早く見回し、奥のテーブルに近づいていく。寺田の肩を小突いて立たせると、和雄は自分が壁を背にした。カウンターの中では髭の小男がグラスを磨いているが、明らかに和雄たちの様子を覗っていた。和雄は真っ直ぐに小男を睨みつけ、そのまま寺田に言った。
「こういう店はまずい。売られるぞ。」
「ここは大丈夫だ。」
「気に入らねえな。」
和雄が小男を睨んだままそういうと、寺田も振りかえって小男を見た。和雄は立ちあがった。
「出よう。」
  和雄は品川駅前に戻り表通りに面した大きな喫茶店に入った。入口が真っ直ぐ見渡せる奥の席に座る。寺田も黙って向かいに座る。注文のコーヒーが来るまで二人とも無言だった。コーヒーが来ると和雄はミルクを入れながら感情の無い声で言った。
「話をするなら人の出入りが多いところのほうが安心だ。」
「でも、聞かれたらまずいだろう。」
「聞かれても本気にする奴はいない。ああ言う店で聞かれるほうが怖い。売られるぞ。」
寺田は俯いて小さく何度か頷いた。和雄は続けた。
「道具はどうだった。」
「一つ手に入った。弾五十発。」
「そうか。もう二つ手に入れてくれ。それから散らばるヤツも欲しい。ポンプだと最高だ。」
「当ってみるよ。だが、金がかかるぜ。」
和雄はセカンドバックから分厚い封筒を二つ取り出した。
「四つある。一つはお前の取り分の先払い、三つは道具代だ。」
寺田はちらりと和雄に視線を投げると封筒を押し頂いた。
「恩に着る。」
「どこに置いてる?」
「道具か?あきこのところだ。」
「大丈夫か。」
「ああ。」
「女は必要以上に信用するな。」
そこで和雄ははじめて表情を緩めた。
「お前には釈迦に説法だろうが。」
寺田も唇を歪めて、封筒をバックにしまった。
「で、ドライバーの方は?ハートが弱いって?」
「うむ。臆病なところがある。」
「どんなヤツだ?」
「それなりの工場の社長の息子なんだが、親父の会社が倒産して専務だった自分も自己破産した。別に何かできることがあるわけじゃないし、肉体労働なんかできるタマじゃないんで途方に暮れてる。学生の頃は自動車部で、卒業してからも仕事そっちのけでラリーに出てたらしい。」
「ラリーか。使えそうだ。」
「何事に寄らず優柔不断でな。半端なのが気になるが、四つ輪の腕は確かなはずだ。」
「途中で逃げ出さないように言い含める必要があるが、まあ、大丈夫だろう。暴走されるよりマシだ。ところで、もう一人欲しい。」
「もう一人?」
「現場を見ないと分からないが、多分必要になる。一緒にやるヤツだ。」
寺田は背もたれにそっくり返って天を仰いだ。それからテーブルの上に身を乗り出し、あらぬ方を見ながら言った。
「組の息がかかってないヤツだろう?難しいぜ。」
「なんとか見つけてくれ。」
「俺の知り合いで無くか?そいつは無理だ。」
「知り合いでも仕方ない。まあ、現場を見てからだが。」
「現場へはいつ?」
「来週。向こうの仕事のリズムを掴む必要があるから二週間ぐらいいる。道具を手に入れたら連絡くれ。さっきの携帯だ。」
「大丈夫かよ。」
「プリペイドだ。」
そこで和雄は身を乗り出して念を入れた。
「いいか、感づかれるな。七所借りで青息吐息で返してる振りをしてろ。サツより組のヤツらに嗅ぎつけられる方がはるかに厄介だ。上前はねられるぐらいじゃ済まなくなる。」
寺田は無言で何度か小さく頷いた。

  寺田と分かれて札幌に帰った和雄は寛子を呼び出した。車は使わず地下鉄でバスセンターに出て落ち合い、地下街の喫茶店に入った。
「明日からしばらく行方不明になる。」
「どこへ行くの?」
「仕事の準備。」
「だからどこなの。」
「銀行。」
寛子は唇を噛んで和雄を睨んだ。
「信用されてないのね。」
「そうじゃない。」
「そうよ。」
「信用してないなら寝たりしないさ。」
寛子は口を尖らせてまじまじと和雄をの顔を見た。それから大げさにため息をついて言った。
「いいわ。どこでも行って来たら。あたしも勝手にしてるから。」
和雄は左の肩だけを竦め小首を傾げて頷いて見せた。
「姉貴、どうしてる?」
「まだ、ふらふらしてるわ。」
寛子は顔を曇らせた。寛子の姉は地元の都銀に勤めていたが、倒産以来失業したままである。
「不景気だからな。」
「うん。」
寛子はまた下唇を噛んだ。
「どうかしたのか?」
「うん。」
寛子は少し迷う風だったが、テーブルの上に身を乗り出し小さな声で言った。
「スピードやってるみたいなの。」
「なに…。」
「お姉ちゃん、何て言うか、ずっと順調だったのよ。それが突然ああなったから。悪いのに引っ掛かってるみたいなの。」
「男か。」
「お姉ちゃん免疫無いから。」
和雄は吹出しかけたが、渋い表情を崩さなかった。和雄にとっても笑い事ではなかった。既に寛子には金を洗濯させている。寛子の周りで警察がらみのトラブルは危険だった。和雄は硝子ごしに地下街を行き来する人を見ながら考えを巡らした。
「心配だな。」
「うん。」
普段は優等生の姉を悪し様に言う寛子だが、それは屈折した愛情の表現なのだろうと和雄は思っていた。寛子の暗い顔を見ていると兄弟のいない和雄はうらやましくもあったが、それ以上に警戒感が沸き起こるのを抑えられなかった。だが、寛子に何と言えばいいのか思いつかない。下手なことを言えば寛子が姉を愛している以上逆効果だろう。
「とにかく様子を見るしかあるまい。意見するにしても頃合が難しい。」
「あたしもきれいな身じゃないしね。」
うつむいたまま小声で言うのを聞いて和雄はちらりと寛子を見やった。寛子にその意識があるなら少し安心していいだろう。
「いずれここではどうにもならない。だが、関東も不景気だしな。まあ、どうにもならないようだったら考えよう。」
「考える?」
和雄はテーブルに肘をつき、さりげなく地下街の方を見ながら言った。
「手が回るようなことになったらお互い困る。今度の仕事が終わったら考えるよ。お前のことも含めてな。いつまでもお前に危ない橋渡らせるわけにいかない。」
和雄は頬に寛子の視線を感じながらも、執拗に視線を逸らしつづけた。だが、寛子も視線を外さない。和雄は振り返って寛子の目をまっすぐ見返すと微笑んで言った。
「出ようぜ。」
  その夜寛子はいつになく大人しかった。帰るというので、和雄は夜中過ぎに車で送っていった。寛子の家は西区の住宅街にある。バブル崩壊で開発が止まってしまい、寛子の家から先は荒地のままになっているさびしいところだ。寛子は車の中でもずっと無言で俯いていたが、着いても降りようとしなかった。和雄もしばらく無言でいた。やがて、寛子が俯いたまま小声で尋ねた。
「あたしのこと考える、ってどういうつもりですか?」
和雄はその問いには答えず、フロントグラスを見詰めたまま尋ね返した。
「お前、仕事に未練あるか?ないだろう?」
「ないけど…」
「けど?」
和雄は俯いている寛子の顔を覗きこんだ。涙をこぼしている。
「あたし、ずっとお母さんに心配かけたし、お姉ちゃんがああなって、あたし、あたしがちゃんと勤めてるの、大切なんだよね、きっと。あたし、だから、あの会社嫌いだけど、でも、なんか、勤めていなきゃいけないのかなあって…。」
後は言葉が続かなかった。和雄も返す言葉が無い。寛子は和雄の左肩に目を押し当てた。泣き声をこらえて震えている。
「ごめんね。」
ひとしきり泣くと、寛子は和雄の肩から顔を上げて言った。
「あたしは大丈夫だから、心配しないで。ちゃんと戻ってきてね。」
最後は無理に笑顔を見せて寛子は車を降りた。和雄は家に入るまで車の中から寛子を見送った。寛子はその夜も振り向かなかった。

つづく

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注)この物語はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、建造物、地域とは一切関係ありません。