樅 人 独 白

2006年3月6日 ブギーマン

 気が付いたら、3月だ。あれほど降った雪も消えて、あれほど騒いだ偽メールも話題にしているのは永田町たらいう小さな町の衆だけになってしまった。
 雪に閉じ込められている間、FPの通信講座とDVDの日々を送っていた。そして、春になったら例年の通り腰痛になって、トレーニングも今週は全休せざるを得ないだろう。それで、思い出した。
 昨年12月にヒチコックの「サイコ」がリリースされた。何度目のリリースになるのか分からないが、
Special Editionと銘打って、メイキングを追加した版だ。そのメイキングを見ていたら、クライブ・バーガーが葉巻を片手に出演して、「サイコ」のモデルになった事件を語っている。字幕に「1916年」と出たから、びっくりした。クライブ・バーガーともあろう男がそんな間違いをするとは。
 今日、改めて見ると、クライブ・バーガーは「1960」と言っている。間違っているのは字幕だ。
 「サイコ」のモデルになったのは、エド・ゲインという小男である。この男が逮捕されたのは1957年の11月である。そして、この事件をヒントにロバート・ブロックが小説「サイコ」を書いた。以来、エド・ゲインはアメリカン・サブカルチャーの帝王である。「サイコ」のノーマン・ベイツ、「悪魔のいけにえ」のレザー・フェイス、「羊たちの沈黙」のジェイム・ガム、全部エド・ゲインがモデルである。さらにエド・ゲインの母親は「キャリー」の母親のモデルと言っていいだろうし、「ウォーターボーイ」というコメディーの主人公とその母親もエド・ゲインとその母親だと言っていいだろう。
 事件が起こったのはウィスコンシン州のプレイン・フィールドという町である。その名の通りまっ平らで何もない田舎町だそうだ。狩猟の盛んな地域で、秋に狩猟が解禁になると鹿狩のハンターでにぎわうそうだが、1957年の狩猟期(9日間)には4万頭の鹿と13人のハンターが死に、ハンターのうち2人は心臓発作、残りの11人は流れ弾に当たって死んだと言う。
 エド・ゲインは1906年生まれだから、逮捕されたときは51歳である。身長160cmに満たない小男で、左まぶたが垂れ下がって視界をさえぎっていたため徴兵検査に失格し、軍隊には行っていない。父親のジョージは飲んだくれのロクデナシで若い頃は職を転々としていた。やがて、オーガスタという5歳年下の娘と結婚した。年下の娘と言っても、今時のコギャルのような不届きな娘を想像してはいけない。ドイツ系移民の娘で、強固な意志と狂信的な新教の信仰と、そして太り肉で頑健な身体を持っていた。そんな二人だから、結婚生活は惨めなものになる。ロクデナシの夫に容赦なく罵声を浴びせる妻、暴力で応酬する夫。かくして、夫はますます酒に、妻は狂信的信仰にという、繰り返しハリウッドのサイコ・ホラーが描く家庭が出来上がった。やがて、ジョージが失業し、オーガスタは自分で店を開いて家計を支えるようになる。その後、店をたたんで、プレイン・フィールドに移って農場を経営することになる。
 この夫婦には子供が二人いた。オーガスタは新教を狂信的に信仰している女であるから、子孫を残す目的以外の性行為など断じて拒否する。もう、その行為自体が汚らわしい。だから、男も汚らわしい。でも、生まれた子供は男の子だった。だから、必死の思いで我慢して、二人目に挑んだ。女の子を授かることを神に祈りながら。しかし、二人目もやっぱり男の子だった。そこで、オーガスタは誓った。自分の子供たちは、世間の汚らわしい男どもとは違ったものに育てると。あんな汚らわしい生き物にはしないと。
 かくして、ヘンリーとエドの兄弟は狂信的な母親によって、世間の常識からかけ離れた教育を施されることになる。父親のジョージは1940年に病死したが、最後の3年間は寝たきりだった。兄のヘンリーはエドよりは丈夫で、道路工事や電線工事に雇われたり、農夫の監督として雇われたりしていた。また、エドと違って母親の教育に疑問を抱いていて、何度か女性に近づこうとしたこともある(もちろん、成功しなかったが)。そして、弟のエドに母親の言いなりになるなと言うこともあった。エドは兄を尊敬していたが、その尊敬する兄が絶対的存在である母親を悪く言うことは晴天の霹靂であった。
 1944年5月、ヘンリー・ゲインは焼死した。エドとともに枯れ草を焼いていて、火に巻かれた、とエドは証言している。ただし、死体には焼けた部分はまったくなく、頭部に傷があり、死因は窒息死だった。エドは急に風向きが変わり、あわてて風下に逃げ、その後火を消して兄を探したが見つからずに、保安官を呼びに行った、と証言している。そして、保安官を呼びに行くと、迷うことなく真っ直ぐ兄の死体に案内した。
 検視の結果、ヘンリー・ゲインの死因に怪しいところはなく、事故死とされた。
 1945年、オーガスタが死んだ。病死だった。オーガスタの死には何の疑問もなかった。これによって、エド・ゲインは天涯孤独となった。エド・ゲインは町外れにある農場に1人で住み、町の人たちに便利屋のように使われながら、生活した。エド・ゲインはIQは人並みであったというが、教育は16歳までしか受けておらず、また、傍目に明らかにおかしかった。大人の付き合いができず、いつも子供と遊んでいた。もちろん、独身で恋人もいない。町の人たちは、少し頭が足りないが危険のない小男と思っていた。
 だが、実際は怪物だった。
 エド・ゲインの住んでいた家はごみだらけだった。掃除をしないため、床には一面、足首まで埋まるほどごみが散乱していた。さらには、家中に恐ろしい収集品があふれていた。かみさしのガムのコレクションなどかわいい方で、人間の頭骸骨で作ったカップ、人間の顔の皮を剥いで作ったマスク、人間の皮膚をなめして張った革張りの椅子、女性の陰部の塩漬け、人間の乳房のベストetc.月夜になるとエドはこれらの品を身につけて、外に出て踊ったと言う。
 エド・ゲインは恐るべき怪物であり、連続殺人犯であるが、実際に殺したのは2人、殺した疑いの濃い兄を入れても3人である。殺したのはいずれも母親オーガスタと似たような女性、中高年で、店を切り盛りするやり手ババァである。むしろ、墓を暴いて死体を損壊したことの方が多いが、殺したのも結局は死体を持ち帰るためだ。新聞に女性の死亡記事が出ると、墓場に出向いて墓を暴き、死体を持ち帰る。そして、薄気味の悪いものを作る。プレイン・フィールドは狩猟の盛んな地域で、エド・ゲインは町の人や町にやってきたハンターに雇われて、獲物の解体や皮を剥いだり、なめしたりという仕事に従事していた。だから、人間の死体から皮を剥いだり、骨を取り出したりはお手の物だった。では、その動機は?歪んだ性欲だった。エド・ゲインは母親から、女は汚らわしい存在であり、近づいてはならないと教え込まれていた。お前は頭が悪いのだから、街に出て女と話してはいけない、必ずだまされて、汚らわしい罪深い行いをしてしまうにちがいない。そう教え込まれていた。母親が死んで後も、エドはこの教えに従った。逮捕されたとき保安官の質問に対して誇らしげに答えたという。「私は童貞です」と。
 エド・ゲインは精神病と診断され、精神病院に収容された。その後、裁判に耐えられる状態まで回復したとして裁判を受け、殺人で有罪、精神病につき無罪、という判決を受けて精神病院に戻った。やがて癌を患い、1984年に78歳で死亡している。
 エド・ゲインの家は彼の逮捕後何者かに放火されて焼失した。車やその他の財産は競売にかけられ、車は全米を巡回して見世物にされた。そして、ウィスコンシン州では子供を叱る親が「いい加減に言うことを聞かないと、エド・ゲインが来るぞ」と言うようになり、ブギーマンになった。ついには、ロバート・ブロックとアルフレッド・ヒチコックによって、サブカルチャーの帝王になった。

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